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熱血高話
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 柳川 銭紋  122

 水沼氏とか水間氏は全国的に散在する。だが水沼君とか水沼県主、水沼別が記紀など
の古典にも出てくるのは、筑紫平野一帯に勢力があった著名な一族で達である。水沼君
、水沼県主、水間君、水沼別が同族かどうかは諸説あるが、一応は筑後国三潴郡(現・
久留米市三潴町)を本拠にしていた氏族と言うこととなっている。とかく、筑後は筑前
に比べ華やかなところはなく、その豪族と言っても古墳や発掘遺物から見て筑前と比べ
るとかなり見劣りがする。しかしそれは、先に発達し石炭他煉瓦土や農業などで荒らさ
れて明治時代を迎え、更に殊更福岡県は軍都の建設が強く、過去の文献文物更に遺構や
遺跡が壊され続けて来たからである上、そうした風潮が今でも残っていて大事にしない
。従って、歴史に表立って出てくる豪族も高良玉垂命、水沼君、筑紫君くらいなもので
浮羽の君も、犬飼氏も、鳥飼氏も、今や探すのは困難である。但し、筑紫君は八女市に
ある岩戸山古墳を筑紫君磐井の墓と仮定したものであり、「磐井の子の筑紫君葛子は、
糟屋(現・福岡県糟屋郡)の屯倉を大和王権に献上して死罪を免れた」とあり、筑紫君
の本拠は今の福岡市だった可能性が高いとされている。残るは、高良玉垂命にまつわる
氏族と水沼系氏族であるが、高良玉垂命はその子孫がはっきりせず、結局、筑後の有力
氏族となると水沼系の氏族だけである。その水沼氏も水沼県主とか水沼君とか水沼別と
か複数の氏族かとも思われる表記がなされている。一応、「日本書紀」で水沼、水間らの
関係箇所を見てみると、神代上 第六段に「其の十握剣は、是素戔嗚尊の物なり。故、
この三の女神は、悉くに是爾が児なり」とのたまいて、便ち、素戔嗚尊に授けたまう。
此則ち、筑紫の胸肩君等が祭る神、是也。又神代上 第六段一書第三には、即ち日神の
生れませる三の女神を以ては、葦原中国の宇佐嶋に降り居さしむ。今、海の北の道の中
に存す。号けて道主貴と日す。此筑紫の水沼君等が祭る神、是也。景行天皇十八年七月
七日。時に水沼県主猿大海、奏して言さく、「女神有します。名を八女津媛と日す。常
に山の中に居します」雄略天皇十年九月四日。身狭村主青等、呉の献れる二の鵞を将て
、筑紫に到る。此の鵞、水間君の犬の為に喰われて死ぬ。是によりて、水間君、恐怖り
憂愁えて、自ら黙あること能わずして、鴻十隻と養鳥人とを献りて、罪を贖うことを請
す。天皇、許し給う。とある。要約すれば、一つは十握剣は、是素戔嗚尊の物だったが
この子孫として三人の女神が、葦原中国の宇佐嶋に保管していた。そして一つは、葦原
中国の宇佐嶋に道主貴(みちぬしのむち)とも呼ばれ、あらゆる「道」の最高神として
航海の安全や交通安全などを祈願する神様として崇敬を集めている。(アマテラスとス
サノオの誓約で生まれた女神らで宗像大神の別名が道主貴とされる。)

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