[*]前 次[#] [0]戻 [4]履歴
[1]最新 [2]最初 ▼[3]コメント欄

まー
25/25頁 (247件)
246: 08/27 14:50 ID:YM
  新経済論               60

 1922年突然アメリカは暴れ川の氾濫で大きな災害となった。コロラド災害である
。かねてからこの大河は度々洪水被害を起していた。西部劇で有名なコロラド平原にも
実は自然の治水があって、全長2300Kmのロッキーの雪解け水をカリフォルニア湾
に届けるこの川は、カリフォルニア平原の140平方Kmの農地の治水はこの川は生命
の水でもあった。フーバーダムが作られたは、恐慌の為だけはなかったのである。12
の放水弁を持つ巨大規模のこの開発を決めたのは、既にドイツに目覚ましい発達と戦争
の1929年にブラックキャニオンにダムプロジェクトが開始された。都市の3割失業
をこのプロジェクトが穴を埋めた。一日5千人の作業員が投入され1935年の竣工式
にF・ルーズベルトはこれまで使われなかった川の流れが西部に恵みをもたらすと演説
した。後にフーバーダムと名のるこのダムは、年間40億Kwの電力を3州に供給した
。日本では恐慌以来長州閥の政府も資金繰りがいかなくなって、日本の産業の祖とされ
る野口尊(したごう)に陸軍が訪ねて資金と技術提供を求めた。野口尊は腹をくくって
朝鮮の経済運営に乗り出した。当時日本初のカーバイト事業で財を成していたが三井な
どの財閥の参入によって、窒化肥料の新工場を立ち上げていた。これは後の水俣病の素
となった窒素科学の会社である。朝鮮半島に渡って、野口の私財で全額出資で朝鮮水電
株式会社が設立され、赴戦江ダムと赴戦江発電所の建設し、わずか3年で成果を得たの
である。こうして日窒コンツェルンが築かれ、赴戦湖(ふせんこう:標高 1200m)の湖
は 27.5kmのトンネルを通じて咸鏡山脈南麓の城川江に落とされ、20万KWの電力は朝鮮
窒素肥料株式会社・興南工場で使用され肥料やカーバイト生産に使われた。ダム事業の
その成果は僅か3年でだして5年後はその科学産業の量は、日本を上回った。その後も
資金投下がなされて、朝鮮半島が日本の統治下であった1937年(昭和12年)に満州国や
朝鮮の電力の拡大確保の為、水豊ダム(すいほうダム:北朝鮮平安北道と中国遼寧省の
鴨緑江上流の中朝国境)に建設された。日満国境のこのダムは、設置されたこのダムは
発電機7基のうち、3基は朝鮮向けの60 Hz、3基は北京向けの50 Hz、1基は50 Hz、60
Hzどちらでも発電可能な物であった。竣工から70年以上経過した現在もダム本体は大
きな改修工事が行われず現役であるのに驚く程だ。日本統治時代の末期に8年の歳月を
かけて建設され、その強力な発電能力は北朝鮮に戦後から莫大な富と電力をもたらし、
1948年春に金日成主席によって国章に含まれるまでなっている。ダム高さは 約106m・
幅約900m・総貯水容量116億立方mであり、建設当時は東洋一の規模を誇った。又アメ
リカコロンビア川などのフーバーダムなどに引けをとらない威容と技術と先駆けをほこ
っている。この野口の成果は経済学でもとっても重要な成果でもある。つまり技術革新
よりは、何もない所から創り出す作業の大きさは、その後のうま味と利権が莫大であり
世界を変えるほどにある。ということの日本での証左であろう。それはその後の草と蛇
しかいない。とされたテキサスが突然大油田地帯と化して日本が戦争に負けた事も歴史
が物語っている。もしテキサスやメキシコの油田がなければ、黒海油田に集中して戦争
が行われ、それこそナチスの天下だったかもしれない。赴戦湖ダムは1929年10月に竣工
している。鴨緑江の支流・赴戦江を堰き止めし、面積約24平方キロメートルの赴戦湖が
生成されたが、アメリカのフーバーダムはこれを真似てダム建設に乗り出している。
[*]前 次[#]
▲[6]上に [8]最新レス [7]ピク一覧

名前:
Eメール:
コメント:

sage
IDを表示
画像を投稿(たぬピク)
現在地を晒す