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熱血高話
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154: 08/31 19:28
  歴史の群像  03

 歴史的に見て、中国は常に大国であった。陸続きの隣国が大国であった場合、周辺の
国々は常に侵略に侵される。このとき行動は、小田原評定ではないが、戦いを挑むか、
恭順を示すか。を選択せざるを得ない。大国が平和国家で考え方が侵略者でなければ、
逆にわざわざ遣唐使や遣隋使を送る事で同盟も果たす。その大国が、気は優しくて力持
ちの大国なら、災害などで困った時に助けてもらう可能性や、先端技術や貿易などにお
いて多大な味方になるだろうからだが、だが大抵の大国は他の国を敵にして国の結束を
図る。中国もそれに入り、常套手段で自己の文明を誇り、意思統一を策し、周囲の人々
を「東夷、西戎、南蛮、北狄」と呼んだ。さらには遠征までして朝貢貿易の国富の一部
を上納を求め、隣国は対応に苦慮した。隣接する大国への2つの対応で(A)大きな国
には敵わないから、最初から恭順の意を示す国は皆無に近く。下手に出てお追従を言い
続ける。ご機嫌を取って上納金を下げてもらう。としたのは朝鮮半島ぐらいで、その他
は(B)敵わないと分かっていても、徹底的に抵抗する。いくら大国でも弱点はある。
ここは自分達の領土だ、勝たないまでも引き分けぐらいには持ち込めよう。粘り強く、
ゲリラ戦や夜襲をかけ、戦う場所は勝手を知るたる郷里だ。敵を誘導し全力で叩き局地
戦や分断戦に勝利し兵站を切り交渉すれば何とかなろう。勢いに乗って相手国に攻め込
もうとは考えないが。勝った直後に相手のメンツを立てながら講和に応じる。戦に勝っ
た事で、上納金は支払わないなどの約束は出来よう。と策を練るのがほとんどだった。
当然日本も同じだった。前者では人的な損害はないが、上納金を払い続け、経済的負担
も重く、他国の信用もない。しかし後者では上納金も払わないが、強大な相手と戦う事
の負担も多く戦死者も出すが、何よりも名誉と誇りは守られ、国際社会に恥はかかない
。これが普通の国の行ってきた事だった。こうして降伏せずに戦い続けたのがベトナム
始めウイグルや日本人だったのである。隣の大国中国の対応として、朝鮮半島に住人は
もともとがこの旧元朝の都落ちの官史や宮中も多く、内情を知り言葉も交え交流も深い
立場だったからだ。従って矜持も普通の国とは違っていた。結果、朝鮮半島に住人は、
中国王朝と戦火を交えることはなかった。たまに戦う機運にある時には国が離反し時の
王が退位されるクーデターとなった。格差が大きすぎたのだ。一方で、約千年前にでも
中国から独立していたベトナムや日本は、独立後の歴史は中国との戦いの歴史が重なる
。中国王朝が変わる度に、日本やベトナムは攻められたからだ。このことは人々の気質
を大きく変える。朝鮮半島の人々は中国への恭順を千年以上も続け属国2等国民として
の「へつらい」が習い性になった。これが今の韓国や北朝鮮の「超学歴社会」と「権威
主義」、いつまでも治らない「火病」の元となった。歴代王朝の中で近代史では、「清
」が建国されてその対応を間違っていたことが、近世三百年でも多額の貢物を要求を聞
いて、屈辱的な扱いを受け続けた事が記録されている。

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