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テレビマスコミは悪の神髄
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    小猫のそら   109       

ドバイのアル・アラビーヤ国際ニュース衛星放送が報じたところによると、フランスの
オプセルヴァトゥールの東京特派員レジー・アルノー記者が、カルロス・ゴーンの人生
にせまる『逃亡者』という本を2月5日に発売する。その本は、ゴーンが6歳のときに、
父親のジョージが犯した殺人事件について触れていることが明らかになった。アルノー
記者の本を事前に入手したクウェートのアル・カバス紙によると、事件が起きたのは、
1960年4月17日。レバノンの村の路上で銃殺された死体が発見された。被害者、ボリス
・ムスアド神父の殺害捜査で3日後に5人組の犯人グループが逮捕された。その中の一
人が、当時37歳だったジョージ・ゴーンで、彼の父親である。ダイヤモンド、金、外貨
、麻薬の密輸業者であり、ジョージは検察官の取り調べに対し、「ただの脅しのつもり
が最悪の結果になってしまった。」と供述している。確信犯ではないが犯罪者であった
。ジョージは事件の20年前にナイジェリアの首都ラゴスでボリス神父と出会っていた。
ボリス神父はレバノンの山岳地帯で羊飼いから神父になった人物で、その神父にジョー
ジは密輸を依頼する。儲けたカネを分け合う関係だったが、「神父の欲深さに腹を立て
、仲間をけしかけて脅していたら、神父を殺害してしまった。」と、ジョージは供述し
ている。事件当時、息子のカルロスが6歳の話だ。父親が殺人で逮捕され、その後は、
さらなる驚きの犯罪人生が発覚している。バアバダー刑務所に送還されたジョージは、
「貧しそうだったので憐れんでやった」と看守たちに賄賂を配り、刑務所のドンとなっ
たらしい。昼間は刑務所外で過ごし夜は刑務所に戻る形で、近くに開いた賭博所で看守
や囚人たちをもてなしていたという。殺人同年の8月4日、仲間11名が逃亡を計画したが
ジョージは逃亡に加わらなかった。脱獄に失敗して逮捕された仲間が衝撃的な供述を行
う。それは、ジョージがバアバダーの地方検事、予審判事、刑事裁判所長の殺害計画を
もちかけていたというのだ。これによって、ジョージ・ゴスンは、1961年1月9日に死刑
判決を言い渡された。しかし、ジョージは模範囚となり、その後15年の禁固刑に減刑さ
れた。出所したのが、1970年。ところが、話はこれで終わらない。刑務所から出所した
4ヶ月後にまた逮捕された。3万4000ドル もの偽札を所持していた。取り調べの結果、
100万ドル の偽札をすでに販売していたため、再度15年間の禁固刑に処される。賄賂、
偽札、牢獄、出獄成功者としての人生を過ごし親分肌の気性の荒い性格が垣間見える。
3年後、刑務所内で自殺未遂事件を起こしたが、チャンスが到来する。1975年初頭に、
レバノン内戦の混乱に乗じてベイルート脱出に成功したのだ。こうしてジョージはブラ
ジルのリオデジャネイロに逃げて、ブラジルでビジネスに成功。2006年に死亡した。な
んとも、彼の父も、映画を地で行く波乱万丈のドキドキの流浪人生を送っていたのであ
る。

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sage
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