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スマナサーラの上座仏教入門
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11:アルボムッレ・スマナサーラ 01/28 14:03 ID:cs
たとえば怒りが沸き上がってきて、ぐぐぐっと抑える方法のようなのを私たちは「怒らない方法」と聞くと想像してしまうのですけれども、そうやって抑え込もうとする力もまた、「怒りである」というんです。今更怒りの定義のような話をすると、「いま楽しい?」と自問して、「楽しくない」と思ったらその時その人は怒っているのです。だから少しでも人生が楽しくなくなったら、その人はその時怒っているのです。

怒りを抑えることが楽しいはずありませんから当然その人はその時怒っているのです。なので怒らない最大の方法は、そもそも「怒り」を発生させないことなんですよね。そしてその為の方法として、「私は間違いだらけ」だと知れ、というのです。まあ「私が正しい」と思うから怒るんですから、当然ともいえます。腕を切り落とされようが、頑張っても報われなかろうが業績を横取りされようが、決して否定しない。

その究極の形が、たぶんお釈迦様のいう「わたし」を消すことなんでしょうね。他者から害される「わたし」が消えてしまえば、どんなにひどいことされようが怒りようがありません。まあそんなん現実的に考えて無理なんですけど、「わたしは間違っている」し、「相手も間違う事がある」という前提にたって物事を考えると、あまり怒ることもなくなるのです。
12:アルボムッレ・スマナサーラ 01/28 14:04 ID:cs
だからといって、相手が何をしようが「おーけーおーけー」と許容の態度を示すのも、また間違いであると言うのですね。子供が目の前で悪い事をしていたら、ちゃんと叱らないといけないと。ただ怒らないで、「それは間違いである」ときっぱりと言うだけ。その答えに愛情と自信さえあれば相手はちゃんと聞くと言っています。

お釈迦さまが言うには、たとえば恐ろしい泥棒が来て、何も悪い事をしていない自分をつかまえてこいつを切ってみよう、面白いよ、というだけの理由でこっちを切ろうとしてきても、『嫌だ』と怒ってはいけないのだそうです。「そんなバカな」と僕などは思ってしまうのですけれども、どうもお釈迦様的に言えば「わたし」というエゴ的な部分を、完全に捨て去ることから幸福が生まれる、とそういう意図らしいんです。「わたし」なんかないんだから、切られたって別に嫌じゃないというのです。

まあ何はともあれ幸福に生きる為には、「怒らないこと」であり、怒らないためには「怒らないこと」であり、「わたし」を消していき、理性でもって正しい事と間違っている事を判断していくことが必要である。そういうことです。


13:アルボムッレ・スマナサーラ 01/28 14:04 ID:cs
「業(カルマ)とは何か?〜“業の性格”を理解して人生に勝利する方法」
省17
14:アルボムッレ・スマナサーラ 01/28 14:05 ID:cs
自分の目的が壊れてしまうことが一番の弊害です。私たちはご飯を食べたい、良い服が着たいという風に普段から持っている何のこともない目的と将来どうしましょうかなどの大きな目的まで、持って生きています。つまり、人生は目的を持って歩むことです。でも、怒ると、その目的が壊れてしまうんですね。これはとても大変なことです

覚えておいて欲しいことがあります。それは、この「生きる」というシステムが、簡単に怒ってしまうように出来ていることです。怒らない人間ははいません理解する。それでも、簡単に怒ってしまってはいけないと覚悟しなくてはいけません。小さな子どもが立ちたいけど立てなくて泣いてしまったりしますが、泣くのも怒りから来るものなんですね。上手くいかないって(笑)。 人生そう簡単には上手くはいきません。人生は障害の連続であり、挑戦して挑戦して、頑張って、それでもなかなか上手くいかないものです。だから、上手くいかないのは普通なことだと思って、最初から怒るのではなく、乗り越えていくことが大切です。そのことを覚えていけば、例えば高い壁にぶつかったときも『そんなもんや』と思えるでしょう

そんな簡単に心は平穏にはいられませんし、今の経済状況や会社の事情は、個人では何もすることができません。でも、落ち込んでも、それも怒りですが、仕方ありません。余計なプライドを捨てて、どんな小さなことでも、謙虚なこころで、行うように前向きになって生きることです。


15:アルボムッレ・スマナサーラ 01/28 14:05 ID:cs
話というのは、喋る人に責任があります。聴いている人の気持ちを考えながら、喜びを与えるように喋らないといけません。だいたい、「私の話をしっかり聞きなさい」という態度で話す人がいますね。子供達に教える時はよく見える現象です。相手に聴く意欲が起こるように、こころに喜びと興味が起こるように話す義務が話す相手にあるものです。話をしている場合は、常に相手が聴いているか、理解しているかをチェックしながら話すことです。

その方が正気のときにこう言ってあげてください。『あなたの本心は鬼だよ』、と。お酒によってその人の被っている穏やかな性格と言う鎧が脱げ、本心が出ます。だから普段は、鬼と正気がぶつかっているはずです。普段から良い顔を見せるのは苦しいことですけど、正気でいないといけません

スリランカ上座仏教(テーラワーダ仏教)長老。1945年スリランカに生まれる。13歳で出家となる。スリランカの国立大学で仏教哲学の教鞭をとられたのち、1980年に派遣されて来日。現在は、日本テーラワーダ仏教協会などで初期仏教の伝道、ヴィパッサナー実践の指導に従事されており、修行練磨の誠実温厚な人柄、的確流暢な日本語による説法で定評があります。朝日カルチャーセンター講師の他、NHK教育テレビ『心の時代』への出演も反響を呼びました。スマナサーラ長老は、お釈迦さまの根本の教えを通じて、仏教とは今この場で役に立ち、自ら実践し理解する智慧の教えであることを説かれています。

Rev.Alubomulle Sumanasara Thero


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