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関西人のクズっぷりは異常
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224: 05/22 19:00
 戦禍 の欲望        1−12   

 実際にも、太平洋戦争の推移では、真珠湾攻撃や、アメリカの南西太平洋での攻勢と
いった相違はあったものの、ほぼオレンジプランの想定通りに移行した。オレンジプラ
ン立案の見識も伺わせるが、この正確さは山本五十六がハワイの石油を爆破させなかっ
た事で成功している。これがオレンジプラン陰謀論の一因でもある。朝日新聞社の「メ
ディアは戦争にどうかかわってきたか」と言う本の中では、木下和寛はこう述べている
。「日露戦争で日本が勝ったのは英米メディアの恩恵によるものであり、日本はそのこ
とに最後まで無頓着だったから十五年戦争に敗北する。そして日露戦争の講和条約締結
時にはロシアが欧米メディアを味方にすることに成功したから、日本はロシアに譲歩せ
ざるを得なかった。」といった事例がさまざま書いてある。日中戦争の事例でも日本の
真の姿が浮きぼりにされる。「『田中上奏文』に関しては戦前から多くの研究が行なわ
れ、国内ではほぼ偽書と断定されていた。だが日本、ことに外務省は、『プロパガンダ
』の恐ろしさにかなり鈍感だったようである。松岡洋右は『上奏文の用語に熟して』い
れば誰でも偽物と見抜くだろうと言った。だが、『熟して』いたのは日本人でも一部で
あり、ましてや一般の欧米人が「容易に」偽物と見抜けたとは到底思えない。」と書く
「プロパガンダに対抗する最も有効な武器はメディアを活用しての応戦、場合によって
は別のテーマを取り上げての攻撃である。しかし、この問題で欧米や中国メディアを使
って必要十分な対抗作戦を展開した形跡は見つからない。」「大日本帝国は中国戦線の
泥沼に踏み込んだことで破滅への道を進むが、中国側で日本の運命を決定づけたとも言
える女性がいる。宋美齢である。日中戦争を通じ、日本軍は戦闘では中国国民党を圧倒
し続けるが、宣伝戦では終始中国側の優勢が目立った。その立役者が宋美齢だったのだ
。一八九七年、キリスト教のバイブルを印刷して富豪となった宋嘉樹の三女として上海
に生まれた。長姉アイ齢は大富豪孔祥熙と結婚。次姉慶齢は辛亥革命で清王朝を倒した
革命家孫文に嫁いだ。美齢は十一歳で米国に留学、ジョージア州の名門ウェイズリイア
ン女学校に学び、マサチューセッツ州ウェルズリー大学に転じて二十歳まで米国で過ご
した。一九二七年、国民党南京政府の実権を握った蒋介石と結婚。この結び付きは国際
的な脚光を浴びた。」だが日本陸軍は無頓着にも夫人の行動には注視していない。「宋
美齢が留学中に築いた人脈と、米国人の宋美齢に対する親愛感は、中国の立場を世界に
主張する大きな力となった。彼女はいきいきとメディア戦に立ち向かう。『蒋夫人のデ
マ放送』が、ホノルル特電十一日発十一日午前十一時半、南京から蒋介石夫人の英語の
宣伝がNBCの中継で当地でも明瞭にこれを聴取することが出来た。夫人は「日本軍が
無辜の婦女子を虐殺している。」と日本誹謗に重点を置き、米国一般民衆の同情を惹く
ことにこれ努めその宣伝効果は相当大きいものと思われた。」米国仕込みの英語を駆使
し、米国人の心理を知り尽くして訴える宋美齢の「中国の声」は、嘘でも日本政府には
ボディーブローのように効いた。「中国大陸における権益の競争者である日本に対し、
英米仏等は完全に支那側に立ち、蒋介石政権もそれを徹底的に利用して国際世論を引き
つけたのである。」と書いている。英米仏が権益の競争者であったことは間違いない。
だが、国際世論を引きつけたのは権益をにらんだ各国の政治的駆け引きの立場よりも、
むしろ宋美齢を中心とした懸命の宣伝戦の成果で出来た世論あったと考えられる。事実
この松岡洋右の脱退前の演説の少し前に各国首脳はこの宋美齢が指示して創った「日本
非道の真実」みたいな映画が映し出され、如何にも日本政府は悪だと言う認識を持たさ
れて多数決に向かっているのである。
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