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1: 名無しさんAA:11/05/17 15:39 ID:Sg
さてさて一体どうしたものか
金はなし 仕事もなし
さりとて 昔の暮らしも出来ないものを
金に追われ 貧乏に明け暮れたとしても
今ほどの鬼気迫る事はなかったものを
仕方なしにも 現代に足を踏み入れた私は
一体 どうしたものか と 途方にくれる 


168: 名無しさんAA:19/11/11 08:31
  歴史の群像     233

 日本が国際連盟を脱退したのは昭和8年3月。この年ドイツでは1月にヒトラーが首相
就任して、世界不況で激化する労働運動対策として、共産党・社会民主党を次々と追放
し、独裁体制を固めている。更に国際連盟に軍備保有権の平等を求めて改めて拒否して
それによってドイツは日本に習った行動をとる。国際連盟脱退賛成が9割を超える支持
は国民投票を経て現実となった。こうしてドイツも10月、国際連盟を脱退した。共に国
際関係の中で孤立していた両国間に協調を求めるムードと、米国の排外悪者論が根をは
ったし、その謀略が働いても一向に不思議ではなかった。欧州では日本以上に疲弊して
いたのだ。原因は言うまでもなく第一次世界大戦による後遺症になるものである。戦後
の混乱を終結する為の団結心が覆う。イタリアでは大正11年にムッソーニが、ドイツで
は昭和8年にヒトラー(1889〜1945)が政権を握り、独裁体制を作りあげ、昭和7年に五
・一五事件、昭和11年に二・二六事件が発生している。これらを見るに欧州は日本より
政治的に、経済的に、病的な状況が進行していたのである。彼ら独裁者はクーデターで
政権を掌握したのではなく、選挙で選ばれ、民衆の支持を得て、合法的に独裁体制を築
いた体制だったとされる。たとえ9割以上の同意による国民投票がその後、幾度となく
隣国の併合など国家の重要な案件の政治的意思決定に用いられたとしても、これが英米
法的なコモンローの概念や「法の支配」という概念とは異種のものであることは容易に
推察される。しかし、米国同様に愚衆から多数決を取った民主主義の概念やシステムか
ら進化した立憲主義の概念はまだ存在していなかったのである。その意味では記述され
た法に則り確かに実定法には適法だった。「法の支配」に則っているという意味で合法
的とは言い難いがそれは運用のものであり、米国の戦争突入が裁判されない様に、日本
の軍国化もドイツの侵略していく防衛戦争も、誰も止められなかったのである。オルテ
ガの『大衆の反逆』(1930年)やル=ボンの『群衆心理』(1895年)に、見るまでもなく、
20世紀以降の民衆は、世界の全体主義の危険や流れと並存して国家運営をしていたのだ
。経済的苦境に立たされたドイツ。イタリアでは、民主主義的な意思決定に時間がかか
っていた。ナチズムという新たな薪の紐結び論が台頭し、表面上ではあるにせよ短期の
うちに混乱を収拾するためには独裁政治の方が適している。という世論だったからだ。
こうした世論の誘惑に抗うことができず、悲劇に到る道を歩んだ両国の正確な情勢分析
すれば、少なくとも国際連盟脱退前の我が国が、世界の事情を把握する必要があった筈
が、何故かしら阻害されて、中国の中の共産党信奉者によって、引きずり込まれた形で
あった事がわかる。ここで言う中国国内の信奉者は何も中華民とは限らない。よくよく
分析すればゲリラ戦の特攻隊はほとんどが督戦隊方式の中国人に操られたり、雇われた
りして騙された朝鮮人が多い事に気付く方も多いだろう。いまの蛇頭の人身売買が中国
人でありながら、英国で見つかったコンテナ社内の死人が全てがベトナム人のように、
督戦耶方式(とくせんやほうしき)で他人に殆ど任せて利益だけ盗む方式は中国の専売
特許的やり方である。日本では退化する文化・文明がみられるが、中華では、益々盛ん
に、他人の褌で相撲を取る方式に特化している。偽物(にせもの)文化、贋物(がんぶ
つ)文化の果てを目指してるようにビルを建て都市化し、投資も盛んに他所の国の技術
を盗み、他人を動かして巨利を得る。非道徳の限りを極めたこの主義に香港は立ち向か
うだろうが勝つ見込みはさらさらない。国際社会の協力しか頼れない。この構図自体は
かつての日中戦争時代とそっくりなのは、おそらく民族的性格からであろう。


169: 名無しさんAA:19/11/11 08:50

 まーだこの後に及んでも韓国はうその線を引く。何という愚かな国民で汚い文政権か
。GSOMIAは日米韓の三ヶ国協業のアジアの安全保障問題であって二ヶ国問題では
ないのは明らかなことで、だれが見ても韓国が混乱する処置である。時の安全保障室長
も、あれだけ部下も軍も民衆も国際社会も、この廃棄はおおきな損失だと声明をあげて
いるのに 愚かな事だが、「全く影響はない」と言い切っている。既に投資家さえ韓国
か離れ、北朝鮮の長距離多弾砲火の照準に入っているのにまったくこの薄らバカは危険
すら感じないらしい。日本や米軍はもうこの半島を救えない。さっさと北朝鮮の金正恩
に原爆でも落としたほうが影響や被害は少なくて済むだろう。もう韓国民の安全保障な
ど考えるな。生きる資格や地球上の同種の社会にいる存在資格や存在価値はない。これ
だけ世界を不幸にしていいはずもない。


170: 名無しさんAA:19/11/11 12:17
  歴史の群像     234

 世界中の大きなテーマとしては、「国家と戦争」のテーマの議論は長い間、論争され
ていて今後も止むことがないであろう。大きくは政治と結びついた領域で、信仰や民族
と貧困など、その時々の国の政権や民族的流行のイデオロギーに大きく左右されている
かのように扱われる。しかし他方、当時の国際情勢分析、国内事情検証、そして当事者
の政治家や指導者の人物研究をみれば、時代錯誤の当然の成り行きがあり、大国の行動
を読み解けなかった現実がそこにある。歴史的な解釈を組み立てていく議論の方法もあ
るが、例えばドイツのベルリンの壁崩壊は、民衆が起こした崩壊ではない。たまたま、
時のドイツのホーネッカ首相とロシアのゴルバチョフ書記長が歯の合わない犬猿の中で
自由旅行の提言に、西側東側の往来の規制項目が盛り込まれてなかった事で実現した。
同じ様に日中戦争もたまたま毛沢東がソ連の補助金にコミンテル会合の中国側受付担当
員になった事で治安の良かった中国が、ゲリラ活動で荒れてしまう国内に変化するのだ
った。昭和10年、第7回コミンテルン総会で人民戦線テーゼが採択され、国際的に連帯
し共産革命を推進することが決議されたが、この頃比較的穏やかだった中国国内に日本
軍の協力を仰いだ蒋介石将軍がいた。世界中で独立の兆しが現れ、同年イタリアがエチ
オピアに進出し、国際連盟と対立、翌年エチオピアを併合する。同じ頃、満洲事変後、
華北地方を国民政府から分離して日本の支配下に置こうとする華北分離工作が関東軍を
中心に推進されていく。昭和11年にはベルリンオリンピックが開催され、ドイツの急激
な発展が目を引いた。そして共産党の脅威に対抗し、同年11月、日独防共協定が締結さ
れた。当時、それと共にドイツとイタリアも連携を深め、翌年には日独伊の3国による
防共協定が成立。この事が遠因で、イギリス・フランス・アメリカの警戒心を喚起し、
第2次世界大戦への道筋が出来上がったのである。日独防共協定締結時、満鉄総裁であ
った松岡は「日英同盟に代わる日本丸の新しい舵がやっと造られた。」と大喜びしたと
いう。つまり英米嫌いであったのだ。その後に、日独の協定提携を「心中にまでゆくべ
き夫婦の契り。」とまで言い切った得意満面の記者会見は日本に不気味な戦争の足音を
響かせている。大正10年に理事として満鉄入りし、衆議院議員に選出される昭和5年
まで日本の満洲経営の最前線で活躍していた松岡は「満蒙は日本の生命線」という大衆
扇動的なキャッチフレーズを最初に唱導した人物でもある。その頃からドイツに酔いし
れた方向性が見える。その松岡が、華北分離工作と無関係であるはずもないのだが、昭
和12年7月の、北京郊外の盧溝橋事変によって満洲事変を起こし、それを遠因とする
戦火は次第に拡大していく。盧溝橋事変からわずか3年後の昭和15年7月、日独軍事
同盟締結を至上目的とする第二次近衛内閣が発足した。これは対日経済封鎖によっての
日本軍部のあがきでもあった。しかし、その構想が再び松岡を外相として外交の表舞台
に立たせることとなる。まるで、海外諜報員の工作に乗ったかの様な構想だが、事実、
日本はどうしようないくらい戦争突入が期待されていたのである。ドイツの台頭に手を
焼いた英国、そして欧州戦争に入り込みたい米国、東洋の戦争で自国を侵されたくない
仏国、とりあえずドイツとの協定でアジアに目を向けていたソ連、ソ連の下工作に国土
を取り戻したい中国、更に日本が戦争で勝って開放してくれると信じる植民地の国々。
そのどれもが日本の戦争突入を期待して動いていたし、日本国民もその期待に浮かれた
世論を形成していた。

171: 名無しさんAA:19/11/11 12:18
  歴史の群像     235

 日独伊三国防共協定が軍事同盟である三国同盟に発展したのが、松岡が外相就任して
からわずか2ヶ月後の昭和15年9月であった。即ち、既にヨーロッパにおける第二次
世界大戦開戦から1年もの期間が経過した時点であり、ドイツが西部戦線でベネルクス
三国のみならず、今度はフランスをも屈服させる牙を向き、欧州制圧の戦況の最中での
出来事であった。しかし、ここで松岡は大きなミスをする。というより日本を地獄に叩
きつける方策を行った。松岡構想の反対論者の更迭である。松岡は外相就任直後に三国
同盟締結に障害となる親米英派の大使、公使など40名を更迭するという、前代未聞の
空前の人事異動を実施したのだ。これによって私的にも公的にも世界情勢について正確
な情報を仕入れていた日本政府も軍部も情報が無くなった。このことが昭和16年12月の
日米開戦の大きな誘因になったのは言うまでもない。こうして三国同盟に対してルーズ
ヴェルト米国大統領は、屑鉄や鉄鋼など、日本にとって欠かせない原材料の輸出を更に
次々と禁止し、厳しい経済制裁を加えた。見る間に日本は苦境に立ち、短期間のうちに
日本とアメリカの対決は決定的なものになったのであった。又それがきっかけで日本は
石油などの天然資源確保に迫られてしまった。それによりこれまでの、華北分離工作に
象徴される北進政策から、南進政策へと大転換し、中国横断に傾斜していった。ドイツ
に叩かれて弱体化した仏印、蘭印への侵攻に踏み切れば、当時米領のフィリピンの安全
保障は脅かされ日米開戦は不可避なものとなるのは火を見るより明らかな事であった。
また、三国同盟は日本のナチスドイツについての無知も多分に含んでいる。戦前の日本
の教育では旧制高校でドイツ語を学んでいた。科学・技術の分野だけでなく、ゲーテや
ベートーベン、カントなども学んだ日本人は、人文科学、哲学、芸術の分野でもドイツ
への畏敬の念が強く持っていた世代だった。当時、若者のほとんどの日本人が、ナチス
ドイツの華々しい外面をみて、その腐臭を孕んだ媚薬に酔っていたと言えよう。人文学
上の崇高なフマニスムスのドイツと、ヒトラー率いる犯罪国家ドイツと同一化し、その
区別が出来なかったのである。まことに残念な事態への帰結がその後に控えているのだ
が、無知か、謀略か、それともその両者によって実に悪い相手と同盟を組んでしまった
ものである。そうした民衆の声に乗って松岡の馬鹿さは頂点にいた。ソ連とドイツそし
て日本は手を組む未来がある。と乗り込んだが、既に帰国の途中でソ連侵攻にドイツは
舵を切っている。昭和16年4月、松岡外相はモスクワにて日ソ中立条約を締結。日独伊
の三国同盟にソ連を協力させるという松岡の多元外交は、あたかも英米への頑強な牽制
を形成し新世界同盟に進むような錯覚をし、構想実現に向かったかに見えたが、幻想は
あえなく崩れた。2ヵ月後、ドイツは突如ソ連に進攻。ソ連を加えた4国でアメリカに
対抗しようとする松岡の構想は既に崩壊していたのである。ナチスドイツを過大評価し
、現実から乖離した米国敵視の松岡外交は必ず破綻をきたす。との予言は的中する。第
二次世界大戦全体を通して三国同盟や松岡外交は何ら我が国を益することなく、敗戦と
いう悲劇を招来せしめた。戦争という極限状況下で、この外交上のミスジャッジはどれ
くらい国益を減ずることになったか。悔やまれてならないが、実は日本敗戦という幸運
を産んだとも考えられる。開戦前に大きく4つの御前会議があったが、いずれも軍部に
は米国との開戦に勝つ見込みを充分持っていた。しかしそのことごとくが天皇の裁可で
不可となっていた。今となっては資料もないが、原爆開発の不認可と共に米国大陸攻撃
も不認可であった。あくまでも平和主義の昭和天皇は、アメリカとの熾烈な対戦を拒否
していたのである。

172: 名無しさんAA:19/11/11 12:18
  歴史の群像     236

 実は日本は数多くの勝算を持っていた。しかし、天皇はそれを良しとしなかった。例
えば航空機技術では、アメリカがB29爆撃機を開発する前に、地球一周爆撃機の開発
を軍部に問い合わせているが却下されている。いわゆるZ計画のZ機である。中島飛行
機創設者の中島知久平氏が訴えた「必勝防空計画」というものは戦前の計画で、中島氏
は開戦直後から「アメリカとの戦争は、技術力と資源量の差から、長期化すれば必ず負
ける」と考えていた。この考えは多少の国力を知る国民であれば誰もが持っていたもの
で中島氏のみの聡明さではない。「Z計画」のZ機は、アメリカで開発中の「B29」
よりかなり巨大なもので、またその計画も地球規模と言ってもいい、空前絶後の大計画
であった。概要は、日本を飛び立ち、給油なくアメリカを爆撃し、ドイツ若しくは日本
や友好占領地へ着陸して給油後に、同ルートを引き返して再びアメリカを攻撃して帰還
するか、又はソ連を爆撃して日本へ帰還する。というものだった。既に世界一周が各国
で成功し、敵地を直接攻撃するという構想は誰もが考えるものだったのだ。研究成果か
ら上空のジェット気流の存在は日本でも知られていて、しかもその気流は日本からアメ
リカへと流れていた事で一気に本格構想として中島は進言したのである。ジェット気流
の流れる高度10,000mを飛行すれば、燃費の面でもこの大飛行は可能だと考えたのです。
世界規模でも類をみない、大規模機動部隊同士の戦いを見越したのは何も山本五十六だ
けではなく、時代はもはや大艦巨砲主義ではなく、空母と航空機による航空戦であると
確信し、中島は独自でこれに対抗できる、もしくは先行してアメリカに直接攻撃を加え
る壮大な計画を社内でぶちあげたそれが「必勝防空計画」だった。中島氏はアメリカで
も超大型爆撃機を開発していることも察知しており、このままでは、日本はアメリカの
空襲に晒されると危機感をつのらせていたのである。この「B-29」よりも遥かに巨大で
、さらに世界でも未だ類を見ない6発機、常用高度は10,000mとした雷撃機、輸送機と
して運用し、機銃を山ほど装備した掃射機も計画されて編隊を組んで飛行する。という
資料が戦後になって次々と発見され明るみにでた。しかし終戦の翌年完成の「B-36」よ
りは少し小さいサイズであり実現可能な大きさでもあった。しかし、軍部は天皇の拒否
を見てそれを却下している。戦争が長引き、日本は終戦間際になって、中島氏が計画し
た「Z機」構想に許可をだし「富嶽」クラスの航空機を作ろうと試みることによって、
さらなる国内疲弊化が進んでいた。アメリカと戦争をするというのは、天皇も乗り気し
ない決定であり、アメリカ本土攻撃はもちろん、ハワイの油槽攻撃も反対し、内容は、
「ハワイには、我が国の移民も沢山いて、攻撃はアメリカ兵員や艦船に限りて許可とす
。」と言ったほどだった。アメリカと戦争をするというのは、実はこうした事で天皇す
らも負けても惜しくない考え方が日本に蔓延していたのである。松岡は大きなミスは、
あくまで日本の戦争は誰かが仲裁に入るか停戦協定に入る事で成り立っている戦況だっ
たにも関わらず、そうした途中停戦の仕事のできる諸氏をすべて官邸や国会から葬り去
り、なかんずく防衛戦争方針の軍部すらも山本五十六案を起用させて、米国嫌いの松岡
方針で、日英同盟廃棄以降の非常に不安定になっていた日本のポジションをはっきりさ
せる意味合いで三国同盟を考えていたことだ。更にのみならずソ連をも後ろ盾にした様
な架空の夢構想で米英との交渉を展望していたことにある。こうした妄想は東条英機も
又おなじだった。希望的観測に終始した大本営発表も最後には嘘だらけになって行った


173: 名無しさんAA:19/11/12 06:42 ID:Q2
 キャリーラムは何を勘違いしているのか。問答無用の発砲や威嚇で政府が暴力を振る
振る舞いこそ、深刻な事態を生んでいる。「暴力で事態が変わる」と思っているのは、
今の香港政府のほうではないか。バカも休み休み言え。貴方が香港を暴力化させいるの
だ。


174: 名無しさんAA:19/11/12 07:08
 桜を見る会のどこが問題ない。としている見解の根拠があるのか。官房長は辞職しろ
 政府の意見聴取はそれぞれに有識者懇談会がある。あえて宴会を置く理由はない。更
に天皇の園遊会すらも天皇の宮中行事として宮内庁が取り仕切る。与野党入れた国会が
とりしきらない勝手な桜を見る会は、違法も違法、まったく何の為の何の主旨と目的を
持つものかは規定していない。つまり国策行事にはなり得ない只のお遊び宴会なのだ。
これをやるなとは言わないが、やるなら個人支出で、頭にちゃんと安倍の桜を見る会と
したり、自民党の桜を見る会として、主催者個人が支払うべきものだ。国費などと冗談
ではない。国民の6割は桜をみて花見する余裕もなく生活し税金を取られているのだ。
逆にそうした人を選別して招いた会なら理解もあろうが、浮浪者同然の失業者や生活の
苦労者を招けるほどの余裕のある法案などどこにも見えない今国会である。


175: 名無しさんAA:19/11/12 07:36
 トルコは又バカな事を始めた。ISILの収容所に監集していた戦闘員を母国に返す
としたのだ。確かにこのままではどうすることも出来ないだろう。だがこの処置はIS
戦闘員の解放でしかない。なぜならクルド人が守衛として収容していた留置場5ヶ所の
戦闘員1収容所三百人としても千五百人の戦闘の幹部隊員達である。表だっては移送の
形を取るだろうが、多くは隠れた自由解放で、トルコの支援による破壊活動者にすり変
わる事を目的にしている。今後はシャルルエブドと同じに、全世界にイスラム教布教の
戦闘宣教師として散らばるのは火を見るよりも明らかな事だろう。今やっと平穏が保た
れているのに、今後は後進国での殺戮が始まり、先進国でテロ行為が配達される。つま
る処3年前10年前に治安は後戻りして地球は戦闘モードに変化する。これがアラーの
神の思し召しなどとんでもない話で、イスラムは何ら進歩的文化的国家を彩った事は、
歴史的にもない。沢山子作りして放置した宗教教育で育て、戦争や戦闘員でしか生きて
いない。そんな砂漠の生き方が現代に通用するほど地球自然は甘くない。アマゾンの様
に自分の種族の人員整理の人身御供の宗教殺人があったとしても、現代に信じられない
話である。アメリカもいい加減目をさまして、中東問題、環境問題に本腰入れねば米国
そのものが自然災害とテロ行為と国民の怒りで崩壊し終わるだろう。銃乱射はそうした
心の平和の取れない人々の喘ぎ声なのだから少しは異常を感じるべきであろう。



176: 名無しさんAA:19/11/12 11:03
 歴史の群像     237

 ある時侍従か運転手かが、何かの言葉のきっかけに、「陛下は南方進出に反対ですか
。」と言った事があったという。この時「北もままならぬのに南もなどと軍は勇ましく
て既にこけておる。」と言い、「油井のみだったら樺太でも制圧すればいいものを。」
と言ったという。この言葉の時が何時なのかは不明だが、南方の欧州列強の土地に攻め
る事は全く反対だったらしいが押し切られた形で軍部は進んでいった。この中でしきり
に米国などとの対戦は何回も反対したという話である。当時北樺太に存在していた油田
地帯ガス田地帯が、ロシア・サハリン州北部の都市、オハ周辺を中心してあったのだ。
オハ油田通称樺太油田は、北樺太のオホーツク海側での最初に開発された油田である。
日本が保障占領中において生産を開始した為、施政権がソビエト連邦に返還された後も
日本が採掘権を維持していた。しかしソ連側が人員や物資の出入りを制限するなどの、
操業ストや操業妨害をしばしば行ったことで、日本にとっての経済価値や戦略価値は、
あまり大きくなかった事で1941年に日ソ中立条約締結の条件としてソ連に返還された。
オハ油田の名称が北樺太の油田全体を指して使用する場合も見られるが、現実にはオハ
油田が北樺太最大の油田というわけではない。第二次世界大戦の後の1961年には、サハ
リン州全体で168万トンの石油が生産され、1970年代には、年間約250万トン程度の石油
が生産されていたとも言われている。シェル石油は実はこの油の運送から起こっていた
。今では巨大になったブリティシュ・ペトロはイギリスのエネルギー関連事業を展開す
る多国籍企業で一代の貴族が、量産してきた国際石油資本の典型的企業だ。民営化で進
められた垂直的統合により、石油や天然ガスの探鉱(シュルンベルジェと連携)採掘、
輸送(パイプラインふくむ)、石油精製、小売まで一括で行う石油資本総合企業である
。しかし、第一次世界大戦後、1900年に誕生したシェルGの前身であるライジングサン
石油株式会社はメキシコを狙っていた。明治期から、国内では新潟県を中心とする日本
海沿岸に油田が開発され、国産石油の生産が行なわれるなか、後年昭和石油の前身とな
る早山鉱油製造所、新津石油が設立されている。1833年先代マ−カス・サミュエルは、
ロンドンに東洋の貝殻を扱う店舗を開店していた。これがシェル石油のトレ−ドマ−ク
の起源となった。東南アジアでの事業成功を夢見て父母に無料の貝殻を送り、それを親
が売りさばく店であり、この貝の売り上げ金が資金になったと言う由来がある。開国し
て早々に1876年に日本にやって来て、ライジングサンの前身の貿易会社サミュエル商会
を横浜で開業している。そして1890年外交人会の会合で、投資家のJPモルガンやロス
チャイルドなどの知古ロイヤル・ダッチ・ペトロリアム社の前身ハーグの設立に参加し
その後1903年(明治36年)サミュエル、デターディング、ロスチャイルドの3者投資に
よって、極東での販売会社アジアチック・ペトロリアム社設立した。既に1892年には、
石油元売会社の昭和石油の前身の1つである新津石油が創業し、ランプ用灯油やローソ
ク、ベンジンなどを売っていた。そこに早山与三郎が新津に製油所を借り早山鉱油製造
所を興して、商品を増やして行った。世界的にも1902・03年(明治36年)は石油
草創期であり、イラン、イラクで油田が発見され、日英同盟協約されて、ロンドンでの
調印即日実施する。テキサコの前身テキサス石油設立され、モービル石油の前身バキュ
ーム石油設立されている。日本でも、石油消費税実施され、原油関税制定、翌年実施、
第5回内国勧業博覧会が大阪市で開催、東京・大阪両市に中央郵便局・中央電信局設置
国定教科書令公布、東京日比谷公園開園、東京電車鉄道会社、新橋−品川間電車運転開
始(東京初の電車運転)、フォード自動車会社設立(米国)、ライト兄弟の初の動力飛
行に成功などと技術革新の時代だった。先の1800年代には1859年に米国で初の油田
発見、1868年スタンダード石油会社設立、1875年ノーベル兄弟バクー油田に利権を得て
近代的製油所を建設、1885年ベンツがガソリン三輪自動車を発明、1891年バク−油田で
大噴油続出、1894年日清戦争勃発、1904年日露戦争勃発、1905年日本海海戦終了、1906
年日露講和条約締結、日米直通の海底電線による電信開始と続いていた。当初は日本に
送られた少量の油の全輸入量の7割もあったようだが徐々に比率は下がって開戦前には
2割も無かったようだが経済制裁で一挙に9割以上となった。


177: 名無しさんAA:19/11/12 11:03
 歴史の群像     238

 サミュエル商会が石油部門を独立させて、ライジングサン石油株式会社を(資本金25
万円)を設立させる頃は、ロイヤル・ダッチのシェルグループが誕生しライジングサン
石油は、シェルグル−プの日本の拠点として事業展開を手広くやっていた。この時代は
新たな技術開発に伴う石油内燃機、自動車、飛行機の発明・そして相次いで世界各地で
油田が発見されたりして、各国で大規模な石油会社が設立され、やがて訪れる石油時代
に布石が打たれていった時代だった。1900年(明治33年)スタンダ−ド石油などもイン
タ−ナショナル石油を設立日本の石油事業に進出していた。ブリテッシュ・ペトロ(B
P)も又第二次世界大戦後から1970年代まで、世界の石油の生産をほぼ独占状態に置い
たセブン・シスターズ7社の内の一社であり、ヨーロッパ最大のエネルギーグループで
ある。1910年(明治43年)メキシコで大噴油が見つかり世界最初の石油ガス生産が行わ
れ、東京のガス燈も灯った。大正元年ロイヤル・ダッチ・シェルはアメリカに進出し、
カリフォルニア油田買収を始めて行く。1918年〜1919年(大正8年)第1次世界大戦が
終結を迎えパリ(ベルサイユ)講和会議開催され講和会議、国際連盟の設置で合意した
頃にはライジングサンは、輸入しているオランダ領インドシナ原油が日本の輸入原油の
中では最大となる商社に変貌を遂げていた。しかし1923年(大正12年)関東大震災が起
こり、ライジングサン石油社屋が倒壊し、本社移転を余儀なくされ神戸に移している。
旭石油も、帝国石油と合併し新しい旭石油(資本金 960万円)として新発足していたが
流出事故もあって行き詰る経営となった。金融恐慌もいよいよ深刻化し第十五銀行など
は休業している。欧州で安売り合戦のシェア争いが起こり、産油制限のため英・米石油
業者がロンドンで国際石油会議開催されたのが、1928年(昭和3年)の事だった。次の
年に備蓄要請が起こり、旭石油や徳山製油所は満鉄に売却され満鉄資本の日本精蝋が設
立された。ライジングサンも拠点だった横浜市山下町に本社新築落成し東京油槽所開所
となった。小倉石油は、横浜貯油に製油所建設し(昭和16年日本石油に合併)カリフォ
ルニア・スタンダード、テキサス両社折半出資で新たな油井掘削にバーレン石油設立し
バーレン島で油田発見したのが1930年であった。ソ連でも石油5ヶ年計画成功し、
大増産を図っている。この時の資本もユダヤに頼った債権発行で賄っている。これが、
最終的に英国とソ連とアメリカを繋いだ。既にやりすぎた経済は、ドイツのインフレを
引き起こし1929年暗黒の木曜と呼ばれるニューヨークウォール街の株式大暴落に端を発
した大恐慌の為の、大戦後の天文学的な賠償金とインフレに苦しむドイツの政情不安と
共に世界に不気味な影を投げ掛けていく姿が見えていた。1931年に満州事変勃発し
たが国内は火の車状態の政府予算が通ったが、金輸出再禁止、対米為替暴落、金兌換停
止の緊急勅令公布施行し。株暴騰、全国株式市場大混乱を引き起こして、年が明けると
すぐに官営八幡製鉄所を中心に財閥系各製鉄会社を合併、日本製鉄として発足させると
共に、石油業法を公布、業者に貯油を義務づけ、石油製品の管理を一段と強化して行っ
た。1937年、戦時統制3法の公布をもって戦時経済体制へ移行し、重要な産業に関して
統制強化が進み、国民総動員法、灯火管制規則、新聞用紙制限令、等国民の日々の暮ら
しに直結した拘束法令が重要産業統制令と共に公布された。当然米と共に、石油、石炭
が配給制となり、ついには白米禁止令が実施される。一方、ファシズムが勢力を拡大す
るヨーロッパでは、ドイツにヒトラー独裁政権が誕生して周辺諸国への侵攻を開始して
とうとう1939年、第2次世界大戦へと突入していったのである。1932年(昭和7年)の
5 月15日の五一五の反乱事件や、陸軍青年将校らが重臣を襲撃・殺害して、永田町一帯
を占拠した1936年(昭和11年)2月26日の二二六事件は、正にこうした中で起こった。


178: 名無しさんAA:19/11/12 11:18

 香港の林鄭長官は、「抗議活動を強く非難し市民の反発は激化している。」と声明を
発している。おかしいだろう言ってることが。香港政府は香港人の政府であり香港警察
は香港人を守るためのものものだ。香港政府が決して屈しない。???何だって香港人
を奴隷か敵国人に見ているんだ。無抵抗デモが暴徒だって、なら、今の警察や香港政府
は殺人者集団であり、逆賊軍隊で秩序のない暴力団はないか。これが中国政府のやり方
か。おかしいだろう。自治政府であり自治会員が暴徒で発砲したなどというのは、交通
警察官がなぜ発砲するのだ。機動隊がなぜ攻撃しているのだ。これは防衛でも防備でも
ない。単なる虐殺だろ。強盗やテロ集団のような警察を騙る暴力団に他ならない。民衆
よりは、警察を規制することが先決だろう。騒動をあおっているとしか見えない。市民
のほうがよっぽど統制が効いていて、正しく行動していて、平常を保っている。選挙前
に混乱させようという腹なのか。


179: 名無しさんAA:19/11/12 11:19
 歴史の群像     239

このサミュエル商会を作ったサミュエルは、イギリスに戻ると名士となった。そして、
1902年に、ロンドン市長になった。ユダヤ人として、5人目のロンドン市長である
。彼は就任式に、日本の林董(はやしただす)駐英公使を招いて、パレードの馬車に同
乗させた。この年1月に「日英同盟」が結ばれたというものの、外国の外交官をたった
一人だけ同乗させたのは、実に異例なことだった。この事実は、彼がいかに親日家だっ
たかを示している。ちなみに、2台目の馬車に、サミュエルのファニー夫人と、林公使
夫人が乗ってパレード参加をしている。彼は、「ライジング・サン石油株式会社」をつ
くり、日本に石油を売り込み始めたのだが、このころ日本において、ケロシン油で暖房
したり、あるいは照明したりすることは革命的なことだった。この商売でも非常に成功
した。石油をインドネシアから日本までどのように運ぶかということは、頭の痛い問題
だった。初めのうちは2ガロン缶でウイスキー樽のように運んでいたが、原油を運ぶと
船を汚すために、後で洗うのが大変だった。それに火も出やすいということで、船会社
が運ぶのをいやがったし、運賃がべらぼうに高かった。そこでサミュエルは造船の専門
家を招いて、世界で初めてのタンカー船をデザインした。そして彼は、世界初の「タン
カー王」となった事がその後のシェルのシェアを作った。1907年、オランダの「ロ
イヤル・ダッチ石油会社」とイギリス資本の「シェル石油会社」が合併して、「ロイヤ
ル・ダッチ・シェル」が誕生しのだが、このイギリス・オランダの2社の合併を推進し
たのはイギリスのロスチャイルド財閥だった。これには裏がある。当時のドイツが如何
に石油を欲していたか。ルーデンドルフの回想録に、ナチスは政権が充分に石油を供給
しないが為に生産性向上は出来なかった。と伝えている。さらにルーマニアの石油は、
我々にとって絶対に重要なものであったが、しかしながらルーマニア石油の供給をもっ
てしても石油供給の問題は残された。と記している。、そして我々は既に戦時行動の為
のみならず国内の普通の生活にとっても一大困難に陥らしめた。と嘆いている。その為
ドイツの東方進出は石油獲得に対する熱望の結果として説明され、ブカレスト条約など
は石油争奪の為であったし、ブレスト・リトウスク条約も又そうであった。独逸は急い
でルーマニアの石油埋蔵地、及び総ての精製所、凡ての送油管をつけて、これらのもの
を自国軍隊の当面の必要に応じ得るよう変革改造した。こうして 独逸軍の本部では、
1917〜8年に於て石油工業設立会社を起し、余国の石油会社を没収、整理、掠奪し
其得て一つの巨大な採掘と販売の独占に集めて仕舞った。1918年11月21日休戦
条約が締結された時、カーゾン卿はランカスターの議院で、実際後世の人々は連合国の
勝利は石油の波の上に漂っていた。と云うであろう云々と述べている。ドイツは英和仏
三国の資本のルーマニアの純然たる会社に属する一切の所有権を掠奪し、接取している
。そのドイツさえもその石油が不足と言っているのである。石油は大英帝国の、維持・
発展には、必須の原料であった。植民地政策の失敗を補う力がそこにあったからだ。英
国が世界の油田を一手に収めようとした。米国は遅れ馳せながら全世界を物色して石油
資源の場所を特定し権利を行使した。石油は農作物のように耕作よろしきを得れば年々
増収が出来るものでなく、使用すればした分減少し補充の出来ないものであったからだ
。之が領地の争奪戦を誘い国の存亡の為に熾烈とならざるを得ないものだった。、而し
て産業発展上の主要原料は石油である形で国の経済力となり、各国は其争奪に懸命にな
っていたのは必然の結果であった。世界経済界に雄飛する米英が此石油争奪戦の真只中
に役を演じたのは当然だったのだ。つまり、サミュエル商会が発足した明治の当初から
英国は米国の追随に追われながら石油資本に資金投下し大英帝国を形作り死守していた
のである。

180: 名無しさんAA:19/11/12 11:20
 歴史の群像     240

山本五十六が証人となった軍部の開戦時の条件は、天皇によって数多い制約がつけ加え
られて宣戦布告に至っているようだ。日本は武力において米国にいつでも勝つことが出
来た。しかしそれができなかったのが天皇の勅諭つまりお言葉であり、足枷であった。
天皇の条件は、色々緻密に計算されたものではない。しかしそれでもなし崩し的に軍部
が肥大化するのを、身をもって体験し研究された言葉であったろうと思われる。内容は
今でも不明だが50以上はあったのではないかと思われる。@正々堂々宣戦布告して、
開戦する。Aアメリカ本土は襲わないBハワイ島島民に被害を与えないC油槽を爆破さ
せない。D原爆はしようしないなど・・・etcである。これでは戦争できない。と言
わんばかりの条件である。1941年(昭和16年)9月6日の御前会議は、知っての通りに
、昭和天皇は祖父明治天皇の御製を冒頭で引用していた。この意図について、昭和天皇
は1985年(昭和60年) 4月15日の記者会見で次のように語った。「会議の議題の第一議
に戦争準備をすることが掲げられ、また、次に平和のための努力となっていましたが、
私は平和努力と言うことが第一義になることを望んでいたので、明治天皇の御歌を引用
したのです。」と言っている。天皇は、この前日に近衛文麿首相から帝国国策遂行要領
の内奏(事前報告)を受けており、このとき天皇の回想と同様の発言があったと、近衛
文麿側の手記にも記録があるようだ。会議当日の杉山元陸軍参謀総長のメモ(杉山メモ
)にも、平和的外交をするよう、天皇から命ぜられたと記録がある。重要問題のあった
ときにだけ不定期に開かれていた連絡会議にかわって、第2次近衛内閣の時の1940
年11月28日からは、定期的に(週1回、問題があれば毎日でも)連絡懇談会が開か
れることになった。この「連絡懇談会」は、1941年7月まで、39回にわたって開
かれているが、第3次近衛内閣が成立した後の7月21日からは、場所を宮中に移して
連絡会議の名に戻って行っている。そして小磯国昭内閣が成立した直後の1944年8
月5日、名称を最高戦争指導会議と変更している。しかし内容や討議プロセスには、ほ
とんど変化はなかった。連絡会議(連絡懇談会)の構成メンバーは、時によって変動が
あるが、基本的な構成員は内閣総理大臣、外務大臣、陸軍大臣、海軍大臣、参謀総長、
軍令部総長であった。閑院宮、伏見宮が両統帥部長だったときは、参謀次長、軍令部次
長が出席した。それに必要に応じて企画院総裁や大蔵大臣などの閣僚、陸軍省、海軍省
のそれぞれの軍務局長、参謀本部、軍令部の作戦部長、内閣書記官などが加わる場合も
あった。こうした連絡会議(連絡懇談会)は閣議ではない。その為連絡会議の構成員で
ない大部分の国務大臣には、会議の内容は知らされなかった。「連絡懇談会設置の趣意
」という一文には、「本会議に於テ決定セル事項ハ閣議決定以上ノ効力ヲ有シ戦争指導
上帝国ノ国策トシテ強力ニ施策セラルヘキモノトス。」と書かれている。つまり政府を
指導する程閣議以上の権威と権限があった。(『杉山メモ大本営政府連絡会議』上)対
米開戦にいたるまでの重要決定をしたのは、第5回から第8回までである。第2次近衛
内閣のときの7月2日の御前会議では「対米英戦を辞せず。」として「南進の続行」を
きめたものの、まだ開戦を決定した訳ではない。告いで第3次近衛内閣になってからの
9月6日の御前会議も、10月下旬を目標とする戦争準備の完成を決める。と同時に、
対米交渉において「10月上旬頃ニ至ルモ尚我要求ヲ貫徹シ得ル目途ナキ場合ニ於テハ
直チニ対米(英・蘭)開戦ヲ決意ス。」という、開戦決意はそのままに期限をつけた。
しかし、これがきわめて重要な決定となり。この決定があったので、10月上旬になっ
てなお交渉をつづけようとする近衛首相と、「目途」がないから直ちに開戦を決意すべ
きだとする東条英機陸相が対立した。こうして16日の近衛内閣総辞職、10月18日
の東条内閣成立となったのである。


181: 名無しさんAA:19/11/12 11:22
 歴史の群像     241

 日中戦争が全面化した1937年11月20日に、宮中に大本営が設置されて以来、
重要な国策の決定は大本営政府連絡会議で行われてきた。この連絡会議は、第1次近衛
内閣のときの1938年1月15日に、中国との交渉打ち切りという重大決定を下し、
翌日の「国民政府を対手とせず」という声明によって戦争長期化の大原因をつくった。
また、第2次近衛内閣成立直後の1940年7月27日には、「世界情勢の推移に伴う
時局処理要綱」という、武力行使を伴う南進政策を決定し、対米英戦争の遠因をつくっ
た。最終的には、この大本営政府連絡会議を、天皇の「御前」で開くのが御前会議であ
り、最高国策を決定するもっとも権威あるものとされたのである。ほかに大本営だけの
会議や、天皇が出席するのを大本営御前会議といって、1937年11月24日に第1
回が開かれたが、これは天皇への戦況説明である。38年2月16日の大本営御前会議
では戦面不拡大の方針が決定されたが政権が変わる度に反故にされた。人心が変わるか
らだが、御前会議と名づけられた会議は、大本営設置以後対米開戦まで、下記ように、
開催されていた。

 第1回 1938年1月11日「支那事変処理根本方針」(国民政府が和を求めてこ
                ないときは、これを対手にせず、新政権を樹立する
                という方針)を決定
 第2回 1938年6月15日 武漢、広東作戦実施を決定(『戦史叢書・支那事変
                陸軍作戦(2)』で御前会議と書かれているが、内
                容からみると大本営御前会議であったかもしれない
                )
 第3回 1938年11月30日「日支新関係調整方針」(東亜新秩序の建設のため
                日満支の提携と、華北と揚子江下流域の特殊地帯化
                方針)の決定
 第4回 1940年11月13日 汪政権との間の「日華基本条約」締結の決定
 第5回 1941年 7月 2日「情勢の推移に伴う帝国国策要綱」(北方問題の武
                力解決を準備するとともに、南方進出のための対米
                英戦を辞せず)の決定
 第6回 1941年 9月 6日「帝国国策遂行要領(10月下旬を目途として対米
                英蘭戦争準備を完成)の決定
 第7回 1941年11月 5日「帝国国策遂行要領」(対米交渉を甲乙両案で行う
                とともに、12月初旬武力発動を決意)の決定
 第8回 1941年12月 1日「対米英蘭開戦の件」の決定

 太平洋戦争直前に発覚した国際スパイ事件の「ゾルゲ事件」では、旧司法省が作成し
たとみられる複数の報告書案を分析した結果、ソ連への方針を決定した御前会議の内容
など七つの情報漏えいがあった事が掴んでいた。しかし、当初は情報を提供した氏名や
機関名が付記されていたが、途中で削除されていたことが今日では分かっている。資料
を分析した加藤哲郎・一橋大名誉教授によると、文書には「上奏文案」と書かれており
、日付の数日後には、岩村通世・司法相(当時)が昭和天皇に事件を報告しているもの
だが、藤氏は、氏名などの削除について「捜査し尽くせない部分を隠す意図があったの
ではないか。」と判断している。


182: 名無しさんAA:19/11/12 11:22
 歴史の群像     242

 この石油紛争は日本だけでなくどこでも起こっていた。イラクで米国が、モスル油田
の開発に割込み、奏効したのを見て英国と米国の火花が散った。この石油戦は此の頃に
は一段落を告げたかの如く見る者があるがとんでもない事であった。尤も英米石油戦の
一時的な休戦には見えたが、他の方面に於ける戦線の、東洋、欧洲、北米、中米、南米
と到る処で、石油の争奪戦は延々と鍔迫り合いがなされていたのである。今般は英米両
アングロサクソン民族は、もの凄い生産と販売の争奪に鎬を削っているかを述べてみる
。英米両国に於てメキシコに於ける程猛烈な石油戦は、世界中探してもまずないと云っ
てよい程である。メキシコが多年に亘って絶えない不安の上にあったのは石油採掘利権
の争奪戦が行われた為である。スタンダード石油はメキシコで石油を販売する唯一の会
社であったが、タンビコの油田が発見されて以来、メキシコに於ける独占権を得ていた
。同社は極端にその地位を利用した販売利益を得、当時スタンダード石油は六百倍と云
う売価で大利潤を得て石油販売をしていたのである。同地に他に石油埋蔵地が発見され
るやボルフイリオ・ディアズ(大統領)は米国側に石油独占を根絶させる為、ビヤーソン
英国会社に重大な利権を許可したが、此利権の許可が、メキシコの一大叛乱の種となっ
たのである。何故こんな大事が勃発したか。英国側石油業者は近東に於ける石油戦捷利
に勢を得て、米本土に侵入して一挙にスタンダードの牙城を陥落しようとしたからだ。
そして、之と前後して米国の南隣メキシコに長駆し更にカリビア海沿岸の諸国に迫り、
米国の勢力に大胆な側面攻撃をなそうと計画したのである。ところがラテンアメリカは
米国政府がモンロー主義の名の下に特殊利益を得ている地域で、英国側の計画は、大分
怪しいものとなっていた。しかもメキシコに於て最初石油生産に著手したのは、米国人
エドワードエル、ドヘネーであった。彼は先ず三十二万五千弗で二十八万エーカーもの
油田の土地を求めて、大統領ヂアズ氏に財的便宜を与え、遂にメキシコに於ける石油王
となってた。米国側の事業が予想外の大成功を告げたのを見てヂアズ大統領はメキシコ
の立場として外国の資本を入れて、外国企業家を歓迎するはよいとしても、一国に偏重
する事はメキシコ将来の為めに寒心すべきである。との見解から、しばらくくて米国側
を抑える為めに英国側にも利権を与えるようになり、此処に初めて英国側の策戦は第一
歩に踏込んだのである。しかし、これでおさまらぬのが米国側である。米国とメキシコ
とは唇歯の関係があり、同国に於て石油事業に先鞭をつけたのは米国であり且つヂアズ
大統領に種々助力を与えたのも米国である、それが俄かに親英主義化したのは怪しから
ぬから、ヂアス大統領の独裁政府を転覆し親米大統領を挙げねばならぬの謀計を立てた
。此の結果がマデロの反ヂヤズ革命となって現れ、三十五年の長きに亘って大統領の椅
子めぐる攻防となり、ヂヤズ氏は倒れてマデロが之に代るに至ったのである。この記事
は、1930年代「大阪時事新報 1929.7.19-1929.8.4(昭和4)」の記事である。2020年
を迎える現代と何処に違いがあろうか。メキシコ沖の石油資源はいまでも自国大統領の
独裁を支えながら移行し、イラクのモスル油田は米国の収入源として湾岸戦争を起こし
ている。本来の土地の使用者たるクルド人は今でも流浪の民で恣意的に国際社会は建国
を認めない。つまり90年間およそ一世紀も間も米国は魑魅魍魎の意識下に蠢いていて
進化や進歩のない暴力国家であり続けているのである。


183: 名無しさんAA:19/11/12 11:30
 歴史の群像     243

 この日本の動きと、米国や欧州の動きの違いは、決定的に民族的危機感の違いであろ
う。古来より安定していた日本の島国国民と、常に戦闘で新大陸に移動し制圧し住み着
いて原住民を蹴散らし、いつ反撃に出会うか判らないと言う生活では自ずと意識からも
違うのは明らかである。だが、日本は最後に西欧列強に開かれた国なのに、アジア盟友
として、アジアの長の地位を得たのは、実はその古来より安定していた島国日本の民族
的な共通精神の安定感である。しかし、近年思う事は、激甚化災害とか過去にない災害
とか勝手に使われる言葉である。古い文献によると、この明治の頃までに無かった災害
などどこにもない。江戸期の浅間山噴火などM8相当の地震は起こっているし、伊勢湾
台風は突拍子もない強風と高潮にやられている。関東大震災でおそらく安定期にはいり
今のように少ない災害になったのだが、これは日本だけではない。ドーバー海峡の崖を
みると、近くまで船着き場があったというから、相当の海の高さが陸地にあったと言え
る事は確かだ。その高さが8〜6mであるからその時代や量が不確かなだけで南洋が沈
む事は当然ながら気候変動だが海洋循環の一周期の中でもある。ドーバー海峡が氷で覆
われ英国のロンドン橋の下でスケートができたのは産業革命の幕開け時代である。中世
の旧ロンドン橋には、住居や店舗、礼拝所が設けられ、決闘する広場までありました。
シティ周辺では1750年にウェストミンスター橋が開通するまで、この橋がテムズを渡る
唯一のもので、しかも通行料を徴収していましたから、交通渋滞がとてもひどかったよ
うです。その旧ロンドン橋の南側の入場門には晒し首が並べられていました。これから
シティに入るのはいいが、悪いことしたら、分かってるな、こうなるぞ、という脅しで
す。16世紀には30以上の晒し首が展示されていたそうですが、この種の展示会、1678年
まで続いた。考えてみれば、日本の関所や町の入口もそうだった。日本橋にも晒し場が
ありました。どこの国でも為政者の考えは似ていて、悪者はいたようだ。だがクルド人
の放浪をみれば、そうした領地の保全と施政の姿勢がなければ民衆のみの平等では治め
られないのだろう事が、かの民族が物語る。つまり日本も島国とはいえ、一度は欧州勢
と雌雄を決する戦いは必要だったのであろう。天皇が突き付けた軍部の開戦時の条件が
殊の外多く困難だった理由は、開戦したくなかったからであろうし、天皇家がかつての
幕府に突き付けた条件闘争の様に一種の天皇家の癖的ものだった。515事件で裏天皇
だった堀川氏が担ぎ出されて、改めて、暁烏(あけがらす)隊と八咫烏(やたがらす)
隊が組織され、天皇家の情報収集として外務省の諜報部隊員、海軍の制圧隊員が組みこ
まれた。その為226事件では、海軍は陸軍将校の動きは充分に知り逐次天皇に報告さ
れていたと言われる。その連絡係に一近衛兵として富安氏がいたと思われるが、近衛兵
そのものは各藩に於ける地方豪族の長が藩主推薦で行われた歴史がある。柳川では小野
氏と三潴では石井氏だったらしいが詳細は江戸の書物でしか不明だ。堀川氏における裏
天皇家は、いわゆる天皇行幸でのお手つき女中を預かる家系で、神職権限を持つ主家と
される天皇の縁戚となった家である。他に鳥飼など幾つかあったが、顔や性格が似てる
子供を持たなければその地位は自然消滅していく運命だったのだろう。たまたま堀川氏
がいたのだろう。そもそも大正天皇や明治天皇は、潔癖で女性に対して綺麗な性格であ
ったことからも、遠い遠い縁戚であったと言えるだろう。その前に天皇が死んでも後続
の宮家が多くいて、何時でも代替わりされる中にあり、それほど権限のなかった江戸期
は、幕府が問題としてこしらえた仕組みであり、幕府の大奥の様な仕組みが朝廷にもあ
ったことから褥屋の中の仕組みかもしれない。宮家の全員が死んで後が無いことは考え
られない状態で裏天皇家などは只の地位的ものだった。ただ単に武将の影武者的に必要
とされた場合の用意はしていたと見たほうがより具体的に見える。



184: 名無しさんAA:19/11/12 11:49
 歴史の群像     244

 終戦に対する八月九日の御前会議の状況は知っての通り重苦しい中で二回に渡った。
最高戦争指導会議、すなわち御前会議おいては、議論は二つに分かれた。大東亜戦争の
終戦を決定した鈴木内閣の内閣書記官長の、迫水久常(さこみづひさつね)氏の記録によ
れば、ポツダム宣言を無条件に受諾してここに戦争を終結すべし。という意見と、この
まま本土決戦を覚悟して戦争を継続すべし。との意見の対立があった。決戦論者も、唯
連合軍側がこのままの状況で停戦し、我軍隊も無条件降伏という形をとらず、それぞれ
の地点から自発的に撤退復員することで満足し、占領軍も我本土に上陸せず又戦争裁判
を日本国の手によって行うことを承知させてくれれば、戦争をやめてもよい。という。
しかし、それは出来ない相談で、結局戦争を継続する。という意見だ。閣議に於いての
経済閣僚から国内の経済力、軍需力の話がありいずれも戦争終結を主張していた。内務
大臣はここで戦争をやめ、右翼が騒動を起す恐れがあり国内治安が心配である。といい
阿南陸軍大臣は関東軍は遺憾乍ら、対ソ戦を実行する力なく、このまま推移せば二ヶ月
にて関東軍は全滅するだろう。と意見だった。こうした議論のこの間にも長崎に第二回
目の原子爆弾の投下があり小田原評定と同じだった。閣議は午後八時に至り、議決もな
く一応休憩した。この時総理は私を御呼びになり、どうしょう。と御相談があったが、
「誠に懼れ多いことと存じますが、陛下の御聖断を得て事を決する外はございますまい
。」と迫水久常(さこみづひさつね)は答えたという。総理は「実は自分もそう考えて、
今朝拝謁しましたときに、いよいよの場合は陛下にお助けを願いますということをお願
いして来た。」と言った。私は総理の用意の良さ、陛下の有難さに感激致しましたが、
偖て(さて)問題は陛下の御聖断を、如何なる方法で受けるかということに考えあぐねた
。即ち、通常の様に、総理が参内してそこで陛下の思召しを伺つて、大臣その他に伝え
るのも一つの方法だが、そういうことでは、陸軍の若い兵士などは総理が嘘を言ってい
るといい、どういう事態が起こらないとも限らない。懼れ多いとも思うが、御前会議を
開いてその席で御聖断を承るようにしよう。と決心した。ところが御前会議を開く為に
、陸軍参謀総長、海軍々令部総長の同意が必要である。両総長には政府及び軍の意見が
統一しない限り御前会議を開くべきではない。といっていてあくまで戦争継続を望む。
同意が得られない私は、当惑しましたが遂に強引な手段を取りまして、半ば両総長をだ
ますようにして、二人の署名花押をとり、御前会議を開くこととしたのでありました。
こうしてやっと、御前会議は八月九日夜十一時から開かれました。列席者は総理・外務
・陸軍・海軍の四大臣、陸軍参謀総長・海軍々令部総長、平沼枢密院議長の七名が正規
の構成員でありまして、陪席員は私、陸海軍の軍務局長、内閣綜合計画局長官の四名、
合計十一名でありました。会議場は宮中防空壕内の一室で約十五坪程のお室でありまし
た。地下十米下であります。一同は、席について陛下を待ちしました。陛下は足取りも
重く、お顔は上気したる如くにて、入って来られました。会議は総理が司会致しまして
、先ず私がポツダム宣言を読む。日本に耐え難い条件を読むのでありますから全く堪ら
ないことでした。次に外相が指名されて発言する。その論旨は、この際ポツダム宣言を
受諾して戦争を終るべきであるということを言葉は静か乍ら断乎申されました。しかし
次に阿南陸軍大臣は、外相の意見には反対であります。と述べ、荘重に涙と共に今日迄
の軍の敗退をお詫びし、併し今日と言えども、必勝は期し難しとするも必敗と決まって
はいない、本土を最後の決戦場として戦うに於いては、地の利あり人の和あり死中活を
求め得べく、若し事志と違うときは日本民族は一億玉砕し、その民族の名を青史に止む
ることこそ本懐であると存じます、と言われました。

185: 名無しさんAA:19/11/12 11:50
 歴史の群像     245

 次に米内海軍大臣はたった一言、外務大臣の意見に全面的に同意であります。と言わ
れました。平沼枢密院議長は列席の大臣、総長にいろいろ質問されたのち、外相の意見
に同意であると言われました。勿論、参謀総長・軍令部総長は、略ゝ陸軍大臣と同様の
意見であります。と言う。この間約二時間半も長く、陛下は終始熱心に聞いて居られま
したが、私はほんとうに至近の距離で陛下の御心配気なお顔を拝して涙のにじみ出るの
を禁じ得ませんでした。一同の発言の終ったとき、私はかねての打合せに従って総理に
合図致しました。総理が立ち、徐(おもむ)ろに「本日は列席者一同熱心に意見を開陳
致しましたが、只今まで意見はまとまりません。とかし事態は緊迫して居りまして全く
遅延を許しません。誠に懼れ多いことでは御座いますが、ここに天皇陛下の御思召しを
お伺いして、それによって私共の意見をまとめ度いと思います。」と述べられ静かに歩
を移して陛下の御前に進まれました。その時阿南さんはたしかに「総理」と声を掛けら
れた。と思います。併し総理は、おきこえになったのかおきこえにならなかったのか、
そのまゝ御前に進まれまして丁寧に御礼をされまして「「只今お聞きの通りで御座いま
す。何卒お思召しをお聞かせ下さいませ。」と申し上げました。陛下は総理に対し、席
に帰って煎るやうにと仰せられましたが、総理は元来耳が遠いためによく聞き取れなか
ったらしく、手を耳にあてて「ハイ」という風にして聞きなおしました。この間の図は
聖天子の前に八十の労宰相君臣一如と申しますか何とも言えない、情景でありました。
総理が席にかえり、天皇陛下は少し体を前にお乗り出しになるような形で御言葉が御座
いました。緊張の中で、陛下は先ず「それならば自分の意見を言おう。」と仰せられ、
「自分の意見は外務大臣の意見に同意である」と仰せられました。その一瞬に静寂が走
る。場所は地下十米の地下室、しかも陛下の御前。陛下のお言葉の終った瞬間、皆が胸
がつまった想いの前にあった。私は置いてあった書類に涙がしたたり落ちました。隣は
梅津大将でありましたが、彼も又書類の上に涙がにじんでいた。私は一瞬、各人の涙が
書類の上に落ちる音が聞こえたような気がしました。次にすすり泣きの声に埋もれた。
そして次の瞬間は号泣であります。建国二千六百余年日本の始めて敗れた日であります
。お言葉はそれで終りかと思う中。然るに陛下はしぼり出すようなお声を以って、声を
発した。「念のため理由を言って居く」と仰せられました。陛下が次に仰せられました
ことの要領は次の通りであります。「大東亜戦争が初まってから陸海軍のして来たこと
を見ると、どうも予定と結果が大変に違う場合が多い。今陸軍、海軍では先程も大臣、
総長が申したように本土決戦の準備をして居り、勝つ自信があると申して居るが、自分
はその点について心配している。先日参謀総長から九十九里浜の防備について話を聞い
たが、実はその後侍従武官が実地に見て来ての話では、総長の話とは非常に違っていて
、防備は殆んど出来ていないようである。又、先日編成を終った或る師団の装備につい
ては、参謀総長から完了の旨の話を聞いたが、実は兵士に銃剣さえ行き渡って居らない
有様である事が判った。このような状態で本土決戦に突入したらどうなるか、自分は、
非常に心配である。或は、日本民族は皆死んでしまわなければならなくなるのではなか
ろうかと思う。そうなったらどうしてこの日本という国を子孫に伝えることが出来るか
。自分の任務は祖先から受けついだこの日本を子孫に伝えることである。今日となって
は一人でも多くの日本人に生き残っていて貰って、その人達が将来再び起ち上って貰う
外に、この日本を子孫に伝える方法はないと思う。それにこのまゝ戦を続けることは、
世界人類にとっても不幸なことである。自分は明治天皇の三国干渉の時のお心持も考え
、自分のことはどうなっても構わない。堪え難きこと忍び難きことであるが、この戦争
をやめる決心をした次第である。」陛下のお言葉は人々の号泣の中にとぎれとぎれに伺
いましたが、日本国民と更に世界人類の為に自分のことはどうなっても構わないという
陛下自身の広大無辺なる御仁慈に対し、唯ひれ伏すのみでありました。

186: 名無しさんAA:19/11/12 11:54
 歴史の群像     246

 陛下のお言葉は更に続きまして、国民がよく今日まで戦ったこと、軍人の忠勇であっ
たこと、戦死者戦傷者に対するお心持、又遺族の事更に外国に居住する日本人即ち今日
の引揚者に対して又戦災に会った人に対して御仁慈の御言葉があり、一同は又新に号泣
したのであります。そうして陛下のお言葉は終りました。総理は立って、陛下に入御を
奏請し陛下はお足取りも重く室をお出になりました。後に残りまして一同は協議致しま
して、陛下のお思召しに従い、ポツダム宣言を受諾する方法によって戦争を終結する事
とし、唯一つ米国側に対し「このポツダム宣言の諸条件の中の、天皇の国家統治の大権
を変更する要求は、これを含まないものと諒解するが、この点について明確なる返事を
して欲しい。」という留保をつけて「ポツダム宣言を受諾する用意がある」旨を中立国
を通して、連合国に通知致すことにしたのであります。こうして、即ち国体護持を唯一
の条件として、終戦を決定したのであります。しかし、その後の八月十四日の御前会議
が更に行われる。「さて、こちらから十日の早朝打ちました電報に対する返事は仲々参
りません。」しかもこのことは公表致して居りませんので、東京市内の各所では家屋の
強制疎開の為家を引き倒して行って居るのだ。私は身を切られるような気が致しました
。流石に米軍の空襲も八月十日、十一日には御座いませんでした。十二日朝サンフラン
シスコの放送によって先方の回答の内容を知り得たのではありますが、正式の経路を通
じた回答は十三日朝到着まで待つことになった。この間に於ける諸般の情況は詳しく申
し述べるにないが、天皇陛下は皇族・重臣・元帥・軍事参議官などを次々にお召しにな
って、お考えをおさとしになりました。この際、東条大将は陛下にもう一度御考え直し
を願った。という風に聞いて居ります。十三日に正式回答を議題として閣議が開かれた
。先方の回答は長いものでありましたが要点は次の二つであります。
(イ) 日本国天皇及び政府の統治権は或る場合には連合軍司令官の制限の下におかれる
   ことがある。
(ロ) 日本国最終の政治形態は日本国民の自由なる意思によって決定せられる。(即ち
   国体は日本人がきめるにまかせる)というのであります。
 先方の回答の遅れた理由は、連合国間に意見が分かれた為であった。後で聞きました
所でありますが、ソ連は勿論、英国も支那も天皇制の廃止を主張した。が、米国だけが
前駐日大使のグル―さんなどの知日派の人々の働きによって、とうとうこういう回答に
なったのだそうであります。後で米国国務省の役人がきて私に話したのでありますが、
こちら側からの回答に天皇制のことについて留保がついてきたときには、ほんとうに驚
いた。実に堂々としていて、一体これが敗戦国の態度かと思った、同時に日本には何か
含みがあるのではないかと疑った。が、グル―さんなどが鈴木さんの人格からいって、
決して何もたくらみがあるのではない。と言ってがんばったので、他の国をやっと説得
したというのである。後から考えてみると正に米国側の主張が正しかったわけだった。
と申して居りました。この回答に対して大部分の大臣は、ポツダム宣言を受諾する当然
の結果として、国体が変るわけではない。ということを、先方が承知したものである。
として終戦に賛成でした。唯陸軍大臣及び両総長はこの回答では明瞭でく、もう一度、
先方に確かめてもっとはっきりした返事が来れば良いが、そうでない限り国体を護持し
得るかどうか、明瞭でない以上飽くまで戦争を継続せよ。と主張していた。平沼枢密院
議長などは、先方が国民の自由なる意思によって天皇制を維持するかどうか決めよ。と
いうのはおかしい。天皇の御地位は神ながら決まっているものであって、国民の意思に
よって決まったものではないのであるから、これでは国体に反するという議論をされて
いました。そして、これももう一度はっきり先方にたしかめよというのでありました。


187: 名無しさんAA:19/11/12 11:56
 歴史の群像     247

 この間米国側から盛んに、日本の回答の遅延を責めて参ります。もう一度先方の意向
を問い合わせたのでは、到底交渉の糸が切れてしまうことは、明かであります。よって
私は総理にもう一度陛下のお力におすがりする外はないと申し上げました。しかも、両
総長の同意を得られない限り、御前会議を開く途はありません。畏れ多いことながら、
陛下よりお召しを願うことにしたのであります。総理は、十四日早朝参内して拝謁して
陛下の方から十六人の大臣全部、枢密院議長、陸海軍の総長をお召しを願って、おさと
しを頂くことにお願い申し上げお許しを受けました。
 十四日午前十一時一同は、天皇の御招き(おまねき)によって参内して、先般の御前
会議の室に集まって陛下の御出席を待つ事になった。私も出席した。今度は、全部で、
二十三人もいた。総理より経過の概要を説明した後、陸軍大臣、参謀総長、軍令部総長
からは、「それぞれ先方の回答では国体護持について心配である、しかし、先方にもう
一度、確かめて満足な回答は得られないであろうから、このまゝ戦争を継続すべきであ
る。」という意見が涙共になされ、下って申し上げられました。陛下は総理の方に向か
って外に発言するものはないか。という意味の御合図があって後、「皆のものに意見が
なければ自分が意見を言おう。」と前提せられ、お言葉がありました。「自分の意見は
先日申したのと変りはない。先方の回答もあれで満足してよい。と思う」と仰せられま
した。号泣の声が起りました。そして陛下は玉砕を以って君国に殉んぜんとする国民の
心持ちはよく判るが、ここで戦争をやめる外には、日本を維持するの道はない。という
ことを、先日の御前会議と同じように懇々とおさとしになり、更に又皇軍将兵戦死者、
戦傷者、遺族更に国民全般に御仁愛のお言葉があり、しばしば御頬を純白の手袋をはめ
たお手にて拭われました。一同の感激はその極であります。椅子に腰かけているにのに
堪えず、床にひざまずいて泣いている人もありました。しかし、私共を、現実の敗戦の
悲しみを超えて、寧ろ歓喜にひたらせたものは、この次に仰せられた陛下のお言葉で御
座いました。陛下は「こうして戦争をやめるのであるが、これから日本は再建しなけれ
ばならない。それはむづかしいことであり、時間も長くかかるであろうが、それには、
国民が皆一つの家の者の心持になって努力すれば必ず出来るであろう。自分も国民と共
に努力する。」と仰せられました。この言葉を拝したときの心持は、高天原に於て天照
大神が天岩戸をお開きになってお出ましになった時、それをお迎え申した八百万神の、
心持もかくやと、しのべるような気が致しました。尊きを知って只高く仰いでいた陛下
はやはり国民と共にある陛下でありました。私はこゝに新日本建設の黎明さを感じた。
のであります。陛下は我等国民を御信頼なさって、我等に日本再建を御命じになったの
であります。しかし、陛下のお言葉の中には 全く他日の復讐を期するというお心持は
ないので、広大無辺な御仁慈は国民のみならず広く、人類の安心平和幸福を希い給い、
又将来日本が国際社会の一員として世界平和の確立に大いに寄与するため、新しき日本
が新しき民主主義の基礎の上に、道義の香り高き文化国家を再建することを希い給うた
。言葉でありました。陛下は更にお言葉をおつづけになり一般の国民には、ラジオを通
じて親ら(みづから)さとしてもよいと仰せられ、又、内閣に於いて速かに終戦に関する
詔勅の草案を作つて、手許に差し出すようにとのお言葉がございました。これにて御前
会議を終り、閣僚は内閣に帰つて終戦の議を決定し、更に終戦の御詔勅の草案を審議致
しました。かくして、内閣は終戦の詔勅を起草することになりました。


188: 名無しさんAA:19/11/12 11:56
 歴史の群像     248

 こうして、天皇の詔書を閣議にかけて、午后八時審議を終了しそのまま陛下のお手許
に差し出し、御嘉納がありまして一切の詔書公布の手続きを終了しましたのは、十四日
午后十一時でありました。即ち大東亜戦争の公式終了の時間は、昭和二十年八月十四日
午后十一時であります。直ちに、米国に向かってポツダム宣言を受諾した旨の電報を致
したのであります。御詔勅は陛下の御心持をそのまま表していると思います。一度朗読
させていただきます。

詔書
「朕深ク世界ノ大勢ト帝國ノ現状トニ鑑ミ非常ノ措置ヲ以テ時局ヲ收拾セムト欲シ茲ニ忠良ナル爾臣民ニ告ク
朕ハ帝國政府ヲシテ米英支蘇四國ニ對シ其ノ共同宣言ヲ受諾スル旨通告セシメタリ
抑ゝ帝國臣民ノ康寧ヲ圖リ萬邦共榮ノ樂ヲ偕ニスルハ皇祖皇宗ノ遺範ニシテ朕ノ拳々措カサル所曩ニ米英二國ニ宣戰セル所以モ亦實ニ帝國ノ自存ト東亞ノ安定トヲ庶幾スルニ出テ他國ノ主權ヲ排シ領土ヲ侵スカ如キハ固ヨリ朕カ志ニアラス然ルニ交戰已ニ四歳ヲ閲シ朕カ陸海將兵ノ勇戰朕カ百僚有司ノ勵精朕カ一億衆庶ノ奉公各ゝ最善ヲ盡セルニ拘ラス戰局必スシモ好轉セス世界ノ大勢亦我ニ利アラス加之敵ハ新ニ殘虐ナル爆彈ヲ使用シテ頻ニ無辜ヲ殺傷シ慘害ノ及フ所眞ニ測ルヘカラサルニ至ル而モ尚交戰ヲ繼續セムカ終ニ我カ民族ノ滅亡ヲ招來スルノミナラス延テ人類ノ文明ヲモ破却スヘシ斯ノ如クムハ朕何ヲ以テカ億兆ノ赤子ヲ保シ皇祖皇宗ノ神靈ニ謝セムヤ是レ朕カ帝國政府ヲシテ共同宣言ニ應セシムルニ至レル所以ナリ
朕ハ帝國ト共ニ終始東亞ノ解放ニ協力セル諸盟邦ニ對シ遺憾ノ意ヲ表セサルヲ得ス帝國臣民ニシテ戰陣ニ死シ職域ニ殉シ非命ニ斃レタル者及其ノ遺族ニ想ヲ致セハ五内爲ニ裂ク且戰傷ヲ負ヒ災禍ヲ蒙リ家業ヲ失ヒタル者ノ厚生ニ至リテハ朕ノ深ク軫念スル所ナリ惟フニ今後帝國ノ受クヘキ苦難ハ固ヨリ尋常ニアラス爾臣民ノ衷情モ朕善ク之ヲ知ル然レトモ朕ハ時運ノ趨ク所堪ヘ難キヲ堪ヘ忍ヒ難キヲ忍ヒ以テ萬世ノ爲ニ太平ヲ開カムト欲ス
朕ハ茲ニ國體ヲ護持シ得テ忠良ナル爾臣民ノ赤誠ニ信倚シ常ニ爾臣民ト共ニ在リ若シ夫レ情ノ激スル所濫ニ事端ヲ滋クシ或ハ同胞排擠互ニ時局ヲ亂リ爲ニ大道ヲ誤リ信義ヲ世界ニ失フカ如キハ朕最モ之ヲ戒ム宜シク擧國一家子孫相傳ヘ確ク神州ノ不滅ヲ信シ任重クシテ道遠キヲ念ヒ總力ヲ將來ノ建設ニ傾ケ道義ヲ篤クシ志操ヲ鞏クシ誓テ國體ノ精華ヲ發揚シ世界ノ進運ニ後レサラムコトヲ期スヘシ爾臣民其レ克ク朕カ意ヲ體セヨ
  御 名 御 璽
   昭和二十年八月十四日
                   内閣総理大臣 男爵  鈴木貫太郎
                   海軍大臣       米内光政
                   司法大臣       松坂広政
                   陸軍大臣       阿南惟幾
                   軍需大臣       豊田貞次郎
                   厚生大臣       岡田忠彦
                   国務大臣       桜井兵五郎
                   国務大臣       左近司政三
                   国務大臣       下村宏
                   大蔵大臣       広瀬豊作
                   文部大臣       太田耕造
                   農商大臣       石黒忠篤
                   国務大臣       安倍源基
                   外務大臣兼大東亜大臣 東郷茂徳
                   国務大臣       安井藤治
                   運輸大臣       小日山直登

189: 名無しさんAA:19/11/12 11:57
 歴史の群像     239

 玉音放送の詔書 (みこのり)     [中垣現代語訳]
 私は、深く世界の大勢と日本国の現状とに思いを巡らし、非常の措置をもって時局を
収拾しようと思い、ここに忠実かつ善良な全国民に申し述べる。
 私は、日本国政府から米、英、中、ソの四国に対して、ポツダム宣言を受諾すること
を通告するよう下命した。そもそも、日本国民の平穏無事を図って、世界繁栄の喜びを
共有することは、代々の天皇が伝えてきた理念であり、私が常々大切にしてきたことで
ある。先に米英二国に対して宣戦した理由も、本来日本の自立と東アジア諸国の安定と
を望み願う思いからであり、他国の主権を排除して領土を侵すようなことは、もとから
私の望むところではない。
 ところが交戦は、もう四年を経ても、我が陸海軍将兵の勇敢な戦いも、多くの公職者
の奮励努力も、一億国民の無私の尽力も、それぞれ最善を尽くしたにもかかわらず戦局
は必ずしも好転していないし、世界の大勢もまた、我が国に有利をもたらしていない。
それどころか、敵は新たに残虐な爆弾(注 原子爆弾)を使用して、無実の人々までをも
殺傷しており、惨澹たる被害がどこまで及ぶのか全く予測できないまでに至った。これ
以上戦争を継続するならば、遂には我が民族の滅亡を招くだけでなく、ひいては人類の
文明をも破滅しかねないであろう。このようなことでは、私は一体どうやって、多くの
愛すべき国民を守り、代々の天皇の御霊に謝罪したら良いのだろうか。これこそが、私
が日本国政府に対しポツダム宣言を受諾するよう命ずるに至った理由なのである。私は
、日本と共に 終始 東アジア諸国の解放に協力してくれた同盟諸国に対しては遺憾の
意を表せざるを得ない。日本国民であって、前線で戦死した者、公務にて殉職した者、
戦災に倒れた者、更にはその遺族の気持ちに想いを寄せると、我が身を引き裂かれる思
いである。また戦傷を負ったり、災禍を被って家財職業を失った人々の再起については
、私が深く心を痛めているところである。
 考えれば、今後日本国が受ける苦難は、並大抵のことではないであろう。あなたがた
国民の本心も私はよく理解している。しかしながら、私は、時の巡り合せに逆らわず、
堪えがたきを堪え、忍びがたきを忍び、未来永劫のために平和な世界を切り開こうと思
う。私は、国としての形を維持することができるならば、善良な全国民の真心を拠所と
して、常に国民と共に過ごすことができる。もし誰かが感情の高ぶりから、むやみやた
らに事件を起したり、あるいは仲間を陥れたりして、互いに時勢の成り行きを混乱させ
、そのために進むべき正しい道を誤って世界の国々から信頼を失うようなことは、私が
最も強く警戒するところである。ぜひとも 国を挙げて 一家の子孫にまで語り伝え、
誇るべき自国の不滅を確信し、責任は重く かつ復興への道のりは遠いことを覚悟し、
総力を将来の建設に傾け、正しい道を常に忘れずその心を堅持し、誓って国のあるべき
姿の真髄を発揚し、世界の流れに遅れを取らぬよう決意しなければなりません。あなた
がた国民は、これら私の考えをよく理解して行動して下さい。」

 これが玉音放送で流された内容なのである。よく、朝鮮人会や韓国の指導者などが、
「天皇が跪き、懺悔し 頸木の中で謝罪せよ。」などと声明を発するし、全く謝罪声明
がない。などとアホを言うが、全く違っていてポツダム宣言の受諾からして、天皇陛下
は、「……日本と共に 終始 東アジア諸国の解放に協力してくれた同盟諸国に対して
は遺憾の意を表せざるを得ない。日本国民であって、前線で戦死した者、公務にて殉職
した者、戦災に倒れた者、更にはその遺族の気持ちに想いを寄せると、我が身を引き裂
かれんばかりの思いである。また戦傷を負ったり、災禍を被って家財職業を失った人々
の再起については、私が深く心を痛めているところである。……」と謝罪表明している
のだ。韓国の逃げてアメリカ合衆国という他所から李承晩には全く理解できなった言葉
であろうが、アジアの趨勢において、日本は心痛める必要も無かったが心痛めて戦って
きたのである。


190: 名無しさんAA:19/11/12 13:14
   朝鮮人に 喝!  317

 この頃トランプのせいで最近流行しつつある「経済外交策(economic statecraft)」
は、対外政策の内、経済を手段とするもので他に、「軍事力の行使」や「威嚇による交
渉」「平和的外交」「意図的広報操作(propaganda)」などがある。機動的なものと、
能動的なものに分けられる。つまり積極的行動での話と歴史的や体制的流れで行う物の
話である。自由貿易を国是とする日本は主に能動的流れなもの(広い意味での報酬や、
それを約束するもので、代表例は政府開発援助など)を使って来たが、しかし機動的な
主体事例もないわけではない。例えば、北朝鮮に対する日本独自の禁輸や、今度の韓国
に対する輸出管理厳格化措置がそれで、いずれも朝鮮半島に関するのは偶然ではないか
も知れない。その目指すところ(戦略目標)について、長谷川氏は次の8つを挙げる。
(1)シグナル: 経済的な損害や利益(或は脅し・約束)で相手にメッセージを送る
(2)強化: 様々な経済政策を通じて、自国や友好国の交易力を維持・補強する
(3)相殺: 敵対国や脅威国や不良国などの海外からの経済的悪影響を無効化する
(4)封込: 違法行為や不埒行為に締め付けによって相手国の産業形態を劣化させる
(5)強制: 経済的損害やその脅しによって相手を譲歩させ、国際発言の地位を守る
(6)買収: 経済的利益やその約束と引き換えに、相手を譲歩させ納得させる
(7)抽出: 相手の経済的依存に付け込み、相手から富や資源を調達し搾取する。
(8)誘導: 持続的な経済利益提供で、相手国にシンパを増やし、相手の迎合に導く

 今回の厳格化措置は、韓国を旧ホワイト国から除外することで、対象となる三品目(
フッ化ポリイミド・レジスト・フッ化水素)を、包括許可対象から除外することだった
。結果として、個別許可対象となるという、二点だった。とりわけ即効性が予想された
のは後者の方で、韓国の輸入量が少なくないことからグローバル・サプライチェーンに
影響すると韓国で大騒ぎとなった。確かに、当該品目における日本企業のシェアが高く
、他に代替がききにくいものだったため(そのような品目を選んだのだ)、効果てき面
で言わば急所を突いた形となったようだが、実際には、例えば最初の二品目は貿易統計
(通関実績)上はそれなりのボリュームがあっても、輸出管理の対象となるのはその内
の限られた仕様で極めて限定的であり、ほんの数%しかなくさしもの影響はない。しか
も手続きが煩雑となるだけで、例えば三つ目の品目などは既に許可がおりて、問題なく
輸出されており、一説によればここ数ヶ月、中国向け半導体輸出が減っていたので在庫
がだぶついていた。そのこともあって実害はなく丁度良かったとの声も有るほどだ。が
政府にしてみれば急所を突いたとは言え寸止めされていた形である。実際に、韓国の康
京和外交部長官は、最近の国会の決算特別委員会の全体会議で、日本の輸出管理措置に
ついて「具体的な被害は確認されていない。」「このような状況が長期化することによ
る不確実性が企業の負担となる。」と述べている。これに従い、日本国政府の本音を、
代弁すれば、この厳格化措置で狙ったのは上記(1)の「シグナル」つまり「警告」に
過ぎないのであって、輸出「規制」でもなければ、ましてや「禁輸」でもない。当初、
安倍首相や経産大臣が徴用工問題とリンクするかのようにうっかり口を滑らせたのは、
その為盛った発言だったのだろうと思われる。ところが韓国側では(5)の「強制」と
受け止めて強く反発した。日本側の意図が 正しく伝わらなかったのは、日本側の説明
不足と言うよりも、如何に説明されようとも政治利用しようと待ち構えていた韓国側の
作為と言うべきだろう。正確に言うと、その筋の専門家(例えば韓国側の規制官庁)は
正しく理解していただろうに、韓国大統領府が聞く耳を持たなかったのである。それは
ちょうど韓国の国防筋も情報筋も外交筋もGSOMIA継続を主張したのに、韓国大統領府が
受け入れなかったとされるのと同じ構図であり、なんとも死んだような腐ったイデオロ
ギーに凝り固まった文大統領府の独裁と言うべきだろう。これじゃあ日本政府として、
まともに相手をしていられる国だろうかぁ・・・ということになる。


191: 名無しさんAA:19/11/12 14:13
 危険な玩具と、大きな赤ちゃん 52

 トランプのせいで最近流行の「経済外交策(economic statecraft)」は、今や中国に
効かないようで、とうとう関税戦争になったようだ。まあ、トム・クルーズのワッペン
程度なら悪い冗談であったが、今や何でも間でも威嚇と誘導と封込めの対象らしく研究
にも、広告にも、洋服のデザインにも、スポーツ選手の発言にも中国政府が意見を言う
と言う、というまったく恥ずかしい国に成り下がった。まあ日中戦争の頃から、全くお
かしな人類の敵のような様態で、自国民を簡単に虐殺して他人の性にする行動が多々見
られ日本人は訝しがっていたが、香港デモでは図らずもその一端が露呈しているようだ
。この香港島と同じに長官が窮しているのが北朝鮮の将軍様だ。昨年の党中央委員会総
会では、金正恩は、核・ミサイル実験の中止と、核開発と経済建設の両方を追う「並進
路線」に勝利した。と終了宣言し、経済発展に注力する路線への転換を表明していた。
しかし、2月の米朝交渉が不調に終わった後悔もあって、ミサイルを飛ばし「自立的な
民族経済を土台にし、自力更生の旗を高く掲げ、社会主義建設をさらに進める。」など
と、「自力更生」という言葉を計27回も繰り返し「制裁でわれわれを屈服させること
が出来ると血眼になり誤った判断をしている敵対勢力に、深刻な打撃を与えるべきだ」
などとも語り、アメリカへの譲歩には応じず、交渉の長期化を視野に入れた姿勢を示し
ている。まあ可能性はゼロとは言わないがこの間に核開発を模索していて来年あたりは
更に巨大な威嚇する北朝鮮が出現しそうな雲行きである。後の交渉については、年内を
一つの区切りとし、韓国ではアメリカを高く評価しているが来年のアメリカ大統領選挙
を睨んでいるだけで具体的成果は出そうにもない。既にトランプ大統領の足元は見透か
されているのは間違いない。トランプ以前の大統領からは相手にされず、トランプ氏だ
からこそトップ同士の直接交渉の相手となり得た事情もある。原則合意から進展が乏し
い現状への焦りはあり、依然続く国連制裁への苛立ちもある。そんな中で、今年に入っ
て10回の度重なるミサイル発射実験で、北朝鮮はミサイル技術を着実に向上している
と懸念する声が聞かれる。しかし、真の意図は普通の国の様になりたい。という悲鳴に
見える。10月23日に金委員長が、朝鮮半島五霊山の一角・金剛山を視察したときの
報道は、韓国資本で作られた数々の観光施設をボロクソに貶し、「わが国の力で、名山
・金剛山にふさわしい施設を作り直すのだ」と命じたのは、見方によっては父親の偉業
を否定し、アメリカとの交渉で父を超えたと言いたいのだろう。そして16日には朝鮮
中央通信社は、金委員長が白馬に跨り聖地とされる白頭山に登る写真を公開するという
、なんとも大仰な報道をして見せた。金委員長に同行した側近は「金氏が雄大な作戦」
を計画していることを確信した。とまた勿体をつけて報じている。今度は伯父が果たせ
なかった韓国占領でもやるつもりだろうか。日本と韓国の軋轢を睨んでいるのは間違い
ないが、韓国も、金委員長とトランプ大統領の逢瀬を演出したが、いったん関係が構築
されてしまうと用済みで南北融和を期待しようにも、客観的な国際情勢の中北朝鮮声明
ではボロクソである。仕方がない面もあるが仲立ちをこれだけクソにするのも民族も、
世界広しといえど朝鮮国の民族のみだろう。全くおかしな大陸の国々である。




192: 名無しさんAA:19/11/12 21:05
   朝鮮人に 喝!  318

 相変わらず、責任ある立場の人がよくもまあ見え透いたことを。いけしゃあしゃあと
垂れ流せるものだと感心する(笑)。韓国名物のデモ参加人数の水増しがハンパじゃな
いのはこの際ご愛嬌ということにしよう。今月4日に、バンコク開催のASEAN関連
首脳会議に出席中の「日韓首脳のやりとり」(日本政府)は会談でも立ち話でもなく、
「言葉を交わしたという理解」(西村明宏官房副長官)などと、日本は軽く受け流した
記事に対して、韓国政府は堂々と「歓談」と発表し、野党議員の「韓日の発表に温度差
が大きい」と指摘された韓国の首相は、「対話の内容も紹介せず、国際的な基準に合う
とは思わない。」と日本の対応に言いがかりをつけた模様である。例のレーダーと同じ
で、証拠があるなら見せろと見せられた証拠をねつ造するような国民性の発言である。
昨日、韓国大統領府の国家安保室長は、「(GSOMIAは)韓日両国が解決すべき問題で、
韓米同盟とは全く関係ない。」「韓国の立場から見れば、最近の韓日関係悪化の根本的
原因は日本がつくった。」と詭弁を弄した発言が続く。GSOMIA協定延長のためには日本
の輸出管理厳格化措置の撤回が必要だ。と主張しているらしいが、日本という相手のあ
る話をしない独り善がりのみの主張が並ぶ。共産化したイデオロギーに凝り固まって、
自らの耳に心地よいファンタジーに酔っているが、そのうち悪酔いして現実の厳しさに
目覚めざるを得なくなるだろう。そろそろ日本に助け舟を出して欲しい。と甘える高等
戦術だろうが日本船にはとても乗れる場所はない。というのも安倍政権で沈没すれすれ
だからだ(笑)。この輸出管理厳格化措置について、少しでも気づいた方は多くの事に
納得するであろう。韓国を旧ホワイト国から除外することで、対象となった三品目の(
フッ化ポリイミド・レジスト・フッ化水素)の内容がキモイのだ。まず、今回の経済産
業省が発表したことで有名となった物体である、3品について紹介しよう。フッ化ポリ
イミドは、スマホなどの基盤の材料として使用されているようだ。フィルム状の状態で
使用されて、耐熱性・絶縁性・強度に関し高い水準を保ち、エレクトロニクスを始めと
して様々な分野への応用が可能となっている基板材料の被覆材のようだが、今日多段層
IC基盤が求められる中では、とっても大事な役割を持ちコーティング膜材の特性は、
大きく大事らしい。レジストは、これまた同じように基盤の表面を覆うことで絶縁膜を
作る保護剤だが、基盤加工時エッチング処理の保護材らしい。基盤の裏において緑色の
膜が縦横に複雑に覆っているが、その緑色の線がレジストに当たるものらしい。主に、
エッチング液・めっき液・はんだ付けなどに対して、特定の領域を保護する為使用され
、また、湿気や空気中のゴミが接触しないような目的もあって、かなり使用される。こ
ちらも、フッ化ポリイミドと同様、世界の全生産量のおおよそ9割を日本製品が占めて
いると言われる。世界の半導体企業はほとんど日本からの輸入しており、急に代替先を
見つけるのは同じく難しいとされている。フッ化水素とは、別名「エッチングガス」と
も呼ばれており、半導体のシリコン基板の洗浄に使われる物体である。中国でも作られ
るが、近年ますます精密化が進む産業分野において、純度の高い質のいいフッ化水素が
求められて、その供給がない限り新世代ICは製造できない。と言われる。要はごみ掃
除用の水の様な物だが、洗い水が汚れていたら精密さを追求できないのである。日本は
その最大手の生産国で、世界生産量の約7割を占めている。その上フッ化水素の不純物
を除く作用はウラン濃縮に使われる程の優れものらしい。つまりIC基盤の肝がこの3
種の材料らしいが、実は文氏はこのフッ化水素を韓国で作っていた頃の事故で、批判し
て名を上げた弁護士だったのである。なんとも運命とは恐ろしいものである。


193: 名無しさんAA:19/11/12 21:41
 歴史の群像     240

@ 最後の御前会議と場所
 終戦直前の昭和20年8月9日にポツダム宣言受諾の可否について御前会議が行われ
、鈴木貫太郎首相から乞われる形で宣言受諾の御聖断が下された。その後8月14日に
再び御前会議が開かれ、再び御聖断の形でポツダム宣言受諾の最終決定がなされた。 
この2回を特別に「最後の御前会議」と称している。この2回の御前会議の場所は、宮
中「望岳台」(武蔵野台地)近くの地下壕「吹上御文庫付属室」で行われた。とされる
。地下10メートル、部屋の広さは15坪ほどであり、天皇皇后両陛下の寝室・居間の
ある吹上御文庫地下壕からは90メートル離れており、地下道でつながっていた。陸軍
工兵隊により50トン爆弾に耐えられるよう作られた地下壕での事だった。と言われる
A 御前会議の制度的位置付け
 御前会議については「御前会議法」というような制度上の法的根拠は一切ない。御前
会議の位置付けは法的には不明確であり続けた。当然、開催が制度化されたものでもな
く、たとえ開催されても、天皇が出席して発言しないことが、多くの会議の建前であっ
た。国会でも明治天皇の中で行われたものを御前会議と称している。日本の帝国憲法は
「君臨すれども統治せず」を前提としていた。したがって憲法上の天皇の立場は、政務
は各大臣の務めであり、軍令では、参謀総長と軍令部総長の輔弼(補佐)を得て「上申を
承認する。」という形で、つまり賛否を言わずに「解った」と述べるだけであったのだ
。一方で、帝国憲法で、第13条においては「天皇が開戦と終戦を決定する」と定めて
いた。しかし、この場合でも立憲主義の建前からは、天皇による意思の表明・発動は好
ましくないとされていたし、特に開戦に関しては、天皇自身に戦争責任が及ぶため天皇
が直接に決することはなかったであろう。そこで、政務と軍令を統括する御前会議が、
その役割を果たしたという形である。しかも、この場合ですら、御前会議の決定が直ち
にそのまま国家意思の決定とならない。改めてその内容について閣議での諮問を経て、
閣議決定や国会決定してから、正式決定となる制度であったのだ。最後の御前会議での
決定事項も、改めて詔書に各大臣が署名花押して、同意がなければ正式決定とされなか
ったのである。そこで詔書を先行して憲法発布の様に成案として承認されて天皇が読む
事によって、法律として宣戦布告なり、終戦宣言なりが行われる形となっている。
B 迫水久常内閣書記官長
 迫水久常氏は、終戦時において、鈴木貫太郎海軍大将が組閣した内閣の内閣書記官長
であり、現在の内閣官房長官に相当する立場にあった。迫水氏は、明治35年生まれ、
鹿児島市出身で、東京帝大卒業後、大蔵省に入り、岡田啓介内閣の首相秘書官を歴任し
、岡田啓介元首相の女婿であり、岡田元首相の指示を受けながらも、東条政権の打倒に
尽力していた。そして、鈴木内閣では、内閣書記官長として、終戦のための手続きやら
段取りのすべてを、取り仕切ったようである。迫水氏は戦後には、参議院全国区で当選
4回、衆議院鹿児島1区で当選2回を果たし、この間、郵政大臣、経済企画庁長官など
を歴任している。
C ポツダム宣言
 ドイツ降伏後において、1945(昭和20)年7月1日から8月2日まで、ベルリン
郊外のポツダムにおいて、米英ソの3カ国首脳が集まって第二次世界大戦の戦後処理に
関しての会談が行われた。このことからポツダム会談での呼びかけが、ポツダム宣言と
いわれる。この会談の期間中の7月26日にトルーマン大統領、チャーチル首相、及び
蒋介石国民政府主席の3者の共同声明として発表されている。しかし、蒋介石を含んだ
中華民国の要員は会談に参加していなかった為、無線連絡網でで了承を得た。とされて
いる。


194: 名無しさんAA:19/11/12 21:41
 歴史の群像     241

 ポツダム宣言の、内容については、要旨次のとおりである。
1 米国大統領、英国首相及び中華民国主席は、自国の数億の国民を代表し協議の上
、日本国に対し戦争終結の機会を与えることに合意した。
2 欧州方面の陸海空軍によって、数倍にも増加された米英中の兵力は、日本全土に
対し、最後の打撃を加えようとしている。この軍事力は、日本国が抵抗をやめる
まで、日本国に対して戦争を遂行しようとする全連合国の決意によって、鼓舞さ
れ持続されている。
3 自由を希求して奮起する世界の諸国民の力に対し、ドイツが重ねてきた無意味な
抵抗の結末は、日本国の国民にとって、極めて解り易い見せしめである。現在、
日本に向かって集結しつつある軍事力は、全ドイツの国土と産業、生活様式を荒
廃させた軍事力よりも強大なものである。我が軍事力の全面的な発動は、日本国
軍の不可避にして完全な破壊と、同じく日本本土の完全な焦土化を意味する。
4 日本が引き続き、無分別により自国を滅亡の淵に追い詰めた強情な軍国主義者に
支配されたままこの戦争を続けるか、あるいは道理に従うか、決断する時期がき
   た。
5 我等の条件は以下の条文で示すとおりであり、これについては譲歩もしないし、
またこれから外れることもない。執行の遅れは認めない。
6 日本国民を欺いて世界征服に乗り出す過ちを犯した勢力を除去する。
7 日本に新秩序が確立され戦争能力が失われたことが確認されるまで、日本国内諸
地点を占領する。
8 日本国の主権は本州、北海道、九州及び四国並びにこれらに付属する諸小島に限
らなければならない。
9 日本軍は武装解除された後、各自の家庭に帰り平和・生産的に生活できる。
10 戦争犯罪人は処罰される。言論、宗教及び思想の自由並びに基本的人権の尊重が
確立される。
11 日本は経済復興し、課された賠償の義務を履行するための生産手段を保有できる
。また将来的には、国際貿易に復帰できる。
12 日本国民が自由意思により平和的・責任ある政府を樹立できる。この項目及び記
載した条件が達成された場合、占領軍は撤退する。
13 我々は日本政府が全日本軍の無条件降伏を宣言し、かつその行動について十分な
   保障が提供されることを要求する。


195: 名無しさんAA:19/11/12 22:05
 歴史の群像     242

D ポツダム宣言発表後の経緯
 ポツダム宣言は、日本側に降伏の条件を示し、また降伏しない場合の徹底的攻撃を示
したものであり7月26日に公表された。日本側は、翌27日に内容の詳細な検討に入
ったが、政府としては、この内容を即座に受諾は出来ないものの、明確に拒否すること
もできずにいた。終戦の機会を逸するものとして、ポツダム宣言には回答せずまた新聞
への発表も、宣言の訳文のみを載せ、政府のコメントなしという形でなされている。こ
うして、ポツダム宣言の内容は28日の新聞で国民に明らかにされた。がしかし、軍部
は猛反発し、鈴木首相に対して、宣言を無視し戦争貫徹に邁進する。という正式なコメ
ントを要求していた。鈴木首相はこの圧力に屈する形で、ポツダム宣言の黙殺をして、
断固抗戦という旨の首相談話が7月30日の新聞に公表された。しかし、実際のところ
は、日本政府は、仲介を依頼していたソ連の回答を待っていたので、回答を留保したの
であって談話は勝手に創作されている。「ノーコメント」(withhold comment, remain
silent)という姿勢は、各種報道のなかで「黙殺」(would be ignored, reject, kill
it with silence)という表現に変化して各国首脳に伝わったと言われている。そうし
て、その結果において、連合国首脳の反発を招き、結果的にはソ連の対日参戦を早め、
原爆投下を招いたとされ、返す返すも残念である。

E ソ連参戦
 8月になって、政府(特に鈴木首相と東郷外相)は依然終戦への道を模索していた。
ポツダム宣言が米英中の3カ国首脳の名の下に発表されたことを受け、政府は、ソ連を
仲介とした講和を目指していたのである。日本政府は、スターリンらがポツダム会談に
参加していたことは情報として承知していたが、当時は、日ソ中立条約が有効であり、
政府はソ連の対日参戦はない。と考えていたのだ。日ソ中立条約は、1941年に締結
され、1946年までの5年間有効であったからだ。その後の延長について、条約期限
切れの1 年前までに破棄通告なき場合自動延長とされていた。が、1945年4月5日
、突如としてソ連が条約不延長を通告してきた。しかし、1946年4月までは有効で
あり、8月は有効期限内であった。8月に入って本国の訓令を受けて、当時ソ連に駐在
していた佐藤大使は、ソ連を仲介とする講和締結のため、ソ連外相のモロトフとの面会
を目指して動いた。モロトフは、8月2日まで行われていたポツダム会談に参加してお
り、6日モスクワに帰還していた。モロトフ外相との面会を要求していた日本側に対し
、ソ連側は佐藤大使との面会を8日午後5時と指定したが、佐藤大使がモロトフ外相を
訪れたその場で、モロトフ外相はソ連の対日宣戦布告文書を読み上げるという不見識を
行ったのである。この宣戦布告をうけ、ソ連軍は翌9日、満州との国境を越え、日本軍
への攻撃を開始し、およそ50万人の邦人が一般人兵士問わずに収容所送りにあった。


196: 名無しさんAA:19/11/12 22:05
 歴史の群像     243

F 原爆投下
 こうした動きの中で6日午前8時15分、広島に原子爆弾が投下される事になった。
これを期に、慌てた政府は最早戦争の継続は不可能であり、早期の終戦を計ることとな
ったのだ。東郷外相が8日、昭和天皇に拝謁し、原子爆弾投下に関わる事情を上奏した
際、天皇陛下は「終戦に向け努力するように」と言われたと伝えられている。広島への
原爆投下とソ連の参戦を受けて、9日午前、最高戦争指導者会議が開かれた。とされる
。最高戦争指導者会議は鈴木首相、阿南陸軍大臣、米内海軍大臣、東郷外相、梅津陸軍
参謀総長、豊田副武海軍軍令総長の6人で構成され、戦争に対する最高の意思決定機関
である大本営会議の中枢を担う者が集まった形である。会議では、ポツダム宣言の受諾
にあたり、どのような条件を付けるかが論争の的となったようだ。首相・外相・海相は
「国体護持」の1条件のみを付けることを提案したのに対し、陸相と2人の総長達は、
国体護持に加え戦争犯罪人の処罰、武装解除の方法、占領軍の進駐に関する3条件付加
を求めていた。戦犯処罰は、連合国のみが、戦犯を処罰しないよう求める条件であり、
武装解除は前線での即時の武装解除は困難である。という主張であった。占領に関して
は短時間かつ少数の兵力上陸であることを連合国側に要請する。という主張であった。
この会議は最後まで意見が分かれた。午後1時散会となったが、奇しくもこの会議中、
11時2分に長崎に二発目の原子爆弾が投下された。そしてこの日午後、ポツダム宣言
受諾に関する閣議が開かれたが、ここでも外相と陸相の対立は解決せず、ついに深夜、
前述の御前会議が開催されることとなったのである。

G 連合国側の回答と日本の対応
 日本側の条件付きポツダム宣言受諾の通知は10日午前、当時中立国であったスイス
及びスウェーデン経由で行われている。連合国側の回答は12日に行われたが、当時の
米国務長官であったバーンズの名を取り、「バーンズ回答」と呼ばれている。バーンズ
回答に対して日本側で2点の改訳が問題となった。1点目は、「the authority of the
Emperor and the Japanese Government to rule the state shall be subject to the
Supreme Commander of the Allied Powers というもので「天皇と日本政府の統治権は
連合国軍最高司令部の隷属下に置かれる。」という記述である。この点に関しての外務
省の訳文は、「subject to」を「制限下に置かれる」と意訳し軍を説得した。しかし、
この記述では国体護持が守られるか否かが曖昧であったため、最後まで議論の対象とな
ってしまう。受諾反対、若しくは国体護持、を再照会しようとの立場は、陸軍大臣及び
両総長が思うところであった。2点目は、「the ultimate form of the Government of
Japan shall,in accordance with the Potsdam Declaration, be established by the
freely expressed will of the Japanese people である。「日本国政府の最終的形態
はポツダム宣言に従い日本国民の自由な意思に基づき決定される」という記述である。
この記述も又、現帝国憲法で天皇に行政権・立法権があるにもかかわらず、政府の形態
を国民の自由意志で決定する。という記述になり、国体に反するため、国体護持に適合
していないのではないか。と問題提起に挙げられた。発議者は平沼枢密院議長である。
いずれにせよ、前述のとおり御前会議における陛下の御聖断によりポツダム宣言受諾は
決定した。これを受けて14日23時、スイス及びスウェーデン経由で連合国側に受諾
を通知、ここに遂に終戦を迎えることとなった。



197: 名無しさんAA:19/11/12 22:07
 歴史の群像     244

H 関連資料
 14日の2度目の御聖断の発言の全てが含まれるこうした記録は「昭和天皇発言記録
集成(防衛庁防衛研究所戦史部監修)」に記載されている。また、尾形健一 陸軍大佐
侍従武官の日誌である「尾形健一大佐業務日誌」は太平洋戦争下の宮中の状況を知る上
で貴重な史料となっている。ただし、原本は防衛省防衛研究所戦史部図書館が所蔵して
おり、一般には非公開である。なお、尾形大佐は、御前会議に臨席していない。上司の
蓮沼侍従武官長が会議場に居て、蓮沼武官長からの伝聞を記述したもの、と思われる。
迫水氏の証言を補強する意味で、業務日誌の中の陛下の御発言部分を以下に紹介する。
 今回の回答に依り自分の先般の決意に変更なし。先般の決意は、内外の情勢、我国が
戦力等を十分省察して決定せるものである。又国体護持に関しては、先方は之を認めて
居るものと信じ不安を有せず。又国民の自由意志に基づく政体の決定も、外交上の用語
を見るを適当と信じ、余りに疑念を抱くことは適当でないと信ずる。保障占領に関して
は相当の不安あるも、夫れが為、更に戦争を継続することは、結局国体の護持も出来ず
、唯玉砕するのみの事となり、固より国の体面上、保障占領の如きは 洵に残念な事で
あり、又今迄身命を犠牲にして働いて呉れた軍隊の武装解除を要求せられ、場合に依り
ては忠良の子臣も罰せねばならぬのは、自分としては洵に残念であり、忍び得ざる処で
ある。然し此の際、涙を呑み、忍び難きを忍び、明治天皇の遼東還付の御心を忍びつゝ
、此に戦争を終結に導き、我国体を保持し、万民を塗炭の苦より救ひ度し、と決心せる
次第。皆も残念であろうが、自分の気持ちを察して其様に運んで貰ひ度。国民には速に
夫れに関して詔書を出す様に、又陸海軍にも詔書を出す様取計って貰い度。要すれば自
ら放送しても良いと思ふ。

I 天皇の皇太子への手紙
 以下は天皇陛下が穂積重遠東宮大夫に皇太子の元に届けるように命じた手紙のコピー
である。この手紙のコピーも野田代議士から一緒にいただいた。ちなみに、皇太子殿下
は当時11歳の学習院初等科で奥日光に疎開されていた。
「手紙をありがたう しつかりとした精神をもつて 元気で居ることを聞いて 喜んで
居ます。国家は多事であるが 私は 丈夫で居るから安心してください。今度のやうな
決心をしなければならない事情を早く話せばよかつたけれど 先生とあまりにちがつた
ことをいふことになるので ひかへて居つたことを ゆるしてくれ 敗因について一言
いはしてくれ。我が国人が あまりの皇国を信じ過ぎて 英米をあなどつたことである
。我が軍人は 精神に重きをおきすぎて 科学を忘れたことである。明治天皇の時には
、山県 大山 山本等の如き陸海軍の名将があつたが 今度の時は あたかも 第一次
世界大戦の独の如く 軍人がバツコして大局を考へず 進むを知つて 退くことを知ら
なかつたからです。戦争をつづければ 三種神器を守ることも出来ず 国民をも殺さな
ければならなくなつたので 涙をのんで 国民の種をのこすべく つとめたのである。
穂積大夫は常識の高い人であるから わからない所があつたら きいてくれ。寒くなる
から 心体を大切に勉強なさい。      九月九日            父より


J マッカサーとの対面  その1
 1945年8月15日、ポツダム宣言受諾から2週間後に、日本の運命を握る人物が
厚木飛行場に降り立った。連合国最高司令官ダグラス・マッカーサーである。終戦直後
連合国は、天皇に対し厳しい処罰を要求しようとする勢力があった。一方の日本政府は
、たとえ連合国に占領されても、何とか天皇制を維持していきたい。と望んでいたので
ある。敗戦から1ヵ月半の後、昭和天皇は急速マッカーサーを訪ねている。会見の2日
後に発表された1枚の写真は、それは日本国民に敗戦の現実を正々と実感させるものだ
った。そこにあるのは昭和天皇の会見を、できるだけ印象深いものとして発表しよう。
という思惑がある写真だった。会談のあとマッカーサーは、周囲の圧力を退けて天皇制
の維持を腹に決めて、以後さまざまな占領政策を実施した。この戦後の出発点とも言え
る、昭和天皇とマッカーサーの会見にまつわる事項は、内容・反響など敗戦直後の歴史
的事実で大きな事だったが、9月27日のマッカーサーと昭和天皇は2人だけで会見し
、その会見内容は当時も今も公式に発表されていない。



198: 名無しさんAA:19/11/12 22:13
マッカーサーの回想記によれば
、昭和天皇は「政治・軍事の全責任は私にあり、私自身を連合国に委ねる。」と申し出
たと言う。これにマッカーサーは感激し、日本最上の紳士と評価して、その後一層好意
ある態度を示したようだ。これは昭和天皇とマッカーサーの人物像の一端を示す、意義
ある話題だった。これが、今の象徴天皇の発端となったと言われる。一方マッカーサー
は、会見写真の新聞公開を指示し、日本国民に敗戦を実感させる才覚も示している。こ
の会見の通訳も皇太子であり完全な密室状態で漏れるものはなかった。いずれにしても
、終戦直後の占領軍と日本政府の間で、天皇自身の扱いを含めてマッカーサー会見で、
かけひきが、真剣かつ必死の覚悟で行われていた。このことは、あまり知られていない
だけに歴史的にも興味深いものがある。


199: 名無しさんAA:19/11/12 22:15
この昭和天皇の心意気を、今の香港政府や北京政府に日本人として伝えたい。
同じ中国人が こんな暴動や紛争でいいのか 改めてキャリーラムに問いたい


200: 名無しさんAA:19/11/13 07:16 ID:BM
 「福島原発汚染水問題を国際公論化」とぎょっとする命題がついたニュースが流れる
。韓国海洋水産省は10月10日、このような報道発表を出した。前日にロンドンで開
かれた海洋投棄禁止に関するロンドン条約の締約国会議についての発表で、韓国が福島
第1原発の「汚染水」の海洋放出は「全地球的な環境環境に影響する国際問題になる」
と主張した。との内容だ。 韓国は同11日のフィリピンでの世界保健機関(WHO)
の会合でも「汚染水」問題を提起している。いずれの会議でも「原子力」問題との直接
関係が全くなく、主管は国土交通省、厚生労働省だった。しかし、韓国側の主張を想定
して外務省が情報を共有していたため、連携して即座に反論した。韓国側の主張は事実
を踏まえていない。福島第1原発のタンクで保管しているのは、原子炉内で溶けた燃料
に触れた放射能汚染水を多核種除去設備(ALPS)で浄化した「処理水」の事だが。
放射性物質トリチウムを含む処理水は、政府の小委員会で処理方法を検討中で、結論は
出ていない。海洋放出の場合も未処理の汚染水を流すわけではない。更にもっと言えば
韓国の原子炉の海洋排出水はこの数値の約21倍の高濃度で排出放流している。近々の
高濃度では民間団体調査の結果では57倍や78倍などの数値が記録されている。日本
の外務省や経済産業省は9月に、東京の各国大使館向けの説明会を開き、韓国の3人を
含む出席者に資料を配布し事情を説明している。しかし、韓国は国際会議で海洋放出を
前提として「福島汚染水」との言葉を多用している。外務省幹部は「原子炉の周りの水
をそのまま放出するかのような印象を植え付けようとしている。」と担当者は憤ている
。韓国は今月下旬に中国で開催予定の日中韓原子力安全上級規制者会合でも「汚染水の
海洋放出問題」を提起するとされ、日本側の一層の取り組みが求められる。という。し
かし、韓国の原子力安全委員会は、自分たちの出している海洋放流水の月次調査資料す
ら開示も明示もしていない。いったいどうしてなんだ。日本のように調査してるかすら
も解らないままだ。少なくとも民間の採取した放流数値は、大きく希釈した海水調査で
あり200以上の数値即ち日本の福島汚染水の数値の100倍ほどの数値があがるもの
と考えられる。ただし、希釈し薄くなればいいという類は甚だ危険で、数値が低いから
、人体に影響ない。放流できる。というものでもないだろう。と思われる。

201: 名無しさんAA:19/11/13 19:20

「米国民は2016年に、全く大変な人間を大統領にしてしまったもんだ。」世界の秩序は
台無しになり、北朝鮮が声をあげたかと思えば、強い制裁もしないから中国・ロシアが
、中東の混乱に乗じて、エンジンを吹かして温暖化に精力をだし、食料も資源も経済も
未曾有の危機だ。イギリスなどは、もはや手が付けられないチャイナドリームランドで
あり、釣り針にかかったベトナム人は、哀れにも車の中で死んでいる。着々と進んで行
くイスラエルの悪態には、大きな飛躍があって更に混迷を深めて米軍が退去する。一体
何のために中東まできて戦ったんだか、米兵やクルド兵は死んでも死にきれないお粗末
さである。911の憤慨のみなら、大きな負担をしてまでISを倒す事も無かったろう
に。さてさて、欧州は逃げていくIS戦闘員に、今後は又悲しい思いが募るだろう悲惨
な結果が目に見えるようだが、トランプはお構いなしのようにロシアとトルコに手を打
った。憂鬱もここまでくれば、人類の生き地獄も仕方ないと諦めるしかないようだ。



202: 名無しさんAA:19/11/14 06:52
   朝鮮人に 喝!  320

 国際人権団体 ヒューマン・ライツ・ウオッチ(HRW)は13日、北朝鮮の「極めて残虐
な」司法制度の下へ帰したことは国際法に違反すると非難した声明を発した。何があっ
たかといえば、仲間を殺してでも亡命したい脱北者を北朝鮮に有無を言わさず返した。
という事のようだ。韓国当局の調べによると2人が今月2日に、船内で同僚の漁師16
人を殺害して海に遺棄した後、その船で韓国へ逃亡していたところ捕まったらしい。 
 韓国当局は7日、この2人を 南北を隔てる軍事境界線沿いの非武装地帯(DMZ)上に
ある板門店(Panmunjom)経由で、北朝鮮へ強制送還した。朝鮮戦争の 休戦協定以降か
ら、あり得ない韓国の対応であり、韓国から北朝鮮へ強制送還が行われた初の事例とな
ったという。ヒューマン・ライツ・ウオッチの声明で、拷問される恐れがある北朝鮮へ
2人を送還したことは国際法に違反する。と厳しく指摘している。韓国当局が法治国家
と大法院が豪語するが、違法国家の韓国は、自国法にのっとり、容疑者として裁くべき
だった所を、自国法国際法を無視して帰国させている。と主張している。韓国の憲法下
では、韓国領内に入った脱北者、すなわち北朝鮮国民は自動的に韓国国民とみなされる
。こうした韓国領内に到達し脱北する意志を表明した北朝鮮人は通常、韓国にとどまる
ことができるし、そうした事で韓国は情報なり人権保護なりをやってきていた。野党・
自由韓国党 (LKP)の羅卿ウォン(ナ・ギョンウォン)院内代表の話では、男2人は共
に「脱北の明確な意志」を表明していたと指摘している。韓国メディアの報道によると
、漁師の男2人は目隠しをされて、強制的に板門店まで連行され、目隠しを外された時
には、目の前に北朝鮮の兵士が待ち構えていた。というほど本人には知らせていない。
韓国紙・朝鮮日報では、男1人はその場で卒倒した。とまで伝えている。全く徴用工以
上の拷問に似た措置を平気で行う韓国政府のやり方である。これは文政権が北朝鮮人と
いう事を指し示す事以外何物でもない。近年にGSOMIA離脱以上に深刻な事は、盛
んに開発・改良されて飛ばされるミサイルの進化である。これが深刻な脅威であること
は論を待たない。既にロケット威力の脅威として、ウクライナ人の技術者を抱えて中国
以上の精度と技術を持った。その為にソウル防衛どころか、青瓦台すらもが守れない。
最新ミサイルは、中国SY400(神鷹400)地対地ミサイル・システム(中国語では制導火
箭弾武器系統)ロケットに酷似しており、裏に中国の援護がされている事が明確に解る
。北のこうしたパレードにも出していないロケットの発射実験は、中国が自らは西側の
自由市場を利用し拡大経済させても、北朝鮮が西側社会になるのを拒んでいる姿に映る
。2008年に開催された珠海航空ショーに出展された輸出向けの地対地ミサイル・システ
ムSY400 が、北朝鮮に売られている現実だろう。まったく韓国も困るが、この中国も困
ったものだ。一体平和の享受による繁栄を屁とも思わないこの3つの政権は何を考えて
他国を威嚇しているのだろうか。紀元前からあった華夷思想(かいしそう)とも称す物
(中国語では「華夷秩序」)の中国中心主義を今も持っているとした進化や進歩を捨て
た漢民族と言わねばならず、笑って中国との外交・交易を止める関税障壁を世界中で行
わなければならない。そうなると、トランプのやってることは正しい事の証左になる。
公園で道徳心のない1市民の影響で公園封鎖で閉場となるようなものだ。いやはや自由
貿易で栄えた日本は、この毛毬を喧嘩するから二つに割る様な行為にどう立ち向かうの
か術もない。

203: 名無しさんAA:19/11/14 07:42 ID:EM
   朝鮮人に 喝!  321

 去る8月に、韓国政府がGSOMIA破棄を決定した際、米国は完全に虚をつかれた形だっ
た。米国政府の高官は盛んに問い合わせしていたが、いづれも「韓国政府の破棄の意思
は全くない。」との返事と態度を事前に確認していたという。米国はこれが覆らせたこ
とには納得いかない。「文政権が米国などと集団的安全保障に真剣に関与していく意思
があるのか、根本的な疑問を生じさせるものだ。」米国敵視の韓国に大きな疑義を述べ
た。しかし、こうした国際法や親善行為の違反や転覆は、今に始まった事ではない。か
つて、フィリピンやタイあるいはベトナムやミャンマーと、いずれも豹変した外交の罠
にかかっている。実はこうした行為は韓国特有のものではない。言うなれば中国王朝の
十八番(おはこ)だったのだ。実はイギリスが二枚舌外交しだしたのも、米国が野望の
覇権国家を目指したのも、中国のこれを真似たからだ。そもそもアヘン戦争によって、
辛亥革命と共に中国王朝が潰れた本当の所は、この嘘に近い非道理的行いに英国商人が
鬱憤があって交易が成り立たなかったからであり、さらに税収のみ搾取し国民を奴隷の
ごとく思ってか何のインフラも国民幸福も求めなかった帝王政権が義憤に駈られた人民
に反旗を浴びたことが主な要因である。つまり今の文政権のような仕草が国家危機を生
んだのである。経済も殺し、法も蝕み、人心も人気取りに惑わす。そうした行為が如何
に人類の損失であるかは、今のトランプ政権でアメリカの地位が地に落ちる姿を見ても
判るというものだ。地球規模の温暖化に待ったはない。地球という名の公園に、今まで
生活を守って来た一本の大木が心無い一人の男で切り倒されて、北風が吹いても、雨が
降り注ぎ、木の実の恵みが無いとしても、全く帰ってくる事はない。時間は戻らないし
君は若返る事もなく、永遠に生きる事もない。これが欲望に飢えた政治家達への答えで
あり、神の声でもある。英国がどんなにEU離脱を成功しても意味はない。今度の洪水
が示すように、英国には助けが必要でありEUに留まり恥を忍んででも力を借りて国土
や国力を高める事が必要なのだ。今後離脱してもより以上に家も仕事も食糧も愛情も、
結局は無くなる。政治家がどんな約束を取り付けようとも、現実を好転させない限りは
何もできないし良くならない。それを悪転させようというのだから、神も仰天しようと
いうものだ。それ以上にその元となる身の保全さえ捨てようという韓国である。全く、
世界はどうしたというのだろうか。北朝鮮の脅威を考えると最善の防衛体制構築が急務
であるはずで、韓国のGSOMIA破棄は、韓国の「安保不感症」を実証するものであろう。
英国のEU離脱の「経済不感症」も考えられないが「安保不感症」はもっと悪い。米国
の「善幸不感症」がもたらす影響なのだろうか。ともかく国連は、とりあえず香港独立
を考えるべきであろう。中国の凶悪な考えは国際社会に大きな迷惑である。無宗教で、
不信心、その上凶暴でなんら悔い改めない中華中心主義。これをやめない限り地球破滅
への蟻地獄は終わらない。


204: 名無しさんAA:19/11/14 10:55
   小猫のそら   98

 何故安倍政権がダメなのか。惜しいことに、環境も時代も人柄も安倍政権の時代なの
に、安倍氏に能力がなく、自民党の腐敗の芽を断ち切れないどころか、谷垣禎一などを
秋の叙勲に任命している。「桐花大綬章」を受章したのは参議院議長を務めた伊達忠一
すら対象者なのだ。国民ががっくりしたのは言うまでもない。ニュースによれば、「旭
日大綬章」は、自民党総裁や財務大臣などを務めた谷垣禎一さんなど6人が、「瑞宝大
綬章」は元検事総長の小津博司さんが受章しました。外国人の叙勲では、8人が「旭日
大綬章」を受章しました。と発表した。親授式は、午前10時半から皇居・宮殿の「竹の
間」で行われ、天皇陛下から出席した一人一人に勲章が贈られ、続いて受章者を代表し
伊達さんが「この栄誉に対しまして、これからもわれわれ一同、いろんな分野において
精進を重ねてまいる所存でございます。」とあいさつした。と伝えられる。この政府の
天皇を馬鹿にしきった措置は一体なんなのか。自民党野党時代に解体を救ったというの
は日本の国体にとっては疫病でしかない。原発事故でも何ら反省せず、自らの過ちを、
全く認めず今更ながら小泉氏が、反原発を呼びかけるのみだ。全くバカの極致である。
こうしたバカを作っているのが教育分野の退廃である。そもそも文部大臣が「身の丈に
合った受験」を叫ぶのが全くおかしな話である。教育ダボス会議では、日本が今や3周
遅れの教育の中にある事が明らかになっている。つまり欧州の中世の貴族時代の教育と
同じ様になってしまった。とされるのだ。その一番の理由が、教育と経済との壁を取り
払っていない仕組みである。今日経済格差で大学に行けないというナンセンスさは日本
や米国以外ない。他の国は留学生よろしく大きな補助をもった政策で中国他、アジアの
後進国でさえも国費留学生は多い。教育先進国の中で日本だけがズルズルと教科を萎め
理科・社会を無くし、古文や国語すらも教えず、英語能力に特化した教育を目指してい
る。現在の小中学校は「評価」が義務づけられていない。通知表にこうした評価がない
学校すらある。5段階よりも少ない3段階評価で3年生でつく程度だ。相対評価から絶
対評価になっている事はいいが、相対評価でクラスのなかで上位数%が「5」という、
ように、それぞれの割合が決められた相対的評価がされていた時代に比べてもはや全て
の教育する先生の能力を疑わざる結果である。そもそも教育者たる教師同士の虐めなど
ありえないほど錆びれた日本の教員免許に全く有効性がない。スェーデンやフィンラン
ドやノルウェイなどの教育者は更に高見があって教師になってその後8段階の上級層が
あり教育哲学や教育思想などの修士課程を終えても尚教師としても新人であり、非常に
高い見識と人格が求められた栄誉ある地位だ。これを文部省は全くやっていない。その
上に競争原理を持ち込み、生涯学習の為の大学としていない。私大でも公共大学でも、
ほとんどの大学では3割以上が自分のスキルを高める為の再入学や再教科学習に大学を
利用する。だから4割と言う高い一般人入学者があり高齢者学生も少なくない。日本の
みが、学生=20歳前後の若者なのである。こんな国には未来がない。かつてのソ連や
中国と同じで、よく共産国は自由競争が無いとされるが極めて凄惨な暗殺さえ可能な、
ライバル叩きの競争社会で、自由社会資本主義社会こそが秩序だった人格や公共意識や
学力や知恵を共有する自己管理化する社会である事が、まざまざと現れている。つまり
共産国=競争化されない社会という間違えた論理は、この際捨て、落ちこぼれや負け組
という思想こそが共産国特有の差別社会ということを、改めて知るべきなのだ

205: 名無しさんAA:19/11/14 11:08

 基本的に競争原理の入った社会では2割ほど産業停滞がおこるし、学力調査でも同じ
に低下が起こる。それは社会通念と自己努力の毀損が起こるからだとされる。共産国家
が自由社会に負けたのは、産業でも教育でも、こうした競争激化で格差社会が生まれた
からとされ負け組と勝ち組が雲泥の差を生んだからだとされる。この国民のやる気を失
くすという精神阻害感が、それほど国家を左右するほどの大きな事とは政治家達は認識
していないが、歴史的事実である。どんな最新鋭の強力で最高な科学者や技術者を持っ
たところで政治が独裁で、交易もなければ北朝鮮は北朝鮮・・・といったところか。



206: 名無しさんAA:19/11/14 12:27
 大体 法律も知らない老齢議員が多すぎる。二階氏などは極め付けだろう。さっさと
議員辞職しろ。


207: 名無しさんAA:19/11/14 12:32

 そもそも、国会だから、議員だから、総理だからと、日本国民では無い様な汚職を
やっていいという事にはならない。民主党も知っていながら質問せずに断罪すればいい
のであって、検察は全く仕事していないじゃないか。この税金泥棒たちはよく法を知れ



208: 名無しさんAA:19/11/14 12:57
 かつて日本軍の大本営は、終戦に向かって多くの資料の廃棄を求めた。それは日本軍
の他にない偉業も醜悪な非業も汚職的事件も明治から続く日本政府を、吐いて捨てたよ
うな行為だ。いわゆる卑劣な強盗殺人者の「死人に口なし」と殺人をも犯す考えたと全
く同じである。内閣官房府も全く何考えているんだか。逆に殆どの書類を世界に近づけ
る為1年→10年 5年→50年に変更させるべき内閣府であろう。世界では、日本が
1年で廃棄してるようなものは、おそらく100年単位で収蔵庫に入れている。全く、
日本経済の下降の元になるこのねつ造と廃棄が、こうした公務員法を違反して使われる
とは情けない国でもある。嘘の話で未来に行きつける船はない。地震でも洪水でも同じ
農作物の生育も政治もお祭りも、すべての生活が過去からの積み上げた石と同じである
。それがノーベル賞などの成果であり、人々の技術革新なのだ。嘘が多いから商品も又
世界に売れない、企業も他の国にやられて 歴史の結果も意見できない。



209: 名無しさんAA:19/11/14 18:22
         バサラの海    55   

 政府は最新鋭ステルス戦闘機「F35」を米国から最大100機追加取得するとの報道がな
されている。取得額は1機100億円を超え合計1兆円以上にもなる。既に装備化が決定し
ている42機と合わせて将来的に140機体制になる見込みである。今から50年前のベト
ナム戦争時代の機体の「F4戦闘機」の後継機が、F35 の42機取得で、現在の航空自衛隊
が運用している 200機の「F15」戦闘機のうち、100機を改修して継続運用する。しかし
、改修不可能な残り100機前後のF15の更新に、適用させる為 今回最大100機の追加取得
となった経過がある。F35 への更新をもって戦闘機の「質的優勢」確保に役立てること
が目的だろうが、これが中国の軍備増強に対抗できるかは不明のままだ。米国装備品の
購入拡大を迫るトランプ米大統領に配慮を示すが、一方で、カナダ政府などは14日まで
に、F35全65機導入の白紙撤回を正式決定している。購入・維持の価格が160億ドル(約
1兆3360億円)から、3倍近い450億ドルへと高騰したためである。戦闘機は国民の税金
で購入されるので、実際に国防の役にたってこそ意味がある。カナダの英断は F35の費
用対効果が非常に悪いことを物語る。日本の F35取得は日本の将来の戦闘機開発・製造
基盤作りにつながるとの、生産に関する見方もある。しかし、どうせ又 F35の核心部分
の情報は非公開であり、技術取得の面も、どれほど役に立つか疑問である。ステルスの
戦闘機は、レーダー探知「されにくい」というだけで、技術が進化した現在、戦闘機を
探知する方法はレーダーのみではない。機体が大きければ、空中熱源として容易に探知
されるし、目視でも発見されやすい。そもそも現在の軍事技術をもってしても戦闘機の
「質的優勢」は実現できていない。つまり F35戦闘機が日本の防衛に本当に役に立つか
は疑問のままである。理論上は、現代の空中戦は敵を先に発見してミサイルによる先制
攻撃を加えた方が優勢と言われる。が、それは理想に過ぎず現実は異なっているようだ
。2008年のRAND研究所のレポートによると、1950年代から空中戦で撃墜した 588機の内
、有視界外発射のミサイルで撃墜できたものは僅か24機、高価な中長距離ミサイルも、
数値上は期待したほどの成果は発揮していない。有視界の空中戦における操縦手の腕前
が頼りなのが、現在でも航空戦力の要であるようだ。この熟練した操縦士が、敵戦闘機
を格闘戦により1機ずつ撃墜しているのが現実のようだ。ハイテク戦闘機が1機で同時
に2機も3機も敵の戦闘機を撃墜できるのであれば「質的優位」と言えるが、逆に操縦士
の能力を2倍、3倍にも高めることは現在の技術では、安価な戦闘機を多数持つ事の方が
有効であり、これが実現できてはいない。本来 F35の能力を最大限に発揮するには、人
工衛星や他の航空機が集めた情報を統合して掌握できる情報通信ネットワークの構築や
空中給油機、国産のミサイルを使用できるようにするなど、運用に関わる周辺環境整備
が大事なのだが。こうも機体の購入費にこうした多額の費用がかかり、整備運用すらも
高価であれば、要の国の防衛に忌憚を起こす。環境が整わない限り「質的優位」の達成
は、遥かに先の将来の話であって、差し迫った「今の脅威」すらとても対処できない。


210: 名無しさんAA:19/11/14 18:23
         バサラの海    56   

 ほとんどの旅客機は、大勢の乗客を快適に載せるため安定して飛行するように設計さ
れている。アジア太平洋戦争での日本列島空襲に用いられたB-29として知られる「爆撃
機(Bomber)」仕様でも爆弾を降り注ぎ命中させるために安定性が重視されている。そ
のため墜落のおそれは少ない。しかし、戦闘機、攻撃機は急激に上昇したり降下したり
小さく旋回するなど戦闘のための「機敏性」を評価する為、機体には意図的にも飛行が
不安定になるように設計されている。戦闘機を安全に飛行させるには操縦士の技量が高
い事が最低条件となる。F15のエンジン仕様が当時の流行として機体設計の倍の推進
力で「化け物」「暴れ馬」と言われたように、敢えて性能を高めて行くマルチロール機
の多弾頭戦闘機に設計思想が変化している。F-35は2006年に初飛行して。今年2018年ま
でにF-35A、F-35B、F-35Cと合わせて300機以上が生産されて種類も多い。開発時も含め
1件の墜落事故も発生していないのが売りで、20万飛行時間無事故という戦闘機として
は異例の無事故記録を達成していた。しかし9月28日(金)アメリカ海兵隊のF-35Bでの
「短距離離陸・垂直着陸型」が、アメリア東海岸サウスカロライナ州ビューフォート海
兵隊航空基地近辺において墜落、大破するという事故が発生した。F-35型機墜落事故は
これがが初であった。しかし、その後運悪く日本も夜間飛行で最初の日本組立一号機が
海に沈んだ。いわくつきの不良機で、何回も収納庫行きの整備点検したが不良個所が見
つからないまま人を乗せて破損した形である。アメリカ合衆国が費やす軍事関係費は約
1分間に一億円とされる。(約100万米ドル=1.17 億円)に及ぶが、これだけの巨費を
投じても、アメリカ軍は必ずしも最良の兵器を備えているわけでもなく、最強でもない
。この巨額の軍事費は米国経済を大いに圧迫しているため、アメリカ国民を守っている
とも言い難いのが現状である。これを見越してトルコは最良兵器として、戦車をドイツ
から、地対空ミサイルをロシアから購入している。このようにアメリカ軍を有り難がっ
て盲目的に信じてしまうと同じ失敗を繰り返すことになりかねない。そのことを自衛官
や日本国民はよく知るべきだろう。ま最もトルコもB35には購入予定してように評判
はよい機体ではある。最新の垂直に離着陸できる機能を備えれば機体構造は複雑になり
、操縦士の訓練も余分に必要になる。日本でも2016年、海兵隊 第542海兵攻撃飛行隊の
AV-8B戦闘攻撃機が嘉手納基地(沖縄県)を離陸した直後、沖縄県の辺戸岬の東の約153
キロメートルの地点で墜落している。こうした墜落について懸念すべきは、重大事故を
起こす宿命的特徴を持つ垂直離着陸型の戦闘機・攻撃機であるということだ。実際の処
MV-22B「オスプレイ」は米軍のほかの戦闘機やヘリコプターと比べて重大事故は少ない
まま推移はしている。原因として、現在の射出式座席は機体が地上で停止している高度
0速度0の状態からでも、パラシュートが十分開く高度まで打ち上げる「ゼロ・ゼロ射出
」を可能にしているた。つまり脱出時の高度不足よりも射出式座席の故障である可能性
が大きく、これらは、機能より整備点検の良さが勝敗を決め、パイロットの命を守る事
を示している。

211: 名無しさんAA:19/11/14 18:23
         バサラの海    57   

 米軍機が世界最高の性能を備えていると思い込むのは大変危険な事である。最近では
オーストラリア、イギリス、カナダ、インド、フランスが加わったが、日本人の多くは
在日米軍、日米共同訓練で知られるように、アメリカ合衆国は最も密接な安全保障上の
同盟国であり、海外の軍隊と言えばアメリカ軍で、世界最大の規模と強さを誇る。と思
い違いがちである。1970年代から米海軍は、過剰に高性能で高価な戦闘機である F14を
開発し、これを装備したために、100万ドル当たり1日の出撃可能回数がF86に比して約
80分の1に減ったのだ。これは性能の差で埋められるものではなく 全く戦闘員の訓練を
怠る結果を生んだ。高価で大型の戦闘機は複雑すぎて故障も多く、訓練のために飛行す
る回数も減ったために、制空能力はますます低下し、「一方的軍縮」「自滅的軍縮」と
言われたほどだ。これは現在も変わりない。航空自衛隊は米空軍に倣って F15を装備し
たものの、1日の出撃可能回数は、その前の F86戦闘機に比して約40分の1に低下した
のである。もしF16戦闘機の原型、YF16であれば10分の1ぐらいにはに抑えられたかもし
れない。とされる。(YF16のYとは「Prototype 試作」のことである。) F-35の無事故
記録は、INT の発達によって、他の機体の事故で明らかになった原因を、改善やソフト
ウェアのアップデートに反映させやすくなり、即刻改善できる面があり、電子化された
ことが大きいが、これらの電子機器運用のF-35戦闘機の重大事故が発生しやすくなるの
は、実戦配備されてから年月の経ちバグが増えたこれからである。意外なことに、ハイ
テク戦闘機の方が、数値上は10倍程墜落しやすい。それは、高価であるため数を揃え
ることができずに、操縦士の訓練時間が減少する為だと思われている。その上機体構造
が複雑である。また新規運用部品で故障が起きやすく、修理部品も高価であるため飛行
可能な機体数が更に減るという事が各国で起こっている。そうすると操縦士の訓練時間
がますます減少する、とハイテク戦闘機ゆえの悪循環に陥るおそれがある。そうした悪
循環は何も戦闘機に限った話ではない。スエズ奪還のエジプト、中東戦争のイスラエル
、第一次大戦のオスマントルコ、第二次大戦のドイツなどで起こっていた。こうした事
で兵力が落ち設備や戦闘機や戦車が動かず、次々に負けていっている。それには人員に
も向けられた。使い捨て機械の油さしの様に、多量の麻薬がワインやウイスキーと共に
北部戦線に送られて行っているのが判っている。この時雪の上の行き倒れ同然の兵士が
この麻薬入りの酒で、3日間も飲まず食わず不眠不休で戦い、レニングラードを落とし
たとされている。最終的にはロシア兵の餌食になって撃たれて壊滅したが前線の司令官
はその効果に驚いたとされる。この薬を持ってきたのも寝ずについた戦闘機だった。



212: 名無しさんAA:19/11/14 20:29
         バサラの海    58   

 インド半島のインド洋の東ベンガル湾側を抜けるとオマーン海とされるアラビア湾に
入る。ここで船はアフリカのスエズに向かうアデン湾に向かうか オマーン湾を進み、
ホルムズ海峡を過ぎてペルシャ湾に行くかで航路が分かれる。日本のタンカー船は当然
ながらオマーン湾岸諸国に頼っていてホルムズ海峡のあるペルシャ湾に多くは向かう。
日本の原油は99.7%を輸入に頼っている中で、輸入原油の88%以上はペルシア湾ならび
にオマーン湾岸諸国(サウジアラビア・アラブ首長国連邦・カタール・クウェート・イ
ラク・オマーン・バーレーン・イラン)に頼っている。中南米やアフリカあるいは北方
のアラスカなどは2%も満たない量だ。現在、イランからの原油輸入はアメリカの経済
制裁により停止中だが、その間も石油やLNGなどは変化なく消費され、タンカーによ
って、日本に平常通り搬送されている。日本政府は、イランとの友好関係を維持する為
に、本質的にはイランを敵視していると言わざるを得ない CTF-センチネルへの参加
を見送っている。大変な事ではある。その代替え措置に、独自の警戒監視部隊派遣を、
アラビア半島周辺海域に行う検討に入っている。しかしながら、日本関連タンカーが、
テロ攻撃を受けてからすでに5ヶ月も経過したにもかかわらず音沙汰なしでの検討だ。
お粗末極まりない。インド海軍のように艦艇も哨戒機もオマーン湾やホルムズ海峡方面
に未だ派遣してはいない。米国主流の多国籍対テロ警戒の枠組みに参加しない日本が、
このままズルズルと独自の警戒監視努力もしない状態は政府の放漫外交の極みであろう
。誰も安倍政権の尻を叩こうとしないどころか、旧民主党員に至っては、余興の花見が
政府予算の私費扱いに重きを成して国会審議するという。あきれた日本人模様である。
このままでは、国際社会からの蔑んだ目で、「自国の海上航路を防衛する意思」すらも
持たない「卑怯者」とのレッテルを再び貼られて、蔑(さげす)まれ、国際社会の中で
の地位がますます低下することは必至だろう。勝手にインド洋給油をやめて南シナ海に
危機を起こした事件の2の舞になり兼ねない。この給油をやめて外交で努力もせずに、
野田蔵相は馬鹿の様に円高に一石投じたと喜んでいたが、何のことはない尖閣問題での
しっぺ返しと南支那の人工島問題を引き起こし、小沢の中国詣でや習の国賓待遇で中国
を勢いづけてしまったにすぎず、短気の国会問答で政権すら譲り渡した。まったく無知
なることの恐ろしさがここにある。2019年5月〜6月にかけて、オマーン湾周辺海域で6
もの隻のタンカーが連続してテロ攻撃を受けている。テロ攻撃の背後にイランが控えて
いるとトランプ政権は、これまでのアラビア半島周辺海域での対海洋テロ警戒態勢を、
一層強化するための多国籍海軍部隊の結成を国際社会に呼びかけていた。しかしながら
、アメリカの呼びかけに応じる国は極めて少ない状態が続き、結局トランプ政権の打ち
出した多国籍海軍のアイデアは5ヶ月近くも経過してしまい、さらなる海洋テロが発生
することを恐れ、賛同する僅か国の状態のまま多国籍海軍部隊を結成した。「CTFー
センチネル司令部」の開設だ。結局、同時多発テロ攻撃を受け、アメリカの対テロ戦争
を担う一環として、バーレーンを本拠地にしていたアメリカ海軍部隊中央集団の強化と
主導していたCMFを再編集し結成し、アラビア半島周辺海域での対テロ対策を継続し
た形である。CMF活動は現在も継続されており、3つの実働部隊(CTF-150、CTF-151
、CTF-152)が各種パトロール活動を実施している。これら3つの多国籍艦隊を統括する
CMF司令官は、アメリカ海軍中央集団司令官兼第5艦隊司令官が兼務することになってい
る。

213: 名無しさんAA:19/11/14 21:09
         バサラの海    59

 ここで問題なのは、自衛隊装備の少なさだ。海に囲まれていながら、潜水艦も艦船も
野党の批判そのままに、まったく自国防衛すら足りないぐらいの兵員と貧装備のママで
、日本の双竜型潜水艦もSS501〜512の12隻であり、イージス司令艦のこんごう
型ミサイル護衛艦は、あたご、きりしま、あしがら、ちょうかい、みょうこう、とたっ
たの6隻しかない。更に空母型の多目的艦に至っては、「いずも」「かが」に加えて、
大改修をほどこした「ひゅうが」「いせ」の4隻で世界の中でもミニ空母であり、未だ
に戦闘機は乗せられない。虎の子のF-35戦闘機を載せても、日本にいなくなるという、
茶番の状態で、とても世界に通用する警備システムは持たない。それどころか日本憲法
の交戦規程から剥奪された対火砲は見せかけに過ぎず、のこのこ行って打てる火器も、
無人偵察機と判明して撃ち落とすぐらいで、他の艦船に守られなければ航行できない。
 CTF-150(第150合同任務部隊)は、アラビア半島を取り巻くホルムズ海峡〜オマーン
湾〜アラビア海(北部インド洋)〜アデン湾〜バブ・エル・マンデブ海峡〜紅海〜スエ
ズ運河における海洋テロやテロリストの移動など国際テロ集団の活動を抑制するための
作戦(海洋安全保障作戦)を実施する部隊である。CTF-150 には、かつては海上自衛隊
も加わっていたが、現在は加わっていない。現在のCTF-150 参加国は、オーストラリア
、カナダ、デンマーク、フランス、ドイツ、イタリア、韓国、オランダ、ニュージーラ
ンド、パキスタン、ポルトガル、シンガポール、スペイン、トルコ、イギリス、アメリ
カの15カ国となっている。CMF では、海洋テロを抑止するための海洋安全保障作戦と並
行しての、海賊行為や麻薬密輸などの取り締まりにも尽力している。それらの違法行為
は、テロ集団の資金源ともなっているため、海洋テロを助長し連携していると考えられ
ているからだ。この作戦には、国連安保理決議2316号に基づいて、CTF-151(第151合同
任務部隊)が実施しており、海上自衛隊も参加している。現在のCTF-151 構成国は、オ
ーストラリア、バーレーン、ブラジル、ブルネイ、インドネシア、日本、韓国、ニュー
ジーランド、サウジアラビア、タイ、イギリスである。そして本体の CTF-152であるが
、ペルシア湾における海洋安全保障作戦と、ペルシア湾岸諸国(イランは除く)の石油
や天然ガスの積み出し港ならびに関連施設に対するテロ攻撃阻止を実施している。この
任務がCTF-152(第152合同任務部隊)である。989Km に及ぶペルシア湾岸とペルシア湾
を警戒監視しているCTF-152 参加国は、現時点では、オーストラリア、バーレーン、フ
ランス、イタリア、ヨルダン、クウェート、カタール、サウジアラビア、アラブ首長国
連邦、イギリス、アメリカの11カ国が名を連ねる。この CTF-152の、ペルシア湾岸での
作戦にはアメリカ沿岸警備隊も参加しているという。さてさて、日本独自の護衛もいい
が、今度は自衛隊を守る外国人部隊がいないとなれば、威嚇もない状態である。はたし
てタンカーの護衛になるだろうか。




214: 名無しさんAA:19/11/15 01:33
   小猫のそら   99

「おわてんねっと」が政府主催の「天皇在位30年記念式典」の同時刻に抗議デモを行い
ます。福島県知事が「国民代表」で天皇に感謝の辞をのべ、沖縄出身の歌手が明仁作詞
・美智子作曲の歌を捧げるというとんでもない展開です。明仁の30年なんて祝わない、
祝えない!抗議しよう!などと呼びかけている。彼らは日本人なのか。支那人なのか。
何を勘違いしているんだろう。「来年の天皇代替わりで、(平成最後の年)と連呼され
「代替わり」の大型連休時は何と10連休。日本にいる人々の歴史全てを天皇制が決めて
いるかのようで、天皇発言に共感する言説も増え続ける。だが天皇制は身分差別と特権
階級の象徴で、日本のアジア侵略戦争を牽引した制度だ。「代替わりに反対し、今こそ
天皇制はなくすべきだ」と首都圏で連続行動を始めた「おわてんねっと」の方に寄稿し
ていただいた。」という。しかし、それは大きく違う。天皇制そのものは朝廷という、
言わば夜の和合のマグワイ踊りから始まっている。日本は災害が多く戦もあり、かつて
人が全く増加しなかったと言われる。紀元前か3世紀にかけて日本は大きく王を求めて
行く。そして中国の占星術や亀甲占いや様々な大陸文化を取り入れた。それまで平石の
屋根も瓦が葺かれたり、高い物見やぐらも平和になって大きな集団化した組織に変わる
。そんな中で生まれたのが大和朝廷であり、最終的国家事業が聖徳太子の頃に出来た。
とされる。なぜ夜の女性の裸踊りや性交の盆踊りが必要だったかは、今の少子高齢化と
同じ問題で、誰も男と結婚して子供を産もうと思わなかったからだとされている。世界
中で、こうした血縁交合の集団化で国を富ました国はどこにもない。近代化や集権化が
平和裏に行えたという記録がないのである。ところが日本だけは九州王朝成立と大和の
政権など小さな戦争で疲弊したために、大きな戦さをせず大和朝廷が生まれた形で移行
したのである。王制は身分差別と特権階級の象徴であったというのは朝鮮半島までで、
日本は毎年やってくる台風や洪水あるいは旱魃の為、常に呪術師の存在が必要だった。
そして常に祭りが人々を癒した。日本で「厄払い」とされる言葉があるが、当然「役」
とされる責任と義務と権力と権限と償いは常に等しく一緒であったのだ。その頂上に、
天皇が人身御供つまり人柱の代わりに神に捧げられている。それが天皇制である。国家
運営の責任者として、世界安寧の祈祷師としての存在である。だからこそ神仏混合であ
り、先祖供養であり、冠婚葬祭と祭祀祭文が何かにつけてあり、その費用負担や役回り
が役=厄として強制されたのである。かつての高額所得者公示の理由である。新元号を
反対し生前退位が天皇制の安定化に反対する輩は全く歴史を捨てている。新元号は、言
わば国の責任を負う負担に名誉を付けたようなもので、球場や競技場が名前を売ってる
ようなものだ。反対する理由はない。更に戦中戦後の働きを見ても、昭和天皇の地位と
その責任の果たし方からも天皇制が世界一のシステムであったからこそ現日本の復興が
成功した。それを捨てた朝鮮半島は未だ分断し西側の一員と言えども腰の座った政治を
行わない。ドイツ分断もベトナム分断と同じに統一にはそれなりの国民の共感感情が、
まず統一されねばならないのである。中国・ロシアのような独裁には経済浮上が必要で
常に人としての人間境界や国の境界を犯して、国民の目をそらさねば成り立たない。そ
うした邪道政治を日本は捨てているのである。


215: 名無しさんAA:19/11/15 01:57
 馬鹿げた労務回答。今年のボーナス回答は100万平均である。全く異質である。ど
こに日本経済のそうした余力を持つのか不思議である。そんなに高い労賃なら海外勢の
製品に飲み込まれるのは必然で、アメリカが馬鹿げた株価に2万ドルを大きく上回る株
の売買と同じにまったく架空話でいずれ真実の大波が襲って経済を滅茶苦茶にするだろ
う。まったく馬鹿げた価値感覚である。大切なものは何か。守るべきは何か。経済とは
何かを知らねばならない。いくら安倍政権がお願いし、関係官僚や官邸が嘘をついて、
給与を上げても結果は、かつてのフォードの様に身売りするか政府自ら日本を叩き売り
するかに落ち着く。もっと性根を据えて世界を観察せねば経営者は自殺に追い込まれる
。やっと東芝が西洋の政治の罠から抜け出したというのに気が重い限りだ。

216: 名無しさんAA:19/11/15 08:40 ID:E.
   小猫のそら   100

 馬鹿げた労務回答。今年のボーナス回答は100万平均である。全く異質である。ど
こに日本経済のそうした余力を持つのか不思議である。そんなに高い労賃なら海外勢の
製品に飲み込まれるのは必然で、アメリカが馬鹿げた株価に2万ドルを大きく上回る株
の売買と同じにまったく架空話でいずれ真実の大波が襲って経済を滅茶苦茶にするだろ
う。まったく馬鹿げた価値感覚である。大切なものは何か。守るべきは何か。経済とは
何かを知らねばならない。いくら安倍政権がお願いし、関係官僚や官邸が嘘をついて、
給与を上げても結果は、かつてのフォードの様に身売りするか政府自ら日本を叩き売り
するかに落ち着く。もっと性根を据えて世界を観察せねば経営者は自殺に追い込まれる
。やっと東芝が西洋の政治の罠から抜け出したというのに気が重い限りだ。そうして、
高い税金で花見の席である。官僚がふてくされるのも分かるというものだ。分別のない
東京思想は、外国人を多く受け入れ馬鹿のように狂乱舞踊である。国土交通省など予算
を切ればいいものを全くどうかしている。一体何のための高度な自治と国土整備なのだ
。国土整備事務所は、越水や漏水が各所で出てきて河川氾濫情報を出さなかったという
。まったくおかしな話である。越水や冠水などは既に市民が町で避難が終わっているべ
き水位である。通常の河川は河川台地を持ちそれを過ぎたら大水の水位である。さらに
それから堤防の法(のり)が、成形のり面の高さの半分が危険水位として設定している
。それ以上の水位まで情報を出していないということは、かつての農水大臣や建設大臣
の通達例規を全く無視している。と言う事になる。つまり河川国道事務所は自らに違反
を行っている事になる。特に茨木県を流れる那珂(なか)川で国土交通省常陸(ひたち
)河川国道事務所が警戒レベル5相当の氾濫発生情報を出していない。同事務所が同県
内の久慈(くじ)川についても決壊地点3カ所のうち1カ所についての発生情報を出さ
なかったことが12日、関係者への取材で分かった。発生したとの情報は把握していた
とみられる。国交省は14日から検証チームを立ち上げることを明らかにしてはいるも
のの検察庁はなぜ動かない。「氾濫が起き、現場が混乱していた」と釈明しているが、
その氾濫に対応する為の部署が不備がある事になる。こんな馬鹿げた予算はない。賄賂
の典型であろう。何の為の国家予算で調査や広報活動なのか。国民をばかにしている。
又検察は、いつの間に勝手な情状判断で不起訴にばかりしている。こんなバカな制度が
あるだろうか。いつのまにか日本の司法制度は、バカげた制度を導入し巨悪犯罪をそそ
のかしている。「刑事訴訟法等の一部を改正する法律」によって、昨2018年の6月
から施行された制度を、国民に十分知らせず導入された。成立した時ですらメディアは
十分に知らせなかったし国民も知れていない。この制度は、被疑者のためであるという
より、特捜部が重要な供述を得やすくする為の制度として導入された。告発が刑罰軽減
につながる程度のものならまだ許せる。しかし、不起訴如何まで関わり認めるようにな
ればあまりにも不公平だ。しかも、その判断はもっぱら検察が握っている。こんなこと
ばかり議員達は制度化して公然と悪を認めるなら、密告者が続出し、検察の権限が強大
になる上表に出ないで巨悪がはびこるばかりだ。司法取引制度によって地検と取引した
からだというのは間違いである。ちゃんとどこまで認めるのかを規定せよ。経済格差を
もっと無くす努力せよ。いい加減に目を覚まして公務員に仕事をさせよ。



217: 名無しさんAA:19/11/15 20:05
   小猫のそら   101

 安倍晋三首相主催の「桜を見る会」で、自民党所属の国会議員らに出席者の推薦枠が
あったことが問題になっている。野党は名簿の公開を求めているが、菅義偉官房長官は
14日、記者会見で「名簿については、会の終了をもって、遅滞なく廃棄している。」と
説明する。資料はすでに“隠ぺい済み”ということを、さも誇らしげに言う職員の気が
しれない。これほど国益を阻害させて何が公務員というのか。税金泥棒どころか犯罪者
である。隠ぺいが疑われているのは、「桜を見る会」だけではない。政府・与党の中で
今国会の最大の焦点と位置づけている日米貿易協定でも、隠ぺい疑惑が指摘されている
。にもかかわらず、協定の承認案は15日に衆院外務委員会で可決され、19日に衆院の
本会議で採択される予定だそうだ。本当に何を考えているんだか。政府は隠ぺい工作に
手を染め、その背景には、専門家から「交渉で負けた」と批判される協定の内容に批判
があることに恐れてうそを言う。戦時中の大本営より悪い体質だ。戦中・戦後史で例を
みない「不平等条約」が、安倍首相とトランプ大統領の間で実現しようとしているらし
い。だが、そのことを政治家も国民も多くの人も全く知らない。最大の危機は、そこに
ある。TPP質疑ではは70時間以上の時間をかけて議論し、日米貿易協定の審議時間は
10時間にも満たなく又公開してるものは殆どない密閉され隠ぺい工作の賜物であろう。
近年の安倍政権の悪態である思惑通りの展開にはほとほと呆れる。野党の農林議員すら
も嘆くばかりだ。同じ国民を奴隷や山の風景の様にしか感じていない。その証左が今年
の台風災害の大きさである。まともな政治だったら2割も被害があっただろうか。あれ
ほど日本列島の強固な国土保全が論議されていたのに、国会で学者の講習が何ら成果が
でていない。事の始末に最終的に八ッ場ダムの効能などのバカを言う始末自民党のアホ
さにあきれるばかりである。協定については「こんなにひどい協定なのに、野党議員が
体を張って審議を止めるどころか、プラカードを持ち込んでメディアにアピールする。
そのような姿もない。だから、すべてが与党のスケジュール通り。闘う気すらなくて、
情けない。野党の幹部は、国民の生活よりも大臣のクビを取ること(辞任)しか考えて
ないんだよ。」と言う。それは違う。与党があまりにも稚拙でサラミの薄切りと真摯な
答弁をしない腐れたようなはぐらかし答弁に、安倍氏や麻生氏への侮蔑感で国民の政治
離れをし、野党すらも同じに見られて支持率が低迷しているだ。野党も勘違い質問をや
めて国策を問うべきで、揚げ足取りは汚職のみで行くべきである。今協定も政府の試算
では、協定の経済効果は実質国内総生産(GDP)を約0.8%押し上げるという嘘をつく。
、これは米国が自動車関連の関税をすべて撤廃したことを前提にしていて現実的試算と
大きくかけ離れている。東京大学大学院の鈴木宣弘教授(農業経済学)が言う、協定の
内容通り、自動車の関税撤廃がないことを前提に政府と同じ手法で試算すると、GDP
の増加率は一割未満0.09%にしかならなない。不確実性を組み入れればマイナスは覚悟
すべきだろう。「日本政府の試算がおかしいことは、米国の貿易情報誌からも『撤廃を
仮定してGDPの増加効果を計算した。』とされ、せめて、自動車関連の関税が撤廃さ
れていない場合の試算と、2本立てで試算と発表をすべきですが、それすらしていませ
ん。」と公務員法違反をしていてぬけぬけと答弁する。検察があれだけ明らかな大学の
ラクビークラブの不正を、提訴や起訴を見送りにして、ぬけぬけとわれらは検察だ。と
大手を振っている不条理と同じである。全く間違っている。能力がないなら、さっさと
解体せよ。これが全国民の声だ。科学的にも映像的にも立証できるものが裁判官が拒否
しているなら、裁判官に辞任を求めよ。国民はこの全くおかしな事に苛立っている。



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