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熱血高話
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130: 04/16 10:48
 柳川 銭紋  126

『古事記』応神天皇記では、その昔に新羅王子を自称する天之日矛が渡来した。として
その渡来の理由を次のように記す。新羅国には「阿具奴摩(あぐぬま、阿具沼)」とい
う名の沼があり、そのほとりで卑しい女が1人昼寝をしていた。そこに日の光が虹のよ
うに輝いて女の陰部を差し、女は身ごもって赤玉を産んだ。この一連の出来事を窺って
いた卑しい男は、その赤玉をもらい受けた。しかし、男が谷間で牛を引いていて国王の
子の天之日矛に遭遇した際、天之日矛に牛を殺すのかと咎められたので、男は許しを乞
うて赤玉を献上した。天之日矛は玉を持ち帰り、それを床のあたりに置くと玉は美しい
少女の姿になった。そこで天之日矛はその少女と結婚して正妻とした。しかし、ある時
に天之日矛が奢って女を罵ると、女は祖国に帰ると言って天之日矛のもとを去り、小船
に乗って難波へ向いそこに留まった。これが難波の比売碁曾(ひめごそ)の社の阿加流
比売神であるという(大阪府大阪市の比売許曾神社に比定)。天之日矛は、妻が逃げた
ことを知り、日本に渡来して難波に着こうとしたが、浪速の渡の神(なみはやのわたり
のかみ)が遮ったため入ることができなかった。そこで再び新羅に帰ろうとして但馬国
に停泊したが、そのまま但馬国に留まり多遅摩之俣尾(たじまのまたお)の娘の前津見
(さきつみ)を娶り、前津見との間に多遅摩母呂須玖(たじまのもろすく)を儲けた。
そして多遅摩母呂須玖から息長帯比売命(神功皇后:第14代仲哀天皇皇后)に至る系譜
を伝える。また天之日矛が伝来した物は「玉津宝(たまつたから)」と称する次の8種
、 珠 2貫、浪振る比礼(なみふるひれ)、浪切る比礼(なみきるひれ)、風振る比礼
(かぜふるひれ)、風切る比礼(かぜきるひれ)、奥津鏡(おきつかがみ)、辺津鏡(
へつかがみ)であったとする。そしてこれらは「伊豆志之八前大神(いづしのやまえの
おおかみ)」と称されるという。(兵庫県豊岡市の出石神社祭神に比定)。『古事記』
では、その後続けてこの伊豆志大神についての物語が記されている。伊豆志大神につい
ては山陰山陽の中国地方の話となっている。天日槍の一族は、系譜の淵源を「檀君伝説
の古朝鮮の王」に発したという伝承を持ち、弁韓に移遷してその王となり、さらに日本
列島に渡ってきたとされる。その所伝は牛頭山や天日槍関連の地名分布とよく符合する
。しかし、天日槍(アメノヒボコ)は、息長帯比売命(神功皇后:第14代仲哀天皇皇后
)の祖ともされたりする。『日本書紀』に記される播磨→近江→若狭→但馬という遍歴
は、この集団の移動または分布を反映するといわれ、アメノヒボコを主祭神とする但馬
国一宮 出石神社には、八種神宝を八前大神として祀っており、禁足地には、「霊廟」
とされていて、アメノヒボコの神霊が祀られている。つまり、新羅から攻められたのは
九州ではなく、京都近くの山陰地方だった事になる。
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