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まー
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228: 08/25 12:05
 朝鮮人に 喝!  277

しかし、杉山元帥は東条にこうも主張している。「敗戦となれば日本が滅びてしまい、
全てを無くしてしまう・・・・参謀総長の立場にある者として、日本を敗戦に導くこと
はできない。戦争とは結果において勝利を得ることが肝要であり、今の日本において、
手段を云々できるときではない。勝てば天皇にお喜び頂けるに違いない。そして 天皇
が希求される世界平和を実現できるではないか。」と。杉山元帥は、敗戦直後自決した
。天皇はおそらく日本の未来を見据えていたのだろう。ハワイの真珠湾攻撃にも、当日
に充分に記者を呼んで宣戦布告を記者会見をしている。海軍大将の山本五十六はラジオ
でそれを聞いていた、神戸に浮かんだ船の上でエッソの支配人と会談し、貯蔵タンクを
空爆させない故を伝えていたと言う。つまり既に和平交渉をしていたのである。しかし
既に日本向けの石油は英国の海軍の権利となっていた。更に陸軍はハワイ攻撃と共に、
チェンバレンの油井をパラシュート部隊で窃取することに成功していたのである。が、
こうしたことは、米国の諜報活動で、すべてルーズベルトには筒抜けだったのである。
つまり「日本人ジャップが卑怯にも、ハワイに奇襲攻撃をした。」と言うのは真っ赤な
嘘の演説であり、日本側もそうした嘘がないようにハワイの油井タンクを攻撃しなかっ
たのである。もっともこのハワイをできる限り軍艦のみの攻撃にしたのは天皇の意向で
あったのだろう。そもそもこの世界大戦の理由はソ連の台頭にドイツが怒り、フランス
がソ連を後押しした事にある。鉄道インフラ、石油燃料機関、化学兵器、電気電信機器
などの新しい文明の利器のインフラに、当初イギリスが余裕に浸っていた。しかし米国
の物凄い速さでの終結で、利益を米英で分かち合った。古来より資本家の貴公子の国は
投資先に米国とソ連を選んでいたが第一次大戦の痛手が米国には残って大恐慌をきたし
ソ連は革命の火が残っていて、ドイツと英国にしか安全な投資先は無かったのだ。この
中でドイツが持ち上げた拳はソ連との戦争で領土拡大する事だった。事実第一次大戦時
ほとんどの北欧や東欧のいわゆるスラブやバルカンの地は一時的にしろドイツ帝国のも
のとなった。これがヒットラーの東方生存権構想の発端である。戦時中の戦略は色々と
たとえば「人種差別」とか「V2ロケット」「絶滅収容所」とかキーワードは出るが、
ドイツ人の生産にかまけて仏英人が仕事しなくなって戦後賠償の金融の利子で食ってい
た事が背景にある。これが白人社会に優位主義を生んだ。つまり米国を欲深き守銭奴に
変えたのだ。その中でヘンリー・ハリマンが日本に満鉄の共同運営を持ち掛けて、小村
寿太郎によって御破算になった。桂ハリマン協定(かつらはりまんきょうてい)は西暦
1905年の10月である。小村の留守中に訪日し、日本国の内閣総理大臣であった桂
太郎とアメリカの企業経営者であったエドワード・ヘンリー・ハリマンで成立した合意
が破棄された。つまり代理大使の小村寿太郎の方が、総理の桂寿太郎より上だったのだ
。これは海外の外国人には奇妙なことだったに違いない。


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