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熱血高話
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122: 04/16 03:15
 柳川 銭紋  118

、宮地嶽神社の祭神のとなった皇子の、勝頼大神=藤之助麿右は、高良宮大社の「起建
」でその名が書かれている。由緒書をもう一度読めば、筑後の神社縁起では、久留米の
高良大社の麓に鎮座する高良皇子神社(王子宮)高良皇子神社の祭神の一人である「朝
日豊盛ノ命」こそ宮地嶽神社の祭神のお一人である藤高麿勝村大明神とされる。高良宮
大社の「起建」で高良御子神社祭神は高良玉垂命の御子にて命に九躰の皇子あって、人
皇二十代允恭天皇の御宇(412〜453)、高良の神の御託宣(おぼしめし)により阿志岐
山上に九躰の社を、大宮司孝成造立する。としている(古宝殿) 四八代称徳天皇神護
景雲二年(768年)阿志岐山上(古宝殿)より現在地へ遷宮された。とされた。つまり、
九躰皇子は「高良玉垂命の御子」と書かれています。九州の名はこの九躰皇子から来て
いる。
斯礼賀志ノ命神(シレガシ)        =志賀島の姫
朝日豊盛ノ命神(アサヒトヨサカリ)    =志賀島の中津姫
暮日豊盛ノ命神(クレヒトヨサカリ)    =志賀島の沖津姫
渕志ノ命神(フチシ)           =淵の国の国王
谿上ノ命神(タニガミ)、         =田仁神=稲作の神
那男美ノ命神(ナオミ)          =那の君の国王
坂本ノ命神(サカモト)          =都の国の国王
安志奇ノ命神(アシキ)          =亜志岐=紀伊の国
安楽応宝秘ノ命神(アラオホビ)      =亜裸帯=船の神
 中国の歴史上、漢民族は外の脅威に対抗し万里の長城は異民族の侵入を阻むために、
秦の頃から作られたものとされる。元がモンゴル国家だったように、国土が占領されて
しまうことを恐れた。後漢や三国時代は、異民族の勢力が衰えている頃だが、それでも
度々侵入があった。三国志演義では諸葛亮の南征し、三国時代は漢民族同士が正当性を
争って戦っている。つまり、外からの攻撃は絶対に避けるべき政体の要であった。倭国
と魏の往来ができるようになったのは公孫淵の反乱が鎮圧されたからだ。後漢末に朝鮮
半島北部は公孫度の支配下にあった。辺境で半独立としていたが、子の公孫康の時に、
曹操(後漢)に恭順する。公孫康は帯方郡を設置し、朝鮮半島と倭を支配下に置いた。
その後、公孫淵の支配になった際に、再び独立を画策。呉と共謀し魏に反発した。その
後燕王を名乗るまでになったため、魏の司馬懿によって制圧された。公孫氏が台頭して
倭を含む朝鮮半島についての記載が滞(とどこお)っています。このことから、倭から
の使者を公孫氏が遮っていた可能性が高い。この公孫淵の反乱の件で、魏は警戒心を高
めた。失敗は当然だが、それでも公孫淵は呉と共謀した時期がある。朝鮮半島より呉に
近い倭国が呉と連携されるのは厄介だったからだ。何しろ倭国は呉のすぐ東にある国と
考えられていた。こうした話しは邪馬台国前の話しとなる。

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