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FIFA・W杯2010南アフリカ大会
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1969: 08/15 08:35
アルゼンチンは、ロシアW杯期間中にメッシら選手と対立したとされるサンパオリ監督を大会後に解任し、暫定としてチームスタッフだったスカローニが指揮を執り、U-17代表を率いていたアイマールらがサポートするという体制を整えていた。

9月には、7日にグアテマラ、11日にコロンビアとの親善試合が、いずれもアメリカで行なわれる予定であり、スカローニ監督は招集メンバー決定の前に、まずメッシに代表続行の意志の有無を確認。その結果、年内の代表入りは拒否、来年のコパ・アメリカ出場も疑わしい状況にある。

 クラリン紙によれば、メッシは代表について、休みを取るとしながらも、それがいつまで続くのか、そしてその休みに終わりの時が訪れるのかについては、何の約束もしていないという。多くのアルゼンチン・メディアは、これをネガティブなニュースと捉え、このまま代表引退となる可能性もあるとも報じている。

1970: 08/15 08:35
ロシアW杯敗退後には、マスチェラーノ、ビグリアが代表引退を宣言したが、長くアルゼンチンのシンボルとして君臨し、チームを牽引してきた背番号10は無冠のまま、水色と白のユニホームを脱ぐことになるのだろうか。

所属するバルセロナでは、13日のスーペルコパで2つのゴールに絡み、自身、このクラブでの33個目のタイトルを手にしたメッシ。16日には母国の名門ボカをカンプ・ノウに迎え、恒例の「ジョアン・ガンペール杯」を戦うが、クラリン紙はこの日が、メッシが代表チームでの今後について語る、ちょうど良い機会になると綴っている。

 2016年のコパ・アメリカ・センテナリオ後に一度は失意の代表引退を宣言したものの、後に国民の願いを聞き入れて復帰、ロシアW杯をタイトル獲得のラストチャンスとして懸命に戦ったメッシ。果たして、代表でのキャリアはここで幕を閉じるのか。そして、それについて近いうちに口を開くのか。要注目である。
1971: 08/15 08:36
もうバルセロナに専念したほうが・・・
1972: 08/15 08:40
メッシ、2018年はアルゼンチン代表の活動に応じず…来年に代表引退か決断へ

バルセロナに所属するアルゼンチン代表FWリオネル・メッシは、2018年の代表活動に応じることはないようだ。『TNTスポーツ』が報じている。

ロシア・ワールドカップではベスト16と無念の結果に終わったアルゼンチン。大会後にはホルヘ・サンパオリを解任し、リオネル・スカローニを暫定監督としたチームだが、2018年に残している親善試合でメッシが見られる可能性はないとのこと。過去に代表引退を発表し、撤回してきた過去のあるメッシは代表引退を求めたが、スカローニ暫定監督と話した結果、2018年は代表招集に応じないことで合意に至ったという。

1973: 08/15 08:40
そのため、9月7日、11日に行われるグアテマラ戦、コロンビア戦は欠場。10月にサウジアラビアで行われる永遠のライバル、ブラジルとの一戦にも出場しない見込み。一方で、2019年には、スカローニの後の正式な監督がメッシに新たなプランを提示する必要があり、そしてメッシが決断することになる。協会のクラウディオ・タピア会長との関係が良好なため、再び代表に戻る可能性も低くないものの、その場合は中心ではなく、キャプテンでもないという。

また、来年にはブラジルで行われるコパ・アメリカがあるため、メッシにとって最後のメジャートーナメントとなる可能性がありそうだ。

128試合65ゴールとアルゼンチン代表のエースとして重責を担ってきたメッシ。ついにステージから降りることとなるかもしれない。
1974: 08/15 17:49
クロアチア代表への愛が詰まったマンジュキッチからのレター「可能なら死ぬまでプレーする」

ユベントスに所属するFWマリオ・マンジュキッチ(32)が、クロアチア代表からの引退を発表。クロアチアサッカー協会(HNS)は、公式サイトでマンジュキッチからの手紙を公開した。

マンジュキッチは、2018年に行われたロシア・ワールドカップでは、6試合に出場し3ゴールを記録。チームの決勝進出に貢献すると共に、過去最高となる準優勝に貢献していた。

HNSの公式サイトでは、マンジュキッチのクロアチア代表への愛が綴られた手紙を公開。祖国を愛する気持ちや、ワールドカップについて、そしてサポーターや関わる人々への感謝を綴り、クロアチア代表への想いが詰まったものとなっている。

1975: 08/15 17:49
「親愛なるファンへ。僕はいつも外ではなく、ピッチの上で話したかった。だから、これらの言葉は、相手にタックルすること、またはスプリントを120分間続けることよりも少し難しいものとなる」
省12
1976: 08/15 17:50
「ワールドカップの準優勝は、僕に新しいエネルギーを与えれくれたけど、信じられないほど難しい決断を少しだけ楽にしてくれた」

「僕たちは夢を実現し、歴史的な成功を収め、信じられないほどのファンのサポートを経験した。ザグレブ、スラボンスキ・ブロド、そしてクロアチア全土で歓迎を受けたその月の経験は、僕のキャリアにおいて最も重要な記憶として残る」

「これは最も美しい代表チームの旅であり、最も僕が好きな母国への帰還だった」

「僕は幸せで、満たされており、痛み、努力、仕事、失望、そして困難な瞬間を通して、長年にわたって作り出されたこの準優勝をとても誇りに思う」

1977: 08/15 17:50
「引退する理想的な瞬間はない。可能であれば、僕たちは誇りを感じていない時から、死ぬまでクロアチア代表でプレーするだろう。でも、僕はこの瞬間が来たと感じた。それが今だ」

「僕はクロアチアのためにベストを尽くした。僕はクロアチアのサッカーで最も大きい成功の要因となった」

「14年前、若いカテゴリーで、僕は初めてこの神聖なユニフォームを着た。その後、僕は多くの優秀な選手、監督、コーチ、そしてその他の代表チームのスタッフと出会い、プレーしていた」

「クロアチアの成功のために全てを与えるという同じ目標を持っている。僕のキャリアに関わった全ての人に感謝する。その道のりで、僕と共にいた家族と親しい友人、彼らの全てのサポートに感謝する」

1978: 08/15 17:51
「最後にファンに感謝したい」

「誰も完璧ではない。僕はチャンスを逃し、ボールを失い、パスをミスした」

「しかしながら、僕はいつも自分の心を尽くし、ベストを尽くしてきた。それらを認めてくれ、そしてクロアチア代表のそばに立っていてくれてありがとう」

「今日で、僕の居場所は君たちと一緒だ。最も忠誠を尽くす、クロアチア代表のファンだ」

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