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関西人のクズっぷりは異常
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219: 05/22 18:58
 戦禍 の欲望        1−07

 しかし、この国連総会を仕組んだ人に届かなかった。それは当然であった。彼らの宗
教はキリストを批判する原理主義教団であるユダヤ教徒の集団であったからだ。この時
の会議が満州国建国を認めるか否かをめぐった事もユダヤの仕組んだ罠だった。スイス
・ジュネーブでの国際連盟の会議は、わざわざ日本叩きに臨時総会として開かれたもの
だったのだ。このときの松岡は、日本代表団の主席全権に任命されたが、既に遅きに失
していた。本会議で日本は非難を浴びたのだが、同時にイエローメディアとして新聞社
も又偽情報に溢れていたのだ。議場で、満州国建国は認められないという意見が相次ぐ
が、これに対し松岡は得意の英語で反論している。そしえこれは、「日露戦争での10万
の英霊の犠牲と、満州事変で確保したものである。」との日本の立場を訴えていた。そ
んなある日日本政府からの指示が届いたとされる。「もしも、満州国建国が認められな
ければ、国際連盟からの脱退もやむなし。」と言う電信だ。松岡は電報を送り返した。
「脱退のやむなきにいたるが如きは、遺憾ながら、あえてこれをとらず。」と返してい
る。松岡自身は、あくまで、国際連盟に残るべきだと考えていた事がここに現れている。
こうして、2月24日には、決議が行われた。「満州における中国の主権を認め、日本
の占領を不当」とする決議案は、賛成42の圧倒的多数で可決される。反対は日本の投
じた1票のみだったと言われる。実はこの国連協議は、今までの国連と違い著しく力の
ない会議で、どこの国もアメリカ主導で行われた勝手な言い分に、ただただついて行く
のみのもので既にドイツなどは脱退して意味のないものだったのだ。従って何も知らな
い外遊する代表者達の群れに過ぎなかった。可決直後に松岡は演壇に登って次のように
発言した。「この会議で採択された勧告を、日本が受け入れることは到底不可能である
。」とそう言って松岡は席を立って退場している。松岡は一言も脱退を示唆していない
。これに対して欧米の通信記者は脱退を示唆したかの様に書いて、部数を伸ばし、日本
も庶民を煽って記事を書いた。当時電信は軍部と米国の新聞社しか持たず、その通信に
頼っていたからでもあったが、それでも日本の新聞社もいい加減な報道で、1933年4月、
松岡は失意の中に帰国したが、しかし、そこで思いもよらぬ光景を目にする。交渉失敗
に、松岡を待っていたのは国民の大歓声だったのだ。新聞はその光景に次のように報じ
た。「松岡の姿は、凱旋将軍のようだった。わが国は始めて、[我は我なり]という独自
の外交を打ち立てるに至ったのだ。」と、こうして松岡は一躍、国民的英雄となってい
た。アメリカに大いに反論し決裂したと、万歳三唱まで起こっていた。これに当惑した
と言われる。実は先に言うように、各国ともいい加減な人の集まりでその後その受諾や
脱退通告などは本国からの政府の正式通知でなされるものだったが、日本の軍部も操ら
れていたのか、電波ジャックがあったのか、その一月後に日本は、国際連盟脱退を通告
している。

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