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熱血高話
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147: 04/16 20:23
 柳川 銭紋  142

 神産み神話の中で、伊弉冉尊(いざなみ)に逢いに黄泉を訪問した伊奘諾尊(いざな
ぎ)は、伊弉冉尊の変わり果てた姿を見て逃げ出した。しかし泉津平坂(黄泉比良坂)
で追いつかれ、伊弉冉尊と口論になる。そこに泉守道者が現れ、伊弉冉尊の言葉を取継
いで「一緒に帰ることはできない」と言った。つづいてあらわれた菊理媛神が何かを言
うと、伊奘諾尊はそれ(泉守道者と菊理媛神が申し上げた事)を褒め、帰って行った、
とある。菊理媛神が何を言ったかは書かれておらず、また、出自なども書かれていない
。この説話から、菊理媛神は伊奘諾尊と伊弉冉尊を仲直りさせたとして、縁結びの神と
されている。 夜見国で伊弉冉尊に仕える女神とも、 伊奘諾尊と伊弉冉尊の娘、イザナ
ミが「故、還らむと欲ふを、且く黄泉神と相論はむ」(古事記)と言及した黄泉神(よ
もつかみ)(イザナミ以前の黄泉津大神)、伊弉冉尊の荒魂(あらみたま)もしくは和
魂(にぎみたま)、あるいは伊弉冉尊(イザナミ)の別名という説もある。いずれにせ
よ菊理媛神(泉守道者)は、伊奘諾尊および伊弉冉尊と深い関係を持つ。また、死者(
伊弉冉尊)と生者(伊奘諾尊)の間を取り持ったことからシャーマン(巫女)の女神で
はないかとも言われている。ケガレを払う神格ともされる。神名の「ククリ」は「括り
」の意で、伊奘諾尊と伊弉冉尊の仲を取り持ったことからの神名と考えられる。菊花の
古名を久々(くく)としたことから「括る」に菊の漢字をあてたとも、また菊花の形状
からという説もある。菊池城(きくちじょう)は、熊本県菊池市隈府にある中世の山城
跡で、菊池氏の本拠であった。通常、菊池氏の本城(居城)を隈府城とするので、別名
で隈府城(わいふじょう)とも呼ばれる。東アジア情勢が緊迫した7世紀後半(約13
00年前)の大和朝廷時代は鞠智城と呼ばれ、九州王朝の中心であったとも思える。こ
の事から菊理媛神は卑弥呼の先祖では無かったかとも思える。八女日向ダムは実は、こ
の近くが日向(ヒムカ)の里とされ言われていたからだ。実は邪馬台国の卑弥呼とはヒ
ムカと呼ばれ、このダム周辺に住んでいたかであろうと私は思っている。邪馬台国もキ
クチコクと呼んだのではないかと思っている。この菊理媛神が「菊池姫」であったなら
伊奘諾尊と伊弉冉尊とは日子山の人間で、恐らくこの小国や大牟田の甘木などが境界で
あったろう。となると伊奘諾尊と伊弉冉尊を送った親神は大陸にあった。と言う事にな
る。伊奘諾尊(いざなぎ)が南に向かって伊弉冉尊(いざなみ)に逢いに行きそして、
日向(ひゅうがみ)で禊(みそぎ)をした伝説が本当であった事になる。となるとこの
2つのグループはその後一緒になった。そして邪馬台国が産まれたとすれば、

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