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未来からのキス
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4:しっとるか 04/19 03:43
 アメリカに渡って それなりの活躍した人に西氏がいる。それこそ先のパソコン
黎明期に まだMSDOSすらも無い頃 ベーシックを積み上げて一つのOSとした
J−dosとした人が アメリカにはいた。彼はNHKの(電子立国日本)の番組が
取材したときにこう言い放っている。「ms−DOSだって あれりゃ俺のDOS
のコピーじゃないか。」って。当時すでに売れて売れて米国国内を駈けずりまわって
いた彼には IBMとの交渉する時間がなかった。更にIBMは彼にとっては 多く
の顧客の一企業でしかなかった。更に悪い事には 当時まだ出来合いコンピューター
すなわち企業向けの電算機と家庭用パソコンとは格段に違っていた。この事はいわゆる
PCという家庭向けの個人電算機が今後大きく売れるだろう余力がある事を示している
 当時マニアにはガレージプログラム という持ち寄りのプログラムがかなりあって
 彼が知らない隠された指令コード番号もまた沢山あった事また災いした。こうした
これを理解するにはやはり若い頭脳が必要だったのだろう。今や世界の長者番付けの
頂点にたびたび上がるマイクロソフト社のビルゲイツも 只のマイナーなマニアの域
を出ないプログラマーでしかなかった。彼の能力の高さはプログラマーとしてよりは
経営者としてにある。多くの人はMS−DOSのNO1や2を持たないだろう。それは
彼が作ったプログラムでなく寄せ集めのみんなが使っていたプログラムであった事だ
。がそのMS−DOS3になるまでの間彼らは このOS仕様をMS−DOSとする
為に 徹夜続きをしてものにしたのである。徹底的に分解し IBM仕様に合わせ
ながらも自分達の為の秘密のコード埋め込みを怠らなかったのである。いまでもIB
M仕様のOS2とDOSの系統だった違いはその名残を見せている。がそうしてその
仲間にいた西氏は 帰国しアスキーコードを作り持ち果敢に政府にも進言してきた。
がそれでも政府は動かず日本の時代は来なかったのだが 日本では彼が始めた通信と
PCの融合は 今やこうして花開き世界を席巻している中でひけをとらない。もちろん
彼の仕様は当の昔に世界的仕様に変更されてはいるが その志は受け継がれている
だろう。

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sage
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