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モラハラ相談
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337: 09/23 19:47
1888年に、ジュール・ヴェルヌの『八十日間世界一周』をモデルとして実際にリポー
ターを世界一周させるという企画が決定し、ネリーがそのリポーターに決定した。1889
年11月14日に彼女はニューヨークを出発し、24,899マイルの旅に出た。世界一周の旅行
中に彼女はイギリスだけでなく、日本、中国、香港、ブリンディジ、コロンボ、サンフ
ランシスコなどを訪れた。彼女は単独世界一周旅行を行った最初の女性であった。日本
には5日間滞在し、横浜、東京、鎌倉などを観光した。日本の印象はすこぶるよかった
ようで、帰国後に出版した旅行記の中で、日本のことを「愛と美と詩と清潔の国(the
land of love-beauty-poetry-cleanliness)」と評し、見聞きしたことや人々にいかに
魅了されたかを綴っている。ネリーは1895年に大富豪のロバート・シーマンと結婚し、
ジャーナリズムから一時引退した。彼女は1904年に夫が死んだ後、その会社の管理を引
き継いだ。彼女はその後ジャーナリズムの世界に復帰し、1913年の女性投票権協定や、
第一次世界大戦のヨーロッパ東部戦線のレポートを行った。ワールド紙は、1909年には
フランスパナマ運河会社に対するアメリカによる4,000万ドルの詐欺の報酬を暴露した。
後、ピューリツァーは、セオドア・ルーズベルトとJPモルガンを誹謗したことで起訴
された。法廷は、報道の自由の勝利の中で、起訴を差し戻した。ピューリッツァー賞は
ピュリッツァーの遺志に基づき、1917年に創設された。沢田教一はUPI通信社の記者
として「安全への逃避」と言う赤子を抱いて川を渡る写真が賞を取って有名だが、もう
一つ、邦題「泥まみれの死」(沢田教一/1966年8月19日)と言うベトコンを引きずりな
がら走るアメリカ軍戦車を捉えた写真がある。ロン・タンの戦いの余波を受けた南ベト
ナムで撮影された写真とされ、オーストラリア軍に夜襲をかけたベトコンが撃退された
時のもので、写真内で引きずられている兵士はその犠牲者の一人だと言う。この写真が
伝えるのは、あまりに長い期間を交戦地帯で過ごし、大部分の人々にみられる、残虐行
為に対する慣れと冷淡さだろう。この写真の公開は、主戦論者が多かった欧米の感情と
意欲を吹き飛ばした、意義深いものとなった。と言われる。田中宇氏は言う「戦争反対
のマスコミはあるんだ。というのを、戦後の日本人はずっと信じてきた。」としかし、
「ブッシュのイラク戦争はだめな戦争だというのは、最初からかなりの人や、専門家は
わかっていたんだけれども、それでもやっぱり(国の為の)いい戦争だということで、
ニューヨーク・タイムズなんかは報じざるを得なかった。」「……マスコミはやっぱり
勝てないんですよ。だけども、戦争が終わって、「失敗だったじゃないか」と言われた
ら、(そう)書くし、「いや、できるだけのことをやりました」(とも書く)で、国民
の代表は怒っている。これが延々と続いているわけで、アメリカでも今それが起きてい
る。
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