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熱血高話
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165: 09/02 14:41
     歴史の群像  14    

 この文化大革命について最もはっきり述べているのは1969年4月の第9回党大会におけ
る林彪の政治報告である。その報告には、「党内の資本主義の道を歩む実権派は中央で
ブルジョワ司令部をつくり、修正主義の政治路線と組織路線とを持ち、各省市自治区、
および中央の各部門に代理人を抱えている。(…中略…)実権派の奪い取っている権力
を奪い返すには文化大革命を実行して、公然と全面的に、下から上へ、広範な大衆を立
ち上がらせ上述の暗黒面を暴き出すよりほかない。これは実質的にはひとつの階級が、
もうひとつの階級を覆す政治大革命であり、今後とも何度も行われねばならない。」と
書かれており、林彪は文化大革命を、国内の反動的勢力に対する新たな階級闘争として
とらえている。1966年8月5日に、毛沢東は「司令部を砲撃せよ」と題した大字報(壁新
聞)を発表し、公式に紅衛兵に対し、中国の良心とされた党指導部の実権派の実力者と
目された「ケ小平」や「劉少奇国家主席」らに対する攻撃を指示した。また紅衛兵によ
る官僚や党幹部への攻撃が「造反有理(上への造反には、道理がある)」のスローガン
で、正当化され追い落としされたのである。実は「劉少奇国家主席」は数少ない中曽根
首相の中国の友人だった。『毛主席語録』に掲載され、スローガンとなって、多くの人
々が暴力に走るに足りる言葉がある。「革命は、客を招いてごちそうすることでもなけ
れば、文章を練ったり、絵を描いたり、刺繍をしたりすることでもない。そんなに、お
上品で、おっとりした、みやびやかな、そんなにおだやかで、おとなしく、うやうやし
く、つつましく、ひかえ目のものではない。革命は暴力であり暴動であり、一つの階級
が他の階級を打ち倒す激烈な行動である。 」・・・毛沢東の1927年に記した言葉だ。
文化大革命中、各地で大量の殺戮や内乱が行われた。またマルクス主義に基づいて宗教
が徹底的に否定され、教会や寺院・宗教的な文化財が破壊された。特にチベットでは、
その対象としての影響が大きく、仏像が溶かされたり僧侶が投獄・殺害されたりした。
内モンゴル自治区においても、ウイグル・モンゴル族の権力闘争に起因して、漢民族の
指導がはいり、多くの幹部・一般人を弾圧、死に追いやった内モンゴル人民党事件が起
こったほか、旧貴族階級などの指導階級を徹底的に殺戮された。モンゴルウイグル地区
さえその犠牲者の合計数は数百万人から1000万人以上と言われた。1970年代に入ると、
内戦状態にともなう経済活動の停滞によって、国内の疲弊はピークに達し、それに合わ
せるかのように、騒乱は次第に沈静化して行った。そうした中翌1972年に、アメリカ合
衆国のリチャード・ニクソン大統領が訪中し、毛沢東と会談を行い、日本の田中角栄首
相も中華人民共和国を訪問した。第二次世界大戦以来の戦争状態に終止符が打たれ日本
との間で国交が樹立され、これまでの文革中の鎖国政策から改革開放政策に移って行っ
た。

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