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モラハラ相談
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4: 02/08 02:24
【ラリー遠田】は東京大学卒業後、テレビ制作会社勤務を経てライターにお笑い評論家
らしい。しかし評論家とはこんなクズ理論を言っていいのか。と思う。
 「日頃からお笑いを見ている立場から言わせてもらうと、どうして一部の人々はテレ
ビで芸人が言うことをいちいち真に受けるのだろう、と不思議に思う。芸人というのは
、目先の笑いを取るためであれば、白を黒と言い、黒を白と言うことも何とも思わない
ものだ。」と言う。およそ、これは間違っている。よく国会で昭恵夫人が公人かどうか
で論議されたが、規定は別にして公人とは一般的に「不特定多数からの支持のある人」
であり、「公けに顔を出せる優遇された人」なのである。今や一般人もTVに出るが、
それでもTVに出るか出ないかは、公人になるかならないかの境目なのだ。では公民と
いう言い方もある。公民とは政治に参加する事が出来た人の話である。かつて参政権が
税金を納めれた人に限っていたからだ。この意味でも別に公費支出による役人のみが、
公人であるとは規定できない。公僕とは「僕」とは「しもべ」の意味である。つまりは
公式なしもべの意味なのだ。こうして誰もが知り得る認め得ると言うのは、公人に他な
らない。その公人になった漫才師と言う社会的役職に「漫才師がメッセージ性の 強い
漫才を演じたからといって、そこに彼自身の思想を勝手に読み込むべきではない。本人
が実際にそう思っているかもしれないが、別に何とも思っていないかもしれない。芸人
とはそういうものだ。」と書いている。更に「もっと言えば、これは芸人に限った話で
はない。テレビに出ている人は例外なくそれぞれの役割を与えられてそこにいる。だか
らこそ、思っていることを何でもかんでも言うわけではなく、その場で求められている
ことを言おうとするのだ。番組が面白いものになればそれでいい、というのが、彼らの
共通認識だ。」と言うとんでもない非人間的な勘違いをしている。もしそうであれば、
ヒットラーのした刺激の強い悲惨な戦争をも実物現写でも撮ればいいのであって、シリ
アの紛争ににも行けないスタッフ達が一体その「面白さ」と言うのを何処に感じている
のか怪しいものだ。「『朝生』は討論番組なのに結論が全然出ない」などという批判を
よく耳にするが、私に言わせれば『朝生』はどう見ても討論番組ではない。話題はあち
こちに飛び、大勢の出演者が感情をむき出しにして自説を述べ、会話はちっとも噛み合
わない。司会者である田原も、議論を整理したりまとめたりする方向に誘導することは
あまりなく、出演者をつついて議論を錯綜させたり、感情的な反応を引き出したりする
ことに終始している。」と言っている。
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