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関西人のクズっぷりは異常
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232: 05/29 20:50
 危険な玩具と、大きな赤ちゃん  92

 中国とは面白い国で、かつて80年代から2000年代まで、英才教育システムを設けてい
た。子供達に未来を託した先駆的ものだったが、中国国内ではその卒業生の半分は中国
を捨てたと言われる。7割が香港経由でアメリカやオーストラリアに移住したのである
。その後ウミガメ作戦で3割ほどは帰国させたが、この時の汚職の共産党高官の子女ま
で強制帰国させ秘密理の裁判で労働収容所や思想教育の刑務所にいれた。そのきっかけ
となったのが天安門事件と言われている。つまり優秀な人材のほとんどが、西側文化に
今の学術のその根源があると認めてしまったのである。その後紆余曲折はあるものの、
、人肉食観光や死体人形販売、臓器移植、ウイグル・チベット人収容・香港言論弾圧と
如何にも中国人らしい醜い政策が並び今や7〜600万人規模で強制収容所を運営する
。中でもその6割とされるウイグル・チベット人収容や香港言論弾圧の収容者は、時に
連絡会う事すらままならない。これを置いて近代の収容所弾圧を語るものではない。今
やユダヤの嘘の数字に満ちたヒットラーの収容所どころではない。町並み繋がれた監視
映像モニターのいわゆる防犯カメラは5Gと映像認識プログラムで、全く完全防備の中
にある。おそらく今回スパイ事件として裁判された日本人技術者は、こうした映像の中
に不審な行動と見えた素振りがあったのだろう。日本では何気ない覗きや土地探索でも
、中国共産党の組織運営では、中央共産党政府よりは、地方政府の共産党部隊のほうが
大きく強い。それは、今回の習主席と肩を並べた薄熙来の裁判でも見て取れる。本来な
ら中央政府が機能していたなら、薄熙来の地元重慶で行われるのが正常だが、重慶での
経済犯罪の取り締まりの中で、無実の財界人が犯罪者扱いされ拷問され度を超えたやり
方に薄熙来の側近として、取締まりの重慶市警察幹部から、王立軍が逮捕されたり暗殺
されるのを恐れ、成都の米国領事館に駆け込んで起こった事件だったからだ。中国内外
の分析者らの間ではこの死体の製造工場で人体標本が国際社会に流通するには中央政府
の大物も関わっている事は確かとしていた。薄熙来の失脚は、政治局常務委員会の中共
中枢の2大派閥である共青団(共産党青年団)派と上海派(太子党)との権力闘争の中
で利用され表れと言われる。今年まで中国の最高権力者である胡錦涛は、共青団の出身
だ。その下で首相をしている温家宝は、共青団出身でないものの、共青団派の親分であ
る胡耀邦につかえ、胡耀邦を深く信奉していた。胡錦涛も、胡耀邦に育てられた。その
他にも上海派であった江沢民もいて三つ巴の政争が起こっていたのである。薄熙来は、
父親の中国革命によって中共成立後に副総理などを歴任した薄家の流れで、太子党(二
世政治家)で確固たる基盤の上にあった。胡耀邦を悼む市民運動から始まった89年の
第二の天安門事件で、薄一派は反政府的な市民運動を武力で鎮圧することを主張した。
当時の最高指導者だったトウ小平の支持を得て胡錦濤は天安門事件を修め後、武力鎮圧
に反対した趙紫陽や胡耀邦系の人々は外され、トウ小平は江沢民ら上海派を出世させる
。こうして薄氏ら保守派も権力の座に残った経過がある。上海派は、二世政治家たちを
取り込んで権力を維持し、江沢民は天安門事件で薄に恩義があり、薄熙来は江沢民のも
とで出世したのだ。当然民主主義への流れには疎ましい存在だった。劉暁波がノーベル
授賞し中国も政治改革を進める頃、海外の批判に温家宝は行き詰っていた。天安門事件
で、胡耀邦や趙紫陽といった温家宝の共青団系の恩師が失脚し、上海派や太子党の台頭
を招いたことで、温家宝の思う改革も天安門再評価の提案も流れていた。この意見が、
上海派に対する挑戦状であると読み解け、温家宝は、これまでも何度も政治局の会議で
天安門再評価を熱弁しても、薄一派や薄熙来から提案に強く反対を受けていたという。

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