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関西人のクズっぷりは異常
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187: 04/11 11:06
 朝鮮人に 喝!  227

 彼の話によれば、北朝鮮はすでに長距離ミサイルであるノドン一号の開発を完了して
、94年からは量産体制に入るということだった。この時有毒な可燃ガスの開発に成功
し、東京を火の海にすることのできる大陸間弾道弾ミサイルも少なかったがすでに配置
してある。と彼は明かした。深刻な経済状態をよく知っている康は、冗談半分に「食糧
も底をついている状態なのに、ロケットなんか作る金なんかありゃしないだろうよ。」
とカマをかけてみた。すると、彼は「そのうちわかるよ」と言って、にやりと笑った。
2時間走って、江原道法洞(ポプトン)展望台につき、沈は展望台の東側に康を連れて
行き、自分の双眼鏡で、ある地点を見てみるように言った。康がのぞいてみると、巧妙
にカモフラージュされた銀色の物体が見えた。彼は言った「SSミサイルだよ。」と。
北朝鮮は1985年12月に核拡散防止条約(NPT)に調印し、ソ連から研究用小型原子
炉二基を供給され、さらにプルトニウム生産のための核再処理工場の建設を開始した。
93年3月、IAEA(国際原子力機関)は特別査察で、プルトニウムの組成、量で北
朝鮮の報告とは「著しい相違」(IAEA)を見つけたため、寧辺近郊にある二つの核
廃棄物貯蔵施設への特別査察を求めた。北朝鮮はこれを拒否し、NPT脱退を決定する
。この頃、康明道は、寧辺の核施設を担当している国家保衛部の責任者から、「核兵器
はすでに完成した。問題は、この局面をどのようにしのいで、目標の20個を作るかに
かかっている。」との話を聞いている。同じく93年5月、北朝鮮は射程1千キロの、
ノドンミサイル1号を日本海に向けて発射し、成功。冒頭で紹介したように、康明道が
「ノドン1号の開発が完了した」と聞いた4ヶ月後にあたる。日本の国土の大半が射程
距離に入ったのである。此処に来てアメリカが動いた。米国は核弾頭投下も辞さない。
とする強い軍部の声や一部議員の声に応じて試算する。恐らく韓国は報復戦争でソウル
は壊滅、2千万人規模の死者がでる。日本も幾つかの年がやられ50万程度は死滅する
。更にその後ソ連が参戦する可能性もあった。この結果に日本政府は戦争回避を懇願し
たと言われる。しかしアメリカは沖縄に秘かに1962年10月28日未明、読谷の核巡航ミサ
イルメースBに自由発射命令がくだされていた。これは沖縄県民のあずかり知らぬとこ
ろで沖縄が世界核戦争の前線に仕立てあげられていたことで、決して忘れられない出来
事の一つだった。冷戦下のアメリカ統治時代であり、読谷村、恩納村、うるま市、金武
町の県内4カ所に各巡航ミサイル「メースB」の基地拠点は秘密裏に作られ、各8基が
配備され計32の発射台が、ソ連や中国を標的にしていた。そして持ち込まれた核は、
300発に及んでいた。最終的には米軍統治下の沖縄で核投下検討期には最大1300
発の核ミサイルが配備されていたことが機密資料などを掘りだして検証されている。こ
の初期には取り扱い不注意で1959年6月19日、核弾頭を搭載したミサイルが誤っ
て発射されていた。爆発はせず、那覇沖合に着水したミサイルは米軍が回収したという
。沖縄タイムスは事故発生翌日の紙面に、米軍発表として「ミサイル発射寸前に発火」
と誤発射を報じているが、米軍から「核弾頭搭載」との広報はなかった。米軍統治下時
代の核ミサイル「ナイキ・ハーキュリーズ」が配備されていたと考えられている。

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