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関西人のクズっぷりは異常
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249: 08/26 13:59
   朝鮮人に 喝!  302

こうして日本のジャーナリストは日本国内の事情を書くことが出来なくなり海外に行く
 戦後にひそかに大陸に渡って、中国残留孤児を取材しに行った人が幾人かいる。彼ら
は取材というよりは知人に頼まれて孤児を見つけに行った。といったほうが正しいかも
しれない。この時ほとんどの中国の老人達は、「なぜ日本軍は、中国を見捨てたのか」
という涙だった。そして、「私も日本に連れて行ってくれ。」だった。酒でも酌み交わ
せば、「日本人の暖かさやさしさが身に染みてかなしいばかりだ。」と言った。日本人
の渡航は幾年か台湾から南や西には行けなかった。台中海峡では国民党軍と共産党軍が
入り乱れて対峙していたからだ。中国人民からは乞食軍と夜盗軍で八路軍などは追剥ぎ
盗み放火の進軍と揶揄していた。それが実体だったのである。そうした人民のうらみ節
は朝鮮半島も同じだった。日本がまだ闇市で乞食ばかりだった頃駐留米軍相手の仕事し
かなかった。そうこうして食いつないでいる中で北朝鮮は夢の国という広告が流れて、
朝鮮人が一掃されると、私の親は思ったそうだ。そして、親戚には騙されるんじゃない
と叱っていた。ブラジル開拓団の話も「騙されるんじゃない」であった。誰もが、そう
知っていたが背に腹は代えられない。と腹をくくって飛び込んでいった人もいた。そう
誰もが身内が死んだり、兄弟家族に負担にならない様気にしている民族柄だったのだ。
悲しい事に予想は的中し朝鮮戦争は勃発した。行政を預けて帰還した人は、あんなに、
何でも残して来たのにと悔しがっていた。敗戦時の大陸の悲惨さは相当なものだったら
しい。既に本土玉砕という備えに、兵隊さんは日本に数多く帰っていたらしく少数が残
っていた中に、新型爆弾のピカドンが落ちた情報で殆どがいなくなった。玉音放送前に
大陸鉄道は止まっていて、ソ連軍の急襲もあった。とある人は話す。1945年8月9日、
にソ連は突然ソ満国境線を破り、怒涛の勢いで日本軍への攻撃を開始した。と言われる
しかし、現実には日本軍という軍はいなく治安部隊と満蒙開拓団の自警団でしかなかっ
た。同年4月5日、ソ連は日本側に対し、日ソ中立条約の不延長を通告していたのだが
、同条約は翌年4月まで有効期間が残っており、この対日参戦は条約違反であった。ま
た大きな問題は、この攻撃の過程で、ソ連軍は虐殺・強姦・掠奪等、様々な非人道的な
行為の戦争犯罪を行った事だ。日ソ中立条約は1941年4月13日、松岡の号令一下、天皇
の意向や英国の忠告にも耳を貸さずモスクワで締結された。(条約発効は4月25日)。
 第一条 両締約国ハ両国間ニ平和及友好ノ関係ヲ維持シ且相互ニ他方締約国ノ領土ノ
     保全及不可侵ヲ尊重スヘキコトヲ約ス(不可侵の尊重行為の確認)
 第二条 締約国ノ一方カ一又ハ二以上ノ第三国ヨリノ軍事行動ノ対象ト為ル場合ニハ
     他方締約国ハ該紛争ノ全期間中中立ヲ守ルヘシ(中立の厳守)
 第三条 本条約ハ両締約国ニ於テ其ノ批准ヲ了シタル日ヨリ実施セラルヘク且五年ノ
     期間効力ヲ有スヘシ両締約国ノ何レノ一方モ右期間満了ノ一年前ニ本条約ノ
     廃棄ヲ通告セサルトキハ本条約ハ次ノ五年間自動的ニ延長セラレタルモノト
     認メラルヘシ(契約事項の有効期間)
ところが本条約の締結後間もない6月22日、ナチスドイツは独ソ不可侵条約を破ってソ
連への侵攻を開始し、膨大な機甲部隊を投入したドイツ軍の電撃作戦によりソ連は大敗
を喫し、たちまち国家存亡の危機に追い込まれた。のである。

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