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関西人のクズっぷりは異常
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223: 05/22 19:00
 戦禍 の欲望        1−11    

 この色分けのレインボープランに添って行われたのは、第一次世界大戦(だいいちじ
せかいたいせん)で、1914年 7月28日〜1918年11月11日にかけて、連合国対中央同盟の
国の戦闘であったが、ドイツもまた、シュリーフェン・プランの焼き直しで戦争を行っ
ていたのである。シュリーフェン・プラン(独: Schlieffen-Plan )は、19世紀後期の
ドイツ帝国の軍人アルフレート・フォン・シュリーフェンによって1905年に立案された
物だが、この計画は1800年にプロイセン王国軍人の息子として生まれたモルトケ将軍ま
で遡るものだ。言うなれば元寇時に「神風が吹いた」と日本陸軍が言い、「皇軍行程に
敵は無し」と言う話である。まあ日本の観念論より計画立案論なので割に現実的ではあ
るものの、騎士の世界の話が機械兵団の時代まで使われているのである。修正された形
で第一次世界大戦の始めにドイツ軍によって適用され、更に第二次世界大戦の西部戦線
における防衛調略にも使われている。この繰り広げられた世界大戦に、米国は20世紀の
初頭から、最も重要視されていたのはブラック(ドイツ)作戦を打ち立てていた。この
時も海洋覇権の戦略であり、ドイツでは当時、英海軍に次ぐ世界第2位の戦艦19隻を
保有し、第5位の日本(7隻)を大きく引き離していた。その為、20世紀初頭において
の米海軍の主力は大西洋上に常駐して配置し、フィリピンに配備されていた太平洋には
旧式装甲巡洋艦数隻からなるアジア艦隊だけだった。オレンジプランの内容はその時々
で多少は変わるが、想定された戦争推移については初期計画から変わっていない。戦争
推移での大きな事は資源の乏しい日本の「日本軍の奇襲と攻勢」「消耗戦追い込みと、
アメリカ軍の報復反攻」「日本封鎖と海上攻撃」である。この項を見ればわかる通りに
最初から、オレンジプランは日本の奇襲や先制攻撃が大前提としていたのだ。第一段階
で、日本軍によるフィリピン・グアムへの先制攻撃が想定され、この先制攻撃に対する
フィリピン・グアムの防衛については、時の情勢に合わせるとしている。ここには、フ
ィリピン・グアムが失陥しないように、一定規模の陸海軍を平時より配備して防衛する
案や、日本の先制攻撃に対し間髪入れず全艦隊をもって即時反攻を行うなどの案が、政
府のコストやリスクを考慮されて決定できなかった。結局のところフィリピン・グアム
は一旦放棄される。というのが現実的だと暗黙的な了承事項だった。これを知っていた
中国が今南沙諸島の海域防備に島の建設をしているのである。第二段階で、大西洋艦隊
の航海反撃となっていて、太平洋という広大な戦域における補給(兵站)線が課題とな
っており、これについて艦隊に随伴兵站支援を行う「役務部隊」が発案された。1922年
に実現することと共にここで、オレンジプランの研究初期から、広大な太平洋を戦域と
する対日戦が長期的かつ無制限の総力戦になり得ると予測されて潜水艦防備に力を注い
でいる。第三段階にフィリピン・グアムを奪回しアメリカ艦隊が、これらを前進根拠地
として沖縄経由で日本本土に侵攻することとしている。この際に日本海軍との艦隊決戦
も予期され、日本海軍撃滅は必須とはしていない。アメリカ海軍の目標はあくまでも、
海上制海権の獲得であり、海上封鎖を行い、物資の輸入遮断をもって経済産業を崩壊さ
せ降伏に追い込むことだったのである。

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