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モラハラ相談
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     世界閲覧 35      死者の魂と共に生きて  042     

 前アメリカ大統領ジョージ・H・W・ブッシュは、第二次世界大戦で最も若い艦上攻
撃機パイロットだった。退役するまでパイロットとして1228時間の飛行時間を記録し、
二度の被撃墜も経験してる。少尉時代はマリアナ沖海戦では日本機の銃撃で、中尉時代
には小笠原諸島沖で父島地上砲台の対空砲火を浴びて乗機を撃墜されている。もともと
祖父の時代からテキサス油田からの小さな原油吸い上げして売る石油採掘を生業として
いた。ビジネススクールを卒業し、最初に自分の会社を故郷のテキサス州に設立したの
は、1978年のことだ。イェール大学を出て、父の繋がりでウサーマの長兄のサーレ
ムと設立したのは「アルブスト・エネルギー」という石油採掘会社であった。「アルブ
スト」という名前はスペイン語で「茂み」という意味だった。これを英語に直すと「ブ
ッシュ」になる。戦前まではここテキサスの石油は戦争特需で飛ぶように売れた。バク
ー油田から買い付けできなかったからだ。その後も サウジなどの中東の油が輸入され
るまで、テキサスは大きく売り上げを伸ばした。スペイン語圏のメキシコに国境を接し
ており、自分の名前を変化させて社名にしたのだった。祖父の代から石油業界の経営者
だったから、父親につてがあり息子に石油会社の設立をすすめたのだ。アルブスト社は
、設立から3年間は利益が出ていた。ジョージ・Wが石油事業を手がけるのは、これが
初めてだった。最初から利益が出せたのは、父親がテキサスの業界関係者への口利きを
手伝ってくれたことが大きかったと思われる。父親はこの時期、ニクソン政権のCIA
長官からレーガン政権の副大統領になり、影響力が強まっていた。その後アルブスト社
は試掘が当たらず赤字となり、1982年には倒産寸前となり父親は、テキサスの石油
業界の組合に頼み「スペクトラム7」という会社に、息子の会社を吸収合併してもらっ
た。こうしてジョージ・Wはその会社の取締役として経営を続けた。ところが86年に
は、スペクトラム7も経営難に陥った。すると今度は、父親が属している共和党を支持
する財界人が、自分のハークン石油という会社に、スペクトラム7を吸収合併させた。
ジョージ・Wはハークン石油の顧問となった。ハークン石油も大きな会社ではなくて、
テキサス周辺の石油開発しか手がけていなかったが、合併から4年後の90年1月に、
どういう訳かアメリカの大手石油会社が狙っていたペルシャ湾岸のバーレーンの有望な
油田開発をバーレーン政府から単独受注し、業界関係者を驚かせた。既にこの頃テキサ
スの油井は深度が深くなり採算はなかった。この時最初から投資してくれていた共同の
経営者がオサマ・ビン・ウサーマの長兄のサーレムであった。そして彼の政治力で首が
つながっていたのである。
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sage
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