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川中島に住むスレ
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 「花は盛りに、月は隈なきをのみ見るものかは。雨に向かひて月を恋ひ、垂れ籠めて
春の行方知らぬも、なほあはれに情け深し。咲きぬべきほどの梢、散りしをれたる庭な
どこそ見どころ多けれ。」吉田兼好は、「花の散り、月の傾くを慕ふならひはさること
なれど、ことにかたくななる人ぞ、『この枝かの枝、散りにけり。今は見どころなし。
』などは言ふめる。よろづのことも、初め終はりこそをかしけれ。男女の情けも、ひと
へに逢ひ見るをばいふものかは。逢はでやみにし憂さを思ひ、あだなる契りをかこち、
長き夜をひとり明かし、遠き雲居を思ひやり、浅茅が宿に昔をしのぶこそ、色好むとは
いはめ。
 「花は満開のときだけを、月は雲りがないのだけを見るものであろうか、いやそうで
はない。降っている雨に向かって(見えない)月のことを慕い、すだれを垂らして室内
にこもり春が移り行くのを知らずにいるのも、やはりしみじみとして情趣が深い。今に
も咲きそうな梢、花が散ってしおれている庭などにこそ見るべき価値がたくさんある。
」吉田兼好は「和歌の詞書にも、花が散り、月が西に沈みかけるのを 惜しみ慕う様な
習慣はもっともなことではあるが、とりわけものの趣を理解しない人は、『この枝も、
あの枝も、散ってしまって、今は見る価値ががない。』などと言うようだ。何事も、最
初と最後が趣があるものだ。男女の恋も、ひたすらに契りを結ぶことだけを(情緒があ
ると)いうのだろうか、いやそうではない。逢わずに終わった(恋の)辛さを思い、は
かない逢瀬を嘆き、長い夜を一人で明かして、遠く離れた所(にいる恋人のこと)を、
はるかに思い、チガヤの生い茂った荒れ果てた家で昔(の恋)を思い出して懐かしむこ
とこそ、恋愛の情趣を理解する人間の英知と言えよう。」と言っている。藤井聡太は、
コンピューターの採点に対して、「コンピューター将棋は、それこそ数ある幾多の名人
を負かす資料を持つ強いもので指し手を案内するが それでも機械である。人間の英知
の知略には 恐らく適わないと、私は思っている。」と評している。古来より日本人は
西洋人と違って非対称性を重んじる。西洋磁器も中国青磁も美しさのこだわりに景色は
ない。つまり完全を求め、対称性や関数比を用い、数学的科学的文知を用いる。対して
日本の殆どの磁器にはその不完全さや趣向に景色をみる。わざわざ割れた物でも金で接
いで景観教育の粋に酔う。つまり個の深さを愛するので完全は無い物として認識してい
る。一面の同色よりは、シミをかぶり変形し焼きすぎた文様に、その景観を美味とする
のだ。これが東洋社会の在り方なのである。言わば雑木林の甘露の慈雨主義である。

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