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モラハラ相談
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388: 10/29 17:55
  世界閲覧 35      世界は踊るリンボーダンスの様に    20   

 そもそも人は「美しさなしには生き残れなかった。」と文化人類学では伝える。つま
り、ネアンデルタール人とホモサピエンスでは、先者の方が脳も大きく骨格も太く大き
かった。とされる。つまり生き延びるにはネアンデルタール人の方がずっと適していて
野蛮で強かった。とされるのである。しかし、結果滅びていく。それが生活態度の違い
で、こうなったと言う。嵐や吹雪に狩りに行く事に弱くて非常に抵抗があった。その為
強者や猛獣を嫌い、木の実や穀物を貯めて洞窟などで、編み物や絵を描き道具を作った
りして、冬を過ごしたからだ。と言われている。その遠い祖先は、「美しいもの」とい
う感覚を発達させた。これが今日の文化を彩っている。と言う。日本人は平安貴族にお
いて、「あわれ」を美しいもの。と代えた。それは天皇や有力豪族を神に変える行為が
綿々と続いて来ていたからだ。西洋の人の聖人化も同じものだった。助けてくれた人へ
の感謝で祀り上げたのである。キリスト教も回教も実は同じで、偉大な聖人が神として
存在させた行為に過ぎない。これに反抗を示したのが現世の生きている権力者だった。
国家が大きくなり戦った相手すら神になっていて国内に矛盾があった。そこで今までの
伝説の聖人を一掃して、一神教政策に変えた。それが戦いの歴史である。日本ではこの
哀れと言う事の物語に 一般の武士は嘆いた。つまり隣で共に戦い大きな戦果を残した
にも関わらず死んでいった者に「あわれ」と言う言葉に詰まったのである。そこで出来
たのが「あっぱれ」であった。報告される家臣の死に掛けた言葉は、「見事である。哀
れある。」が「見事である。あっぱれである。」に変わったのである。そして時代は、
殿の御褒美言葉として「あっぱれ」が定着した。江戸期に鉄砲が入ったが、又刀の文化
に戻した。それは合理性のない、文化だがそれが美の根源だった。その美は人の活用で
もあった。江戸期人は身分の差別はあったが一様に教育の場所は与えられ、同様の権利
と義務と責任を課したからだ。そこには唯一無二の命は誰でも何者にも代え難いもの。
と言う思想が息づいていたからだ。果たして西洋にはそうゆう余裕はあったのだろうか
。実はこの「あわれさの美」は万国共通の意識である。だからこそ日本が東洋の神秘と
して崇められ、浮世絵を美しいと称賛される理由だろう。美の追求心はアインシュタイ
ンの相対性理論にも現れる。熱を含めた統合理論で「神は美しい物しか残さない。」と
彼はつぶやいている。仮にサウジ国内にこうした対抗馬が出てきたら、ムハンマド皇太
子は否応なく叩く。それは本人自身でなく取り巻き連中が叩くはずだ。今回の捕縛も又
この取り巻きの仕業として逮捕拘留は見せかけの事と見える。つまり世論押さえである
。世界が美しいものを残す努力をしない限り、全くこの世は悲惨なままだ。
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