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熱血高話
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146: 04/16 18:27
 柳川 銭紋  141

 筑後(ちくご)水沼(みぬま)の県主(あがたぬし)は、景行天皇18年八女県(やめのあ
がた)をおとずれ藤山をこえて南方をのぞんだ天皇に、山々に神はいるかと問われ八女
津媛(やめつひめ)という女神がいます。と答えている。水沼猿大海(みぬまの さるおお
み)の話だ。ここで、八女津媛(やめつひめ)と言う名だが、かつて柳川の地は瀬高と言
われれて、明治の頃まで言われていたが、その頃は八女津は八女でなく山川や南関であ
り、今の八女はもっぱら妻国であり続けていた。と言う。「日本書紀」によると水沼君は
「海の北の道の中に存す。号けて道主貴(みちぬしのむち)と日す。此筑紫の水沼君等
が祭る神、是也」とかく。「水沼県主猿大海」とか、どう見ても海岸沿いに本拠を置いて
いたのではないかと思われる。「卑弥呼」の名は、ヤマト王朝の史書日本書紀、古事記
には一切登場していない。一方で、中国や朝鮮の史書にはしっかりと外交が記録されて
いる。瀬織津姫や菊理媛の様に、ひっそりと存在を知られてもよさそうなものだが、消
された気配すらなくホツマツタエにも登場せず神皇正統記にさえ何も書かれていない。
(元々知らないのだろう)。こうなると卑弥呼の敵対国である狗奴国や男王「ヒミコク」
、「クコチひこ」という狗奴国の官名も登場しない。狗奴国のクナは=クマで、熊本県
球磨に比定され、「クコチ」は熊本県菊池郡の久々地(ククチ)に比定されるのみである
。当時、狗奴国との戦に際しては、魏から張政という特使が派遣され、邪馬台国には魏
軍の軍旗が与えられ、ヒミコの使ナシメは魏国より「率善中朗将」なる称号を授かって
いた。魏にとっての邪馬台国は、服従させ難い極東情勢の前衛の様なもので、邪馬台国
を失えば極東支配の足場に影響がでる。(今でいう日米関係のような……)帯方郡守は自
ら洛陽に赴き魏帝に、邪馬台国と狗奴国との風雲急を報告し、魏帝の詔書を預かった。
そうした、当時の魏国との関係や極東情勢についての緊迫した超〜重要なストーリーが
、古事記・日本書紀には全く書かれてはいない。【大分県】 邪馬(ヤマ)国=耶馬溪を
して、躬臣(クシ)国=玖珠(クス)町【福岡県】巴利(ハリ)国=杷木(ハキ)町、支惟(キイ
)国=基肄(キイ)城下(基山)、烏奴(ウナ)国=鳥栖市、伊都(イト)国=糸島半島【長崎
県】末羅(マツラ)国=松浦市、【熊本県】 狗奴(クナ)国=球磨川、と名前だけは期せ
ずして名残りはその周辺に残している。瀬織津姫(せおりつひめ)は、神道の大祓詞に
登場する神であるが、。古事記・日本書紀には記されていない。『ホツマツタエ』では
、日本書紀神功皇后の段に登場する撞賢木厳之御魂天疎向津媛命と同名の向津姫を瀬織
津姫と同一神とし、天照大神の皇后とし、ある時は天照大神の名代として活躍されたこ
とが記されている。しかし、その瀬織津姫には穂乃子という名が後に付いている。瀬織
津姫穂乃子という。この瀬織津姫は本当の瀬織津姫かは、ホツマツタエが偽書であるか
ないかとともに、真偽が問われる部分である。菊理媛は白山比盗_(しらやまひめのか
み)と同一神とされる山の女神だ。日本神話においては本文には登場せず、『日本書紀
』の一書(第十)に一度だけ出てくるのみである。その妻(=伊弉冉尊)と泉平坂(よ
もつひらさか)で相争うとき、伊奘諾尊が言われるのに「私が始め悲しみ慕ったのは、
私が弱かったからだ」と。このとき泉守道者(よもつちもりびと)が申し上げていうの
に、「伊弉冉尊からのお言葉があります。『私はあなたと、すでに国を生みました。な
ぜにこの上、生むことを求めるのでしょうか。私はこの国に留まりますので、ご一緒に
は還れません』とおっしゃっております」と。このとき菊理媛神が、申し上げられる事
があった。伊奘諾尊はこれをお聞きになり、ほめられた。そして、その場を去られた。


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