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熱血高話
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 柳川 銭紋  121

 坂本 財(さかもとの たから)は、飛鳥時代の人物。姓は臣。坂本糠手の子とする
系図がある。冠位は大錦上、贈小紫で、672年 の壬申の乱で大海人皇子(天武天皇)側
にたって戦い、河内から倭(大和)に来る敵を防いで敗れたとされる。この坂本衆とい
うのはどうも姓ではないようである。実は織田信長を撃った明智光秀は、坂本衆であっ
たといわれるからだ。坂本衆とはどうも船頭の事らしく船が川をのぼる事からの言葉で
あるらしい。坂木の元でそうした行き先を知る案内役で、昔は大きな大木を目印にうご
いていたからだ。柳川坂本町は、紀元前から逸話が残っていた地で蒲池柳川城以前の城
の中心だったと言われている。その裏に鷹の秦家からの山王宮が祀られたのは当然のそ
れなりの理由があった。万葉集の歌に「大君は神にしませば水鳥のすだく水沼を都とな
しつ」(四二六一、読み人知らず)とある。しかしその後柿本人麻呂天皇記に全く似た
様な歌を2句差し出している
「大君は 神にしませば 天雲の 雷の上に いほりせるかも」という歌と、もう一つ
「大君は 神にしませば 雲隠る 雷山に 宮敷きいます」と言う句だ。読み方は、
(おほきみは かみにしませば あまくもの いかづちのうへに いほりせるかも)と
(おほきみは かみにしませば くもがくる いかづちやまに みやしきいます)であ
る。 天武天皇元年(672)六月の条、原文は、「天皇於茲、行宮興野上而居焉。此夜。
雷電雨甚。則天皇祈之日。天神地祇扶朕者。雷雨息矣。言訖即雷雨止之。」と書いてい
る。重要なのは漢字が、後に来たか。先に来たか。である。つまり時代がどっちが先か
と言う事になる。恐らく二句も作っているのは、真似たからだろう。ここで高良の神の
名前について言えば斯礼賀志ノ命神(シレガシ)と言えば足柄山の金太郎で解るように
強き高き山の意味であるつまり=日子山=英彦山の神と言う事であろう。朝日豊盛ノ命
神(アサヒトヨサカリ)朝日の昇る山=朝日嶽=栂牟礼山と言う事になる。と当然暮日
豊盛ノ命神(クレヒトヨサカリ)は日の沈む所=久保山=脊振山の神であろう。なぜ、
長崎の加羅岳でないのか、それが次の渕志ノ命神(フチシ)鏡山の神=沖津の神という
事で出せないからだ。すると逆の大分の豊前や豊後は谿上ノ命神(タニガミ)、津の神
=中津の神となる。那男美ノ命神(ナオミ)その中間地「仲御見」=那珂の神であり、
これが白兎族「博人」の足長族と思われる。坂本ノ命神(サカモト)=サイノカミ(幸
神)=出雲の神、安志奇ノ命神(アシキ)=高千穂の神=隼人族、安楽応宝秘ノ命神(
アラオホビ)=新(荒)帯(褒美)=新天地=紀伊の神と言う事なのだろう。つまり、
「大君は神にしませば水鳥のすだく水沼を都となしつ」つまり、本当のおおきみは水鳥
の住んでいる水沼の地の都にいます。と報告しているのである。

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