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関西人のクズっぷりは異常
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221: 05/22 18:59
 戦禍 の欲望        1−09

 それでも英国はその賭け事の債権市場を閉めなかったし、米国の軍国主義化を後押し
して新天地を設けている。国連の経済制裁決議は、北朝鮮やイランなどで大きく有名に
なったが、実はこの頃の日本人の多くは知らなかった。例えばシベリア出兵を見てみる
と、日本はしぶしぶ多大な出費を嵩んでも、国際要請に答える形でロシア包囲に参加さ
せられてチェコ人救出を行ったりしているが、遠くはキリストの十字軍の義勇兵の時代
から、オスマントルコのイスラム侵略に中央アジアと交易していた東欧の小さな諸国を
封じ込める事は習わしだった様だ。それを知らない日本軍部は戦いとなれば関ヶ原合戦
の様に、負けない装備や軍隊で押し寄せ、来いと言った米国が引き上げても尚残留して
戦争の尻拭いをしていたのである。当の国際金融は、言うことを聞かないロシア皇帝が
退位し、ロマノフの財宝を分捕り、石油のバクーの地の権益確保ができればそれで良く
体よく数個師団しか送らない身軽な戦争で、見切りをすればさっさと引き上げて、日本
がまだ残留していると国際批判を浴びせていたのだ。学校の悪ガキの悪戯同様の有様に
日本人は戸惑うばかりであった歴史である。昭和天皇が在位した時台湾の統治が認めら
れた。この事で日本は決定的にアメリカ金融界から目をつけられる。当時中国には租界
という外国人専用の権利地が始まっていて、アヘン取引にしろお茶生糸その他諸々の、
中国役人を通さない貿易慣行が起こっていた。当然日本はそこに食い込んでいたのだが
香港が英国統治領として繁栄させていたのに見習い、台湾を独立統治領にして国にした
。これでは海外の国は租界地を作れなかった。本来は朝鮮半島もそうしたかったのだが
、朝鮮半島には今の北朝鮮づたいに、既に租界地が氾濫していたのである。米国のレイ
ンボープラン。つまりカラーコードプラン(虹色策定)によるオレンジ作戦は、国防上
の隠れた認識であった。カラープランでは、アメリカの交戦可能国を「仮想敵国」とし
て立案した戦争計画で、それぞれの国に対して色別の符号を用いていただけだが、それ
でも、他にもブラック=ドイツ、レッド=イギリス、クリムゾン=カナダ、グリーン=
メキシコ、イエロー=中国、ゴールド=フランス等々、それ相応に決めていた事は確か
な事で、オレンジが日本を「仮想敵」として立案された作戦は当然あったもので、対戦
指標が無いとする日本の方が変わっていた。多数の国を対象としており、日本だけ特別
に敵視していたわけではないものの、ウィルソン時代に既にドイツは敗戦して米国は安
泰をしていたが、フランクリン・デラノ・ルーズベルトはデラノ家を受け継ぐものとし
てこのカラーコードプランを重視していた。フランクリンの母親である、サラ・デラノ
が、政治闘争に明け暮れた生粋のユグノー教徒でありつづけたからだ。デラノ一族は、
かつて阿片戦争の頃に英国貴族とともに、中国とアヘンを含む貿易を手広く行って財を
為していた為、広東茶葉事件や辛亥革命などは、筆頭のティ・パーティ主催者であった


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