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モラハラ相談
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347: 09/23 19:53
     世界閲覧 35      死者の魂と共に生きて  043     

 父親はニクソン政権のCIA長官からレーガン政権の副大統領になり、影響力が強ま
っていた。この時期に、アルブスト石油に資本参加した人物の中にサレム・ビンラディ
ンがいた。オサマ・ビンラディンの兄である。52人いるといわれる兄弟の中の最年長
で、ビンラディン一族の家業を彼が継ぐことになっていた。ビンラディンがブッシュの
会社に投資したのは、父親が石油業界からCIA長官になったことと関係していたのだ
。CIAは1979年、ソ連軍のアフガニスタン侵攻に対抗するため、サウジアラビア
政府と協力し、サウジを中心とする中東全域から「聖戦士」を募集し、パキスタン軍に
訓練させてアフガンの前線に送り込んでいた。ビンラディン家は、サウジ王家に代わっ
て聖戦士募集に携わり、若いオサマをアフガニスタンに送り込んだ。ブッシュの父親は
、サウジの石油とアフガン戦争という二つの要素でビンラディン家とつながり、ビンラ
ディン家の若旦那がブッシュ家の御曹司の会社に投資するという、息子どうしのつなが
りになっていた。一時期は隣同士に住んでいた時期さえあったし、ホームパーティの双
方での常連客であったと伝えられている。しかし、1979年のイランのイスラム革命から
イスラム原理主義の勢力に、社会の近代化を進めようとするサウジアラビアなどアラブ
の王国にとって脅威があり。アラブ社会に変化が出た。革命が自国に飛び火することを
恐れてイランに対する締め付けに同意したのだ。イスラム革命の世界的広がりを恐れる
ソビエト連邦やアメリカ合衆国などと同じ仲間になったのだ。1980年に国境線でイラク
がイランとの全面戦争(イラン・イラク戦争)に突入し、アラブ各国も米ソもイラクを
支援した。しかしイスラエルが1982年に行ったレバノン侵攻は、アラブ側では「第五次
中東戦争」と認識されている。レバノンの覇権をめぐってシリアとイスラエルが介入し
、当時レバノンを拠点としていたPLOが双方から排除を受けて移転した。この戦いで
イスラエルは軍事的優勢で首都ベイルートにまで侵攻したものの、目的の親イスラエル
政権樹立は失敗した。さらに、それまでの自衛の戦争と違い、レバノン侵攻に関しては
差し迫った国家の危機がなく世論は戦争の継続に否定的だった。こうしてイスラエル軍
は消耗戦へと追い込まれ、泥沼化する情勢の中で撤退に追い込まれた。しかしレバノン
南部への駐留を続行した為、この地域の占領反対のガザにおいて大規模な抗議行動が起
きた。、以後イスラエル占領地域や難民キャンプのパレスチナ人が自ら抵抗運動を行い
、イスラエル軍との軍事衝突が頻発し、武器を持たないインティファーダ行動が起こっ
た。1990年、突如としてイラクはクウェートに侵攻し、翌1991年にはアメリカとの湾岸
戦争に突入した。
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sage
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