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負けるな日本
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1008: 10/15 01:16 ID:E.
「日本はもはや、奇跡を必要としないチームである」(アイリッシュタイムズ)の称賛
が聞こえる。堀江・稲垣・田村は縁の下の力持ちから、一躍ラクビースターに躍り出た
。日本にラクビ−ズムの流行が出来ようとしている。個人の知力・体力・技能に加えて
集団の自立自尊・集団規律・無償の奉仕が際立って高いチームだったのだ。よくかつて
の戦時中の特攻隊になぞらえて自己犠牲や奉仕精神などと捉えがちだが、全く基本が、
違っている。それは、特攻や切腹や自爆テロを同じにみている視点と同じ愚かさである
。まず自爆テロは明確な宗教儀式であり、犬死の強制である。ところが特攻は志願の中
で選抜されさらに既に国家の体面として終戦や停戦の席を設けたいが為の奮戦で大局的
視野と信頼での玉砕作戦である。つまりもし自爆テロが同じであるなら隊長以下命令し
た長官までその司令の命がけでの戦いあるいは切腹が行われなければ同じではない。そ
の違いが今の現代人にわかるとは思えないが、切腹も自殺ととらえがちだが家名の屈辱
を回避するもの。つまり武士という地位にあるものだけがやっていいものであり、商人
や現代人がお上の許可を得て死ねる場がない中では、そうそう理解できるものではない
。かつて226事件や515事件では、この天皇謁見と切腹を認めてくれと青年将校は
哀願したが、昭和天皇は許さなかった。つまり許可を得て恥をかかない作法として切腹
があり割腹自殺した三島由紀夫などは、自殺であり切腹などではない。これが海外での
腹切りという訳のわからない用語で広まっている現状に現代人が頷いて誤解してる精神
であるのは間違いない。ところで話を戻せば、チームワークという言葉がいまいち日本
流の言葉に置き換えると幾つもの広がりがある。チームが集団であり、ワークが仕事と
言うのはわかるのだが、持ち場の仕事なのか、組織への奉仕なのか、要請される強制さ
れたミッションの達成なのか、よくわからない言葉であるが、教育者や監督は簡単に話
す言葉だ。概してチームワークを結束力と捉えがちだが、全く違うものと私は思ってい
る。更にチームワークをチーム全員の標準化とも考えている節があるつまり一様な行動
や習慣やまとまりである。だがこれもチームワークではない。ここに集団規律がある。
つまりどこを基準に守るべきか守らないでもいいかの基準線があるか。ということだ。
逆に言えば、この境界線を皆んなで了承し同じ認識にいるか。である。ともすれば、こ
うした触れ合う競技では喧嘩同様になる。しかし、奮闘しながらもちゃんとルール内の
プレーができているかが大きな魅力である。つまり肉体を酷使したHIな決闘でありな
がら、この競技はチームプレーとサッカーの様な必要不可分の戦略や防御や攻撃が必要
なのである。この競技のミッションは多分勝つ事ではない。自分に負けない事である。
その意味ではこのスポーツほど全員のこれまでの努力が必要な物はない。手を使い足を
使いさらには格闘技の如く何でもありの中で、正面のボールに怯まない事がルール上に
ある。つまりスクラムも、タックルもタッチダウン、ロストボールも正当であらねばな
らない。と言う事でサッカーの様なゴール前だけのオフサイドではない。常にパスは、
後方しか認められないのだ。とても中国人や韓国人の様に法を奇妙にいじる精神では、
とうてい出来ない競技であろう。紳士でなくばできないレスリングのようなものだ。

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