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熱血高話
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135: 04/16 11:42
 柳川 銭紋  131

 囲碁の勝負の事を聞き及んだ鬼は、神通力を使って、吉備真備を、隆昌女が玄東に囲
碁の手ほどきをしている場所へといざないます。 隆昌女が玄東に稽古をつけている様
子をじっと見ていた吉備真備は、一夜にして囲碁の極意をマスターしてしまったのでし
た。いよいよ始まった囲碁の勝負は、唐側の予想に反して、なかなか勝負のつかない白
熱戦となりました。給仕役として、その場に出席していた隆昌女は、このままでは、夫
の一目負けになると読み切り、密かに吉備真備が獲った黒石を盗み取り、自分の体内に
隠してしまいます。勝負が終わった時、玄東と吉備真備の獲った地の数は全くの同数の
引き分けでした。しかし、石をしまう段になって、黒石が一つ無くなっている事が発覚
します。絶世の美女として知られていた隆昌女に横恋慕(よこれんぼ)していた安禄山は
、隆昌女が石を隠した事を知り、隆昌女の弱みを握って我が者にせんと・・・隆昌女の
身体を調べようとします。しかし、吉備真備は、すでに勝負は済んだと、それを押しと
どめ、隆昌女を救うのでした。こうして「三国相伝陰陽管轄笙筧内伝金烏玉兎集(さん
ごくそうでんいんようかんかつほきないでんきんうぎょくとしゅう」を返却を条件に、
借り受ける。安禄山は突厥や契丹、奚などの諸勢力が混在する地域に育ち、唐へ亡命し
大成を果たした軍人である。開元年間初期の頃十代の時に、突厥の混乱で、養父安延偃
の姻戚である胡将軍・安道買、安延偃の息子である安思順、安文貞らが唐の嵐州別駕と
なっていた安道買の息子の安貞節を頼りにして、唐に亡命してきたのだ。初め互市牙郎
(貿易官)に任じられたが、ずる賢く、残忍で、機転が効き、人に取り入るのに巧みで
あったと伝えられる。 開元27年(739年)に唐代玄宗期の北辺で戦功をたて、節度使に
就いた張守珪(ちょうしゅけい)の取り立てで軍人となった。突厥が北庭に攻め込んで
きた時に、郭虔灌の命で朝廷に入り、玄宗に状況を述べた。突厥は敗北し、張守珪は游
撃将軍に取り立てられ、以来幽州刺史の盧斉卿から重く厚遇され瓜州に都督府が置かれ
、その都督に任じられるまでなった。しかし(736年)、養子の平盧討撃使・安禄山が奚
と契丹に敗北する。彼を長安に送り、判断を朝廷に委ねる。張九齢の反対があったが、
玄宗は助命した。こうして安録山は(740年)、平盧兵馬使に昇進し、往来者には多額の
賄賂を贈り、誉めあげるように求めた。その甲斐あって玄宗は彼を信用したといわれる


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