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スマナサーラの上座仏教入門
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1:アルボムッレ・スマナサーラ 01/28 14:08 ID:cs
怒るといちばん最初に自分が汚染される
怒りは自分を破壊し他人を破壊する 省12
2:アルボムッレ・スマナサーラ 01/28 14:09 ID:cs
自分の人生でいちばん幸福だったのはいつでしょう。逆に、いちばん不幸だったのはいつでしょう。けれども人生には、大切な時間も、取るに足らない時間も、どちらもありえない、成り立たないのです。人生をひとつの時間の流れでみれば、いまの一秒と過去の一秒は同格です。同じ価値です。生きている瞬間瞬間が大切なのです。

「行為」と「結果」は、宇宙の法則です。「行為」が先で、「結果」は後に出ます。「いま」というのは、いつでも「過去」の結果です。すでに結果が出てしまったことです。だから、悩む必要はないのです。いま何をやっているかによって、次の結果が出ます。人生とは、瞬間瞬間の連続です。私たちは、瞬間瞬間にしか生きられません。

多くの人は、願いを持つことは、すばらしいと思っています。しかし、そうではありません。願いをもつのは、いまの自分を受け入れていないからなのです。未来への願いをもつよりも「いまの自分は何ができるか」を考えたほうがいい。「いまの自分を、どう向上させていくか」が大切です。いまに徹する生き方になれば、もっていた願いより、さらに先に進むことだってあります。


3:アルボムッレ・スマナサーラ 01/28 14:09 ID:cs
知識は、なくては困ります。しかし、ありすぎても困るのです。知識は増えれば増えるほど、人生は重くなります。そして、その知識はいつか消えてしまいます。欠かせないものは、知識ではなく、智慧なのです。智慧とは、その瞬間その瞬間に、正確に何をなすべきか、ひらめくことです。

自信がないと、神の力とか、宇宙の力というようなものに頼ろうとします。客観的な証拠がないにもかかわらず、いきなり結論に立って「まず信じよう」となってしまいます。「信仰」に沿って生きていこうとします。しかし、世の中にあるのは、神の力ではなく、「変化」するという法則です。リンゴの実が台風で落ちてだめになったのは、物理法則です。それは神の意志によるものではありません。自我を捨ててみれば、神秘や迷信はないことがわかるのです。

そもそも、生きること自体が依存なのです。だから、依存からはけっして逃れられません。食べ物に依存すると、健康を壊します。心の刺激に依存すると、自己破壊に陥ります。生きている間、完全に依存から脱することはできませんが、依存していることに気づくことが大切です。


4:アルボムッレ・スマナサーラ 01/28 14:09 ID:cs
教えが正しいものであれば、その教えはだれからも守ってもらう必要なないのです。だれがどう反論しようが、真理そのものは崩れることがありません。批判しようという人がいたら、かえってそれを学んで納得してしまうのです。「批判は禁止する」「疑問を抱くな」という宗教があれば、その一点だけをとっても、真理ではない。教えがまちがっていることがわかるでしょう。

私たちの行動は、瞬間瞬間の小さな単位の連続です。失敗も成功も、小さな単位のところで、起きるのです。だから、瞬間瞬間の小さな単位で気をつけていれば、失敗を避けられます。やがて成功することもできるのです。人は瞬間の小さな行為を大事にせず、無視してしまいます。それが大失敗のもとになるのです。

自分の人生でいちばん幸福だったのはいつでしょう。逆に、いちばん不幸だったのはいつでしょう。けれども人生には、大切な時間も、取るに足らない時間も、どちらもありえない、成り立たないのです。人生をひとつの時間の流れでみれば、いまの一秒と過去の一秒は同格です。同じ価値です。生きている瞬間瞬間が大切なのです。


5:アルボムッレ・スマナサーラ 01/28 14:10 ID:cs
生きるとは、複雑なようであって、じつはとても単純です。歩いたり座ったり喋ったり、寝たり起きたり。それ以外、特別なことは何もありません。この単純さ以外に、何か人間の背後から支配している「宇宙の神秘」のようなものがあると思うのは、妄想です。人生とはいともかんたんなものなのです。それを複雑で分かりにくくしているのは人間の思考であり妄想なのです。

仏道とは、「何かを得る道」ではありません。「ものから離れていく道」なのです。離欲の道には完成があるのです。本当に充実するためには、ものはいらないのです。足りないから満たそうとするのではなく、ものがいらないということで、心を満たす道があるのです。ものから離れる、離欲というところから、安らぎが生まれるのです。離欲にチャレンジすることが、最高のチャレンジなのです。 結果はもはや変えられません。しかし、原因は変えることができます。 原因が変われば、結果は変わります。結果に足を引っ張られて悩むことはやめましょう。 よい結果になるように原因をしっかりと調整することが、理性的な生き方なのです。


6:アルボムッレ・スマナサーラ 01/28 14:11 ID:cs
「うまくいく・いかない」「成功・失敗」というのは、客観的なことではなく、自分の主観です。ものごとは因果の法則で動いているのですから、よい結果を期待するならば、その原因を調整することです。原因に適した結果があらわれるのであって、期待した結果にはなりません。リンゴの種を蒔いてモモが食べたいと思っても、かなわない希望です。原因を無視して、よい結果だけを期待するのは間違いです。 いま苦労すれば将来、幸福になるだろう」という考えには、幸福になる保証はありません。「いま」幸福になるしか道はないのです。幸福というものは、いまの瞬間に得るべきものです。「明日、幸福になろう」とか「将来、幸福をつかもう」という人は、ずっと幸福になれません。「明日」とか「いつか」というものは、どうなるかわからないのです。


7:アルボムッレ・スマナサーラ 01/28 14:12 ID:cs
妄想は猛毒です。 妄想があるゆえに、ストレスが起きます。 妄想があるゆえに、人生なにをしても苦しみと失敗で終わるのです。 だから、まずやるべきことは妄想を停止させることです。混乱しているのは、じつは頭の中で妄想がぐるぐる回っているのです。妄想をやめること。 つまり「過去」と「将来」に心をさまよわせず いまに気付いて生きること。 妄想を止めるために、気づきを精進するのです。 心を暴走させることなく いまの瞬間につけておく訓練をするのです。

役にたつ知識は宝になりますが 何の役にも立たない知識はゴミです。 世の中では、テレビや週刊誌などから 興味本位に情報が垂れ流されます。 それらは、欲望をあおって不安をかき立てているだけの 無用な残飯のようなものです。 無駄な知識は不要なだけでなく かえって命取りにもなります。 あまりによけいなことを考えすぎて妄想が膨らんでしまいます。そのため、いつも不安と焦りで追い立てられるような生き方になってしまうのです。


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