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テレビマスコミは悪の神髄
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151: 01/05 15:39
    小猫のそら   100

 実際現代主流の経済学というのは、江戸期の日本の経済理論と比べても、数段落ちて
奇妙な論理で形成されている。そのそも日本政府が公務員の二職を禁じたのは自由主義
の中の独禁性を非常に警戒したからだ。今のように天下り汚職を進めるなら、世界中は
戦争が景気対策となるのは必須である。欲望は無限であり、自分だけの遠い世界の幸せ
なんぞ気にしなくてもいい社会が形成されるからだ。しかし、中曽根バカ首相が、衛星
放送で我が日本列島は不沈空母である。などばかげた言論や通念は西洋主義の机上の空
論に過ぎない。日本の優れた秩序や経済システムは、今や跡形もなく、欧州社会のよう
な貧民層を産み続けている格差社会を助長しているが、実はこの通貨システムや経済学
は、単にこの格差を減らす為に生まれたものであり、それによって自分の不都合を失く
す事で生まれたもので、物々交換でも、社会主義や給付社会でも、消費経済でも、或い
は獲れたての原始生活でも消費は行われ、貨幣の地位にはそれほど重要なものではない
。欲望の産物として生まれた様に誤解されるが、貨幣は西洋の欲望を満たすものとして
の存在が本来の目的ではない。人の目的は生活でも、暮らしや安全でもない。「幸せな
人生を送れる事」なのであって、その一部に暮らしの安全や、豊かな消費生活やらや、
付属した条件のようについているだけなのだ。そして貨幣や経済はその手段として使わ
れてきた。日本の戦国時代を見るように、各藩各所で今でいう約束手形は使われていて
、私の小さいころまで、御通帳なる商人へのつけ払いが個人でも行われていて、個人的
地蔵講など各種の投機資金クラブは存在し、そのうえ今のポイント制のような会員特典
などの集金積み立てが存在していた。つまり銀行なんぞ無くてもよかった生活が存在し
村の運営があったのだ。令和時代になって殊更昭和レトロのブームがあるが、その江戸
期の習慣の終焉期だったので、より人々の温かさが沁みるのであろう。事実人々を守る
為に国家が存在し、生活に潤いと人の幸福を願う為の紙幣発行ならば、アメリカはまず
台風の影響下に泣き崩れる市民達を救うべきであり、温暖化による被害も、広大な土地
を持つアメリカにあっては、ニューヨークのマンハッタンなど捨てて、建物や土地など
の保全よりは、住民の命や生活を保障し安全を担保すべきであろう。その為の経済であ
り、必要を満たしている社会に経済や貨幣など必要なく、例えば病院で瀕死の病人の中
に大富豪がいたとしても、彼に必要なものは実は治療であり薬なのであって、金や生活
の保障ではない。ここを間違えている。金の無い者に金が必要であり、職の無い者に職
業であり、家の無い者に家が必要なのが根本原則である。今や国家が国民の負託する思
いである生活保障の義務を捨ててしまっている。この形のおかしさは、どこの国も又、
遠からず北朝鮮の核ミサイルの所持と国民生活の悲惨さの中の、矛盾との確執の中にあ
る。この挙動不審、妄想行動を国が止めない限り正確な経済理論は語れない。なぜなら
生産と消費は一対であり、需要は一定であり不足はしていない。不足しているのは悪態
の中の国家主義なのである。よく日本は農元主義や農本資本主義などと揶揄された時期
がある。三菱や三井の近代資本主義を唱え、合理主義を推進しようとする中で、大蔵省
官吏を経て第一国立銀行を設立した渋沢栄一は、この農本主義を唱え合議主義で民衆一
体の文明開化を唱えた。そうした意見が「論語と算盤」の内容であり、思想や徳信教育
の大事さを言った。こうして100年もたてば、如何に岩崎弥太郎 (いわさき やたろ
う)が資本主義を体得してたか、或いはそれが間違いだ。とした渋沢栄一が超えていた
かがわかる。つまり日本の近代化の成功は西洋の資本主義を唱えた岩崎を却下しての、
農本主義にして自由平等博愛を実現した渋沢が正しかった事が立証されたのだ。この違
いは、一重に、差別主義、格差社会を受け入れなかった事にある。MMC理論の破綻は
今後の子孫に、あるいは今と今後の人間にジェネレーションギャップはあったとしても
格差を、あるいは差別を作るか、それを削るかの違いである。

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