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関西人のクズっぷりは異常
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196: 04/11 16:24
 朝鮮人に 喝!  235

全く国連離脱の際のイエロージャーナリズムと同じ先導する嘘ニュースのままであった
この裏にKCIAの動きがあった。児玉誉士夫や国際興業社主の小佐野賢治は根っから
の米国派や欧米自由主義信奉者で西側の守り神であった。その為CIAとも深い繋がり
を持っていた。しかしKCIAは逆に旧日本軍や北朝鮮や在日や山口組に深く関与があ
た。ここに角栄の当時の対応に「金大中を殺害するつもりなら爆破するぞ。」と強く殺
害の中止を求めた意図があった。考え方が違うのだ。KCIAにはその後の大成の完成
や意味や世界観が全く無かったのだ。今回の統一論も統一を何故求めるのかが、ない。
ところが、違法もなにもない田中角栄は新しい世間の声に屈した司法や検察庁によって
「巨悪は眠らせない」の合言葉に、有罪となったのだ。角栄は悔しい限りであったろう
。ここに司法の暴走を止めなかった三木氏やそれらに止められた二階堂氏や後藤田氏が
、絡み金丸を始め「すべて名前を出してもいいんだよ。僕は。」と言う脅迫には、個人
の政治生命どころか、政界の大混乱が予想される程に、多くの大物が関わっていていた
。つまり政治資金を受け取っていたのである。清廉潔白な三木の声に驚いたのは、他な
らぬ「角丸大福」の当事者たちだった。しかし此処で赤軍のハイジャックで一転する。
例の「人命は地球より重し」の言葉である。赤軍派は新左翼とされた共産主義者同盟赤
軍派(きょうさんしゅぎしゃどうめいせきぐんは)の略称である。1969年に結成された
共産同系の日本の新左翼党派の一つに過ぎない。武装蜂起を主張して大菩薩峠事件やよ
ど号ハイジャック事件を起こし、後の連合赤軍や日本赤軍などの母体となっていた。最
左翼の分派(フラクション)として結成され、一時期は共産同の全国指導権を掌握した
関西地方の「関西派」「関西ブント」が中心となった。結成当初の人数は4〜500名程で
あったが革命には軍事が不可欠であり、革命は「革命戦争」により勝ち取られると主張
し在日との関係も厚かった。最盛期には本部を同志社大学におき、他に関東学院大学な
どに数ヶ所の大学内に拠点があった。同じく武装闘争を主張し軍事革命を標榜する共産
主義突撃隊の形成を主張する共産主義者同盟主流派の戦旗派と対立した。さらに赤軍派
の軍事主義を批判する共産主義者同盟の最右翼の叛旗派や情況派とも対立していた。こ
のロッキード事件の最中1976年(昭和51年)03月23日に児玉誉士夫の私邸に小型航空機
が自宅に突撃したテロ事件が起こった。児玉誉士夫邸セスナ機特攻事件(こだまよしお
ていセスナきとっこうじけん)である。別名を児玉邸セスナ機自爆事件ともいう。なお
、実際に特攻したのはパイパー社製 PA-28機である、日本においてはセスナ機は「小型
軽飛行機」の代名詞のように用いられることが多いため、この事件名が一般的になって
いると思われる。児玉邸の2階一部が焼けただけで、別室で寝ていた児玉は無事だった
が、お手伝いさんが負傷した。庭先にはセスナ機の残骸と、黒焦げになった操縦士の遺
体があった。その青年は、ポルノ映画などで活躍していた俳優・前野光保(29歳)だっ
た。
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