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テレビマスコミは悪の神髄
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136: 12/27 02:22
    小猫のそら   90

 愛知県で開かれた国際芸術祭「あいちトリエンナーレ2019」が終わっても尚紛糾
している。実行委員会運営会議が26日、名古屋市内で開かれ、企画展「表現の不自由
展・その後」の展示内容を批判する河村たかし・名古屋市長が出席し、この実行委会長
の大村秀章・愛知県知事と互いに言い合う場面があった。とされる。この不自由展では
、昭和天皇の肖像群を含む版画が燃える映像などの展示を巡って、大量の抗議を受けて
開幕3日で中止され、会期末の7日間だけ再開された。という。県の検討委員会側は、
芸術祭来場者が過去最多の67万人超を記録し「総じて成功」としたが、河村氏らは、
「こんなことをやれば人が集まるに決まっている。 多くの日本人の心を踏みつけた。
大失敗で国民に謝罪して欲しい。」と発言。県から市へ展示内容の情報提供も 不十分
だったとして、「大村氏の独裁独断だ。」と批判した。大村氏側は「芸術祭の事業計画
と予算は名古屋市も参画して3月に実行委で議決した。」と反論した。さらに批判を続
ける河村氏に「他の委員に迷惑。場所を移そう」と制止する一幕もあったという。この
大村氏はおよそバカである。天皇の肖像に肖像権がないわけでない。さらに国家国民の
象徴と憲法に掲げている以上そうした行為は侮辱罪に当たるのは必至で、国家公民に尽
くすべき人格がないと判断し、国民の持つ権利のはく奪や公職を辞職しても止む無しの
裁判が行われてもいいだろう。独裁国家なら死刑に処されるべき案件である。およそ人
の感情の中に尊敬とか敬愛とか愛おしさとか育むという感情行動がなければ、人として
の資格を失う。敵意や殺意の感情も起こる場面は確かにあるだろうが、国家の支えを、
嘲笑愚弄して喜ぶなんていう展示会は知事や市長の地位が失効しても構わないとしか、
常識ある人間なら思うだろう。それが社会生活であり、他人の家を土足で上がる礼儀や
儀礼のない習慣は日本人は持ち合わせていない。それは文化人であり野蛮人ではないか
らである。トリエンナーレが国際芸術祭であるなら、芸術を展示すべきである。生体の
首切り人間を展示したような興味を持たせたものが、どこに芸術性があるというのだろ
う。芸術と芸であり生きるための術を見せて、生を喜び賛美するものだ。およそ朝鮮人
出ない限りそうしたグロテスクな怨恨の幽霊みたいな展示は、子供の化け物屋敷と同じ
に「恐怖と不安とストレス」をあおるの反社会的風潮を根差した独裁政権の創る心理と
同じである。まったく建設的希望的ものでなく、ましては風刺にも社会批判にならない
物で生命や生活の訴えではない。すなわち河村氏が言うような土下座して謝っても済む
話ではない。もし、こうした物議をかもす事が目的で、そうした目的を果たした事で、
県の検討委員会側は、芸術祭来場者が過去最多の67万人超を記録し「総じて成功」と
したなら、戦争で人殺しの人数を数えて鼓舞する狂人と同じであり、すぐさま公務員の
資格をはく奪するのが望ましい。大村氏の「芸術祭の事業計画と予算は名古屋市も参画
して3月に実行委で議決した。」と反論しても、違法性があり肖像権問題をもちさらに
国民の神経を逆なでする事を期待したこうした会議そのものが、良識のほぼない実行委
で議決した。というだけで、議決したから殺人しましょう虐待しましょうという、犯罪
行為に他ならない。公務員だから良識を外した会議をやり合意したから犯罪を犯すとい
うのでは、話にならない名古屋市や愛知県だ。人の持つ人間性は心でなく行動に現れて
環境をつくる。こうした日々の行為にこの人間性がなくては、都市は犯罪と悪事の巣窟
となる。きわめてそうした様態の見える事象であり事件である。

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