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もっと成長しよう
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103: 01/17 19:05
 終戦時にソ連が漁夫の利を狙った事は間違いない。なぜならソ連侵攻の6ヶ月も前か
らソ連に米中の仲裁と終戦を頼んでいた事は解っている。ソ連が満州に攻め入ったのは
ドイツ降伏があって、財宝を運び出し、ソ連戦車を大陸に送ってからだった。既に海洋
の航路封鎖で、客船・貨物船・大型漁船と米国は無差別攻撃して日本船を沈めていた。
日本は貨物船は勿論客船・漁船をそれぞれ石油タンカーに改造して3000回以上次々
と日本に石油を送った。勿論油井まで行くのはそれ以上であった。日本に届いたのは、
初期の10隻ぐらいとたまたま攻撃を免れた3〜5隻と言われる。殆どが沈められてい
る。このすべては民間船である。国際規約も事戦争では役に立たなかった。この後も、
日本は米国に、先のカイロ宣言や全面降伏に天皇さえ守れるならと降伏対応の打電はし
ている。しかし、米軍はその後も東京空襲や原爆投下を行っている。従って日本人には
原爆投下が戦争を早く終わらせたとか、兵士や戦争被害者を減らしたなどとは露ほども
思っていない。しかし原爆の威力が、時のソ連をの文句を黙らせた事は認めるだろう。
日本が分割統治に為らず、又天皇制のまま残ったのは恐らく原爆におののいたソ連側の
沈黙があったのだろう。ソ連はこの玉音放送一週間前に突然勝手に不可侵条約を破って
攻めて来た。そもそも建国などせずに日韓併合で止めて満鉄の権益のみで止めておけば
、それで済んだ事であったのだろうが、日本は内憂外患のままに拡大主義に走っていた
軍部があったのが現実だ。この時、海外の植民地からは希望の幕徒として、先進国には
対ドイツ制裁の口実として、そして中国ソ連からは、共産主義の南下の糧に、朝鮮から
はレジスタンスの目標として、日本は利用され続けた。講和条約の頃、中国は第二次世
界大戦中連合国であったが、条約締結当時、そうした外敵日本で結集した者も退席すれ
ば国共内戦を経て1949年に成立した中華人民共和国と、内戦に敗北した蒋介石らの中華
民国の二国に分裂しており、いずれを代表政権にするかついて米英の意見が一致しなか
った状態だった。英国は当時、早々と香港島の権益を条件に中華人民共和国を承認して
おり参加を主張し、一方、カイロ会談で中華人民共和国を承認していなかったアメリカ
は中華民国の参加を主張した。また1950年06月25日に発生した朝鮮戦争において、中華
人民共和国とソ連は北朝鮮を支援し、英米韓などの連合軍と交戦状態にあった。朝鮮の
戦争はその後1953年07月27日に休戦したが結局、日中間の講和については独立後の日本
自身の選択に任せることにして「中国」の招請は見送られたのだった。


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