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嘘つきの奴ちょっとこい
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228: 10/24 04:07
  歴史の群像     168

こうした「軍事的優位」という考え方は軍拡競争の基本思想で冷戦構造の核でもあった
。しかし、米国を驚愕・驚嘆させたのは追随するソ連のその速さであった。核開発に3
年もかかりやっと広島や長崎に落として軍事的優位にたち今後50年ほど安泰と思われ
たのに僅か2年後にはソ連は屋外実験を成功させた。開発時から研究者にスパイが送り
込まれていた上に、研究者の共済共産思想は、アメリカ唯一の覇権主義を危険視してい
て、こぞってスパイやソ連の開発に協力的だったのである。原子爆弾が日本に落とされ
て僅か3年で追いついて実験を成功させ、その開発に封印しては、条約を破りイギリス
にさえも出さかった核技術が、ソ連に簡単に開発された事で、更に米国封印していたこ
の先の開発を進める決断をする。それはこれまでの核分裂の原子爆弾から、核融合によ
る水素爆弾の開発である。こうして、ビキニ環礁実験は成功するが、すぐにスプートニ
クショックがアメリカを震撼させる。つまり爆弾の性能には勝っているものの、送り出
すミサイルの性能には劣っているのではないか。と言う不安である。原爆はTNT火薬
の15倍程とされ、更に一定量以上は出来ないとされる。しかし水爆はTNTの150
0倍、核出力の計算値では、6000倍とされ。核出力の効率化は水爆1 tあたりTN
T換算6メガトン (Mt) が理論上の限界とされる。広島や長崎と投下された、原子爆弾
はTNT火薬換算で、20キロトンになる。この数値は2万トンのTNT爆薬を爆破した
ときの破壊力とされる。1メガトンは1000.キロトンですから、広島の50倍となる。ソ連
では20メガトンの核弾頭をつけた液体燃料式 SS-18サタンICBM核が地下サイロに配
備され、現在配備中の核弾頭では、ロシアの SS-24スカペル固体燃料の核ミサイルで、
10個の 500キロトンの核弾頭を個別に10箇所の目標に同時に打ち込める。核分裂は爆弾
の規模に限界があり、広島型の10倍が限界とされ、一定量超えると核爆発するから片方
をギリギリのサイズにしてもそれ以上は縮爆が出来ない。しかし、核融合では上限がな
く、太陽すら核融合であるとされる。人工的に小さな太陽を作れるとさえ考えられてい
る。重水素(水素だが別種)に核融合反応を起こすためには莫大なエネルギーが必要で
重水素を圧縮して核融合反応を起こさせる。この為核分裂で核融合を起こさせて行う。
つまり広島型の核は水素爆弾のいわば導火線に過ぎない技術だったのである。不思議な
事に、今岩国でトロッコ問題というのが教育問題として持ち上がっている。倫理学の思
考実験で大人の遊びの最悪状態に二者択一の問答させるという究極の法理問題である。
こうした物はアリストテレス倫理学の頃の話で紀元前からある。アルカイダの船の様に
究極の選択で、生死を彷徨う人間に、どこまで人間性が求められるか、どこで殺人が許
されるか市民裁判のリベート論である。しかしこれがドイツの東方生存圏の権利になり
第一次世界大戦、第二次世界大戦の基になった。ドイツに「東方への衝動」が存在し、
このスローガンでドイツ文化が優れているという考えと東方殖民業績を賛美するという
国家宣伝議論に利用された。今の韓国の言う朝鮮起源説のようなものだが、ドイツの国
家主義運動でナチス・ドイツはチェコスロバキアのズデーテン危機に「東方進出に対す
るスラブ人の砦」とチェコ人を利用した。流布していた主な地域のスラヴの世界で「ド
イツの学者たちの大部分はドイツに反対する運動、汎スラヴ主義(後にソビエト運動)
としてスローガンを拒絶した。」つまりドイツ人自体が戦略的に東側民地域の人々が、
東側起源としてドイツ西部工業化の進んだ地域に移動してくるのを拒み、反対の西側へ
の進出も発生した事で移民対抗をこの言葉で操ったのである。現代のトランプが南米の
移民を拒絶するようにドイツは拒絶したのである。その上で占領を正当化したのだ。

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