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モラハラ相談
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342: 09/23 19:49
     世界閲覧 35      死者の魂と共に生きて  038     

 1983年アメリカ軍はグレナダを空爆した上で上陸を演習通りに実行、グレナダ
軍はキューバ兵も含めて抵抗したが、圧倒的に兵力、武器で劣り、瞬く間に制圧された
。小さな島を占領したアメリカ軍はオースチン軍司令官を逮捕し、裁判にかけて死刑を
宣告した。これによって人民革命政府は倒れ、親米政権が樹立された。1983年のこ
の他国干渉の強硬策は、「強いアメリカ」を掲げたレーガン外交の新冷戦戦略とされた
新たな国際的緊張関係をもたらし、軍事支出増大の財政赤字と貿易収支の赤字という、
「双子の赤字」で悩み、その解消のたの社会福祉縮小、規制緩和の変更など、新自由主
義経済政策として日本に市場開放と輸出の自主規制が襲った。この米ソ両陣営で勝手な
体制矛盾が強まる中、冷戦終結が成された。1985年ソ連のゴルバチョフ政権登場で
、急速に社会主義陣営の自己解体が進み、1989年には東西冷戦の象徴ベルリンの壁
が開放され、一気にブッシュ=ゴルバチョフのマルタ会談での冷戦の終結宣言となり、
その勢いはさらに91年のソ連崩壊に行き着くこととなる。これは日本の預かり知らぬ
動きとなった。まず世界はソ連の重しが取れて地域紛争、さらに民族紛争・宗教対立が
激化した。ソ連の崩壊の事態はアメリカが唯一の軍事大国と存在感を増して「世界の警
察」となり世界各地に軍事力を展開する姿勢は、同時に中東やアフリカ、中米、アジア
各地で反米感情をももたらした。国際連合もPKO活動果敢に行われたが、イラクのフ
セインのクェート侵攻に見る様に、共和党ブッシュ政権は国連の多国籍軍の主力となっ
て湾岸戦争を指導し遂行した。レーガン・ブッシュ政権は覇権主義的外交と緊縮財政で
次第に国際社会のいらだちを高めた、1993年から民主党クリントン政権に交替した
。クリントン政権は経済復興を優先して安定を取り戻し、中東和平でのオスロ合意や、
95年のベトナムとの国交回復などの成果を上げた。一方パレスチナ問題はその後再び
悪化させ、旧ユーゴのボスニア紛争にも介入し、95年末に和平協定を成立させたりし
て、アメリカ自身が揺れ動いた。99年のコソヴォ紛争はNATO軍と共に人道的介入
と称し、セルビアへの空爆に踏み切り、アメリカの軍事力依存体質が再び顕著となった
。ブッシュ共和党政権の覇権主義的な行動は、すでに1989年のパナマ侵攻に見られ
ており、それはブッシュ(子)のイラク戦争の予行演習とも言われて、軍事力によって
他国の主権を侵害し干渉し、アメリカにとって不都合な政権を排除するという国際連合
規約の精神にはする単独行動主義は今なお続いている。
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sage
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