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熱血高話
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156: 08/31 19:29
  歴史の群像  05

 事実本来「西沙諸島」はベトナムのものとして第二次世界大戦は終了している。中国
が出てくる領域は一ミリも権利はない。ベトナムには「南沙諸島博物館」がある。この
博物館が伝えるのは、中国の如実な侵略と非道な歴史の伝承である。ダナンにある西沙
諸島問題に関する博物館も徹底した抵抗の精神が示されている。この一ミリもない主張
の領有権は、今や香港島を英国が勝手に中国に返して深刻である。もともと阮王朝に、
フランスが乗り込んできた時英国のシェアの中に食い込んで昔のような英仏戦争になり
たくなかったのが今の国境である。その為南沙諸島や西沙諸島を巡る紛争は、尖閣諸島
問題よりもずっと深刻である。この問題を巡っては、ベトナムと中国は近代でも何度も
戦火を交え、多くの戦死者を出している。戦後の最初の戦いは、まだベトナム戦争が行
われていた1974年にまで遡るので驚きであろう。当時ベトナムは南北に分断されて、北
ベトナムは中国やソ連、南ベトナムは米国に支援されていたのは知っての通りである。
ベトナムがこうした混乱していた時期に中国は本格的に南沙諸島への進出を開始してい
る。無茶苦茶である。混乱に乗じた友軍の侵攻だった。それを阻止しようと、当時の南
ベトナム海軍が出動して海戦が勃発した。民兵やホーチミンには苦悩が走った。米軍は
その情報に乗って韓国軍を送って前進し枯葉作戦を行っている。日本では高度成長期の
万博が終わり、石炭産業で一翼を担った端島、今の軍艦島が閉山し小野田少尉が帰国し
まさに戦後が終わろうとする頃である。この海戦ではベトナム軍兵士70人以上が死亡し
、中国側にも若干の戦死者があったという。文化大革命の下でも着実に海軍力を増強し
て中国はこの海戦に大勝利した。アメリカも敵であったはずが裏で通じてベトナム戦の
勝利終結に走っていた為叩かなかったのだ。その結果、南沙諸島を実効支配するととも
に、その領有を主張するようになった。5月にインドが初の地下核実験を実施し、日本
の経団連会長に土光敏夫が就任した。しかし、情報は日本にもアメリカにも伝わってい
てベトナム和平運動連合会、略称べ兵連は白熱化し革マル派とも衝突する。野外音楽堂
はフォークのメッカとなった。しかしここで全米ニュースにエポックが起こる。1974年
7月15日、いつものように担当するニュース番組「サンコースト・ダイジェスト」で
全国ニュースを伝えていた。ところが、番組中に映像のリールが故障、放送予定だった
ニュースの映像が流れなかった。すると、彼女はそれを受け流すようにして、視聴者に
対して語りかけ始めた。「チャンネル40にはポリシーがあります。それは視聴者の方々
に、ありのままの情報をお届けするということです。」というと、「ただいまから皆様
にお見せいたしますのは、本邦初公開の…」と語りながら机の下に手を伸ばし、隠して
いた38口径のリボルバー拳銃を取り出し、「自殺です。」と言い、自身の側頭部に銃口
を当て、躊躇することなく引き金を引き、床に崩れ落ちた。

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