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関西人のクズっぷりは異常
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170: 04/05 23:58
 朝鮮人に 喝!  215

 実はこの頃、李承晩には大いなる野望があった。それが最初のラスク境界線、別称の
李承晩初期ラインである。これらは、朝鮮が傀儡政権を認める様に働きかけをしその時
主張した国土である。それには北朝鮮は勿論入っていたが、日本の九州も朝鮮領土とし
ていたのである。その為米国は韓国の条約参加を急遽一切却下としてサンフランシスコ
講和条約を結ぶに至った。ソ連はアメリカの原爆保持を知って共同統治で朝鮮半島を決
めていたが、李承晩も金日成もパルチザン仲間である事は、米国と共に知っていて何と
かなる。と思っていた。1947年以降も、ポツダム宣言を受けたサンフランシスコ講和条
約草案(特に日本の小島嶼の領有権に関する条項)過程で、韓国の李承晩政権は活発に
米議会でのロビー活動を展開しながらもそれは全て却下された事に荒れた。米国政府に
対しては(サンフランシスコ講和条約草案において)、再三に亘って執拗に対馬、竹島
を日本領から外すように要求していた事が空しく敗れた上に国際会議の出席権利を奪わ
れたからだ。そこで李承晩は、国際法上根拠のない、勝手な李承晩ラインを引き、まず
竹島を奪った。ところが、米国国務省は、その韓国政府の要求を再三にわたって断固と
して拒絶していた。そうしていたところ1950年、李承晩は正月の年頭記者会見で、対馬
、竹島の領土主張の声明なし、「連合軍の一員(朝鮮進駐軍)」ということを自称し、
朝鮮半島南部での大演習を装って対馬、九州北部への侵攻計画を実行に移しはじめた。
それを察知したマッカーサーは激怒して李承晩政権に警告を発した。つまり「もし韓国
が、国連軍による占領統治中の地域に軍事進駐するなら在韓米軍は朝鮮半島から引き揚
げる。」と声明したのである。韓国軍主力の殆どが半島南部に移動していて、38度線の
韓国軍側防御が手薄になっていたことに加えて、米国国務省の「韓国は守備範囲からは
ずす。」その旨を聞いた北朝鮮金日成(キムイルソン)とスターリンは小躍りして喜び
、南侵策を決行することにした。李承晩は「北の脅威」を「同胞」として甘く見ていて
、その警告を無視して韓国軍主力を朝鮮半島南部に大移動を始めた。対馬に攻め込もう
と軍隊動かした訳で、もう少しで対馬侵攻が始まる寸前だった。それを見て激怒したの
はマッカーサーだけではなかった。それまでの韓国政府(李承晩政権)の執拗な、対馬
、竹島に関する要求を知っていた国務省も激怒した。それでマッカーサーの警告を後押
しする意味で、アチソン国務長官は「朝鮮半島は米国の守備範囲でない。」旨の声明を
出した。こうして対馬に攻め込もうと韓国軍主力を朝鮮半島南部に動かした所で北朝鮮
に突かれたのである。それが朝鮮戦争の真相だ。その結果、李承晩という狂人一人の為
に600万人 が殺された。1949年にアチソンは、マ−シャルの後任として国務長官に任命
されていて国務長官として共産主義の封じ込め政策を継続し、NATOの結成に尽力した。
極東地域でも、1950年1月、日本・沖縄・フィリピン・アリューシャン列島 などに対す
る軍事侵略に米国は断固として反撃するとした「不後退防衛線(アチソン・ライン)」
演説を示した。ただし、この演説は台湾・朝鮮半島・インドシナなど除外地域について
は明確な介入についての意思表示を行なわなかったことから、朝鮮戦争の誘因になった
と誤解される元になったとされている。アチソンに取っては韓国は西側国か東側国かが
不明で、そもそも日本軍に付いていた国が戦いもせず米国同盟国としているのが不可解
であったし、李承晩自体が殆どの朝鮮民族に不評であった事を知っていた。

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sage
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