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もっと成長しよう
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61: 04/19 21:36
 あああ〜〜〜〜あ01 人間とはいつの時代でも不確実なものだ。例えば正義を振りかざし正論の気炎を吐く
。するとどうだ。今日はやめとけ、今は酒宴の席だ。などと言う列席者の声で黙る事は
多い。更にはそうした事を言うべき重々しい席だと尚更戸惑い考えてしまい声を潜める
どころかなくしてしまう。こうした事が度重なる間に 強気一辺倒の彼らは馬鹿を見る
ように我らを蔑み、まるで能力がないかのような発言を大きな声で罵倒した意見を言う
。これはしたり、と反撃するほどに能力や記憶があればいいのだがそこはそれ時の流れ
に身を任せたように交わす事で精一杯で今日までやって来たのがサラリーマン人生の艶
なのだが。はたしてこれで私の人生は良かったんだか悪かったんだかわからない。人生
の齢を50も重ねると時として神以上の先や過去が判るときがある。ここはこうだあれ
はこうだなどとボヤく事も無しに当然だろうと自分自身に達観した事を語りかける事も
多々ある。半分逃げ腰かもしれないし半分は強気で物を言っているのだが上手く相手に
は伝わる事も無い。仮に伝わったとしても所詮は他人は他人である。自分の意思通りに
動いては居てもその本意は又違っていて 仮に今までが全く希望道りの行動でも今から
の未来がそう同じだとは言い切れないどころか同じであるはずのないのが現状なのだ。
 この生きている証生に喜んでいる証がそのその仕事に無い以上辞めるべきだとわかっ
てはいるものの辞められない。何故なら私自身のみならず私を支える多くの方々の迷惑
がそこにある事を知っているからだが それでも今いる立場は辛く生きる事は虚しい。
この憂う気持ちの宿り木を今も探してはいるのだろうが刻刻変わる社会変化には到底、
ついていけない自分がそこにいるのは解っている。まずは自分の行動論理に戒めは必要
だしその訂正も又必要だろうが 現代文化の中ではたしてそれが可能かと言えばそれに
は 疑問符がつきまとう今日このごろなのである。
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sage
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