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何でも書こう
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世界新時代の  52   < 小日本とアローンの志士   777  > 
 ヨーロッパからアメリカに入ったが、ことに天然痘の被害は最大のものでありアメリ
カ・インディアンは天然痘の免疫を持たなかったため全く抵抗力がなく、所によっては
死亡率が9割にも及び、全滅した部族もあった。天然痘は猛威を振るい、圧政や強制労
働、麻疹やチフスなど他の疫病も相まって、征服前の人口が推定2500万人だったのに対
し、16世紀末の人口はおよそ 100万人にまで減少し、中央アメリカの先住民社会は壊
滅的な打撃を受け一割以下の人口になっている。またインカ帝国においては侵攻を受け
る前に、すでにスペイン人の到達していたカリブ海沿岸地域から天然痘が侵入し、現在
のコロンビア南部において1527年ごろに大流行を起こした。この大流行によって当時の
インカでは、皇帝と皇太子がともに死去し、空位となった王位をめぐって二人の王子が
帝国を二分する内戦を起こした。この内戦はアタワルパの勝利に終わったもののインカ
の国力は疲弊し、スペインのピサロによる征服を許す結果となる。さらにインカ帝国お
いて征服後は天然痘をはじめとする疫病が大流行し、先住民人口の激減を招いた。北ア
メリカでは白人によって故意に天然痘がインディアンに広められた例もあると言われる
。フレンチ・インディアン戦争やポンティアック戦争で、イギリス軍が天然痘患者汚染
された、毛布等の物品をインディアンに贈って発病を誘発・殲滅し、19世紀に入っても
なおこの民族浄化の手法は続けられた。との説がある。モンタナ州のブラックフット族
などは、部族のウェブサイトでこの歴史を伝える。しかし、肝心の英国側は作戦を行っ
た証拠の記録は無い。という。天然痘は、日本には元々存在せず、中国・朝鮮半島から
の渡来人の移動が活発になった頃、6世紀半ばに最初の流行が見られる。折しも新羅か
ら弥勒菩薩像が送られ、敏達天皇が仏教の普及を認めた時期と重なった。日本古来の神
をないがしろにした神罰という見方があり、仏教を支持していた蘇我氏の力が低下する
など影響がでたのだ。それ以降度々流行したが、奈良の大仏造営のきっかけの一つが、
この天然痘流行である。ヨーロッパや中国などと同様、日本でも何度も大流行を重ねて
江戸時代には定着し、誰もがかかる病気となった。天皇さえも例外ではなく、東山天皇
は天然痘によって崩御している他、孝明天皇の死因も天然痘との記録が残る。ところが
この三橋の島田天満宮社には、この天然痘から救った牛の記録が残る。昔から子供達の
驚風8きょうふう:ひきつけ)・高熱・安全の神様として古くから信仰されている神社
で、1719(享保4)年に創建されたと言われる。島田天満宮は菅原道真公が祭られてい
ます。、健康祈願に訪れる。祭神には、平安時代に多方面で活躍した菅原道真公が祀ら
れていて、学業成就なども祈願することもある。風疹の神とされ、かつてここで紅毛人
が施しを行って八女と同じに何人もの人が助かったとされる。その為三橋薬品は出来た
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