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テレビマスコミは悪の神髄
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 相模原市の障害者施設「津久井やまゆり園」で平成28年、入所者19人が刺殺され
、職員を含む26人が重軽傷を負った事件で、殺人罪などに問われた元職員、植松聖(
さとし)被告(29)の裁判員裁判第2回公判が10日午前、横浜地裁(青沼潔裁判長
)で始まった。しかし、不思議なのは、この争点が事件当時の刑事責任能力の有無やら
程度だという。弁護側は「大麻精神病による心神喪失か心神耗弱だった」と無罪を主張
して、検察側は「正常心理の範囲内で、病的な妄想ではなく、単なる特異な考え方」と
して完全責任能力があったとの立場だが、双方とも間違っている。28年7月26日未
明の、入所者の男女を刃物で突き刺すなどして19人を殺害、24人に重軽傷を負わせ
たのだが、かなりに細かな計画的であり、この園の勤務実態を辞めても尚記憶していた
事で偽装や侵入経路とも綿密に犯行計画を頭の中で構成した事になる。こうしたことは
通常の人間でも半数が出来ない。つまりは責任能力どころか、知識や構想更に知恵など
IQ的学習能力は通常の我々より遥かに高く、門外の優秀生である事である。人間には
それぞれ行動力や理解力分析力など、備わっているもののかなりバランスも能力も違う
。そうした中で、彼は恐らくは最上位の能力を備わっていた。と思われる。惜しむらく
はその育成環境に何ら情緒的ものや人情的もの、更に生きる資格がその状態にあらずと
言う見識や知識に欠けていた事だ。そも精子と卵子が出会った事だけでも奇跡的ものだ
が、その上例え不具合があろうともDNAを受け継いだ子孫と言う位置を全く意に介し
ていない。よく「旅は道連れ世は情け」と言われるが、同世代の同世紀を生きる人生で
、敵同士や味方ともならない楽しさも悲しさも哀れさも共有する仲間や家族として生ま
れたのである。その尊さを全く認識できないはずはない。花一本植木一鉢であれ、人は
そこに熱心になれば世話し情も出来見守るはずだ。それがどうしてできないのかが不思
議である。そうしたやさしい監理する目線こそ、赤ちゃんや子育ての視線無償の愛情の
起源であり、それが育む夢ある社会である。自分の能力以下、社会の一般比較以下と、
簡単に決めつけて殺す行為を、非道と言わずに何と思っているのか。とても自分を英雄
などとは言えない行為に悔いを求めてしかるべきだ。弁護士も何を考えているんだか。

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