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熱血高話
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148: 04/16 20:23
八女が、
その地であった可能性も捨てきれないのである。つまり八女の大国と言う事になるのだ
。菊池氏が日足紋をつけている理由は、こうした経過があったのだろう。日足紋は九州
に多く見受けられる家紋で、むかし肥前・肥後が「日(ヒ)の国」と呼ばれたことと関
係するという。日足紋を用いた武家は龍造寺氏のほかに筑後の草野氏、肥前の大村氏、
肥後の菊地氏らが知られ、藤原姓高木氏流の系譜に連なる家が多い。龍造寺氏の場合、
惣領家が十二日足で、庶子家は十一ないし十日足を用いたという。龍造寺氏が杏葉紋を
用いるようになった由来については、以下のような話が伝えられている。杏葉紋はもと
もと豊後の戦国大名大友氏の家紋で、鎮西の武将が憧れた紋である。大友氏も杏葉紋を
一族や功のあった武将に与えて同紋衆として優遇したため、杏葉紋は権威のある紋とさ
れたが、本人は藤下がり紋が欲しかった。天文年中(元亀元年とも)大友宗隣が龍造寺
隆信を討とうと肥前に出陣したが、龍造寺隆信の部将鍋島直茂の夜襲に大敗した。その
とき、大友軍の攻撃を斥けた隆信は、大友氏の家紋「杏葉」を戦勝記念として用いるよ
うになった。と言う。以来、龍造寺氏は日足紋とともに杏葉紋を用いるようになった。
のちに龍造寺氏の跡を継ぐかたちとなった鍋島氏も杏葉紋を受け継ぎ、定紋として用い
鍋島氏の杏葉紋はとくに「鍋島杏葉」と称される。
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sage
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