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熱血高話
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175: 09/02 16:12
     歴史の群像     23    

 日本人にとって最低・最悪の大統領のルーズベルトはアメリカでは一番偉大としてい
る大統領だ。そして彼も、原爆投下をしたトルーマンも決して反日でも抗日でもなかっ
た。それどころか、排日法にサインしたクーリッジすらも親日家と呼ばれるほどだった
。俗に排日法と言われる物は、1924年移民法(ジョンソン=リード法)であり、第一次
世界大戦後にアメリカ国民を一国平和主義をして孤立主義(モンロー主義)とされた風
潮を進めて、日米両政府が立法府(米議会)の関与できない協定を結んだ事で、米国の
主権を侵害したとの反発から出来たものだった。実は日本は開国以来英国と親しく日英
同盟の切り崩しに、5ヶ国協定軍事同盟に切り替え軍縮会議にした。しかし議会内では
非常に強く、その流れを読めなかった国務省、在米大使館は対外的に気にしてなく楽観
的だった。とされる。1924年は大統領選挙年であった従って上下両院議員とも妥協する
余裕はなく、ここを排日ロビー活動者はねらった、前年には、ハーディング大統領の急
死により副大統領から昇格したクーリッジ大統領になっていた。ハーデングは大統領に
選ばれた最初の現職上院議員であり、在職中に死去した6人目の大統領だった。基本的
に彼は柔和な物腰で保守主義であり、そして第一次世界大戦の余波の中で、大統領選の
キャンペーンは、『敵を作らないでください』という選挙戦略であり、彼は国の「正常
」への復帰を約束して戦っていた。これが1920年の共和党全国大会における選択の候補
者の妥協の中心に据えたと声だった。ジョンソン=リード法で当初に言ったのは、「こ
の法案は特に日本人に対する排斥をはらんでいるものであり、それについて遺憾に思う
。」という声明であり、成立には否定的な態度にあった。しかし当時の人口増加で重要
なカリフォルニア州の有力者達は、先に成立したカリフォルニア州外国人土地法(しゅ
うがいこくじんとちほう、で排日土地法(ウェッブ法案)を、米カリフォルニア州議会
で1913年に可決し、市民権獲得資格の無い外国人の土地所有および3年以上の賃借を禁
止する法律を通していた。その頃は、日系移民の数が増加し働き者の経済進出が著しく
、この法案が主に日系人らアジア系移民に対して市民権獲得資格が無かったことから作
らたことは明らかな事だった。この日系人を閉め出す「排日土地法」は米国の農業で追
われたとされるドイツ人会が主にロビー活動していた。法案起草者のウェッブ・ヘニー
は、「この法案は、農業において日本人がこれ以上発展するのを防ぐのではなく、カル
フォルニア州から日本人を追い払うことを目的としている……」と述べている。ドイツ
人の移民は母国が敗戦となり仕方なし来ていた難民であり、母国を捨てたヴィルヘルム
2世の叫ぶ黄禍論が心の中に息づいていたからである。こうして後にアリゾナ州などで
も同様な法案が通過され国中がカリフォルニア州の排日運動に偏っていった。富国強兵
を目標とした日本国の目を見張る成長と経済発展は、軍事的にも列強との差を縮める物
だった。1904〜05年の日露戦争で勝って、短期間の日本がどれほど実力をつけたかを示
すのに充分な世界の衝撃だった。第一次大戦後のパリ講和会議に日本は人種平等案を巡
って何日間も議論したのは悪評を高め、日本の正論が苦杯を嘗めたことでも、五大国の
ほとんどが白人優位主義の下の平等であり、世界の人種差別を悪とは見ていない事を、
日本人は痛感したのである。特にその性質上たちが悪くいかに努力しようとも有色人種
の壁は乗り越えることは近代化に成功し列強と肩を並べても、打ち破ることの出来ない
ものだったのである

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