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あ゛べぽ
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101:、 11/03 22:15 ID:i2
このフリーメーソンの秘儀は「メンフィス=ミスライム」と呼ばれています。このミスライムという名はハムの息子
の名前ですが、同時にエジプトの古名にもなっています。ハムの祖先とされるハムの息子ミスラ
イム(一説には第一王朝の祖メネス王と同一人物)がエジプトを占領したときに、その土地に自
分の名前をつけたからだと言うのです。そして、『英雄伝』で有名なプルタルコスが書いている
イシス、オリシスとテュポンをめぐる神話もこのミスライムから伝えられました。スコットランド出身の騎士
たちが始めてこの秘儀を伝授され、スコットランドに持ち帰ったため、ここから発したフリーメーソンは
スコットランド派と呼ばれ、更にそこから「メンフィス=ミスライム派」という「ホッホグラ^デ」が生じました。
エジプト王ミスライムはアッシリアからエジプトに移り、そこを征服して、太古アトランティスの伝統をまだ保
ち続けていたエジプトの秘儀の伝授を得た、とも言われていますが、その太古依頼の秘儀を
集大成して、この「メンフィス=ミスライム派」として高位の霊的位階にまで昇る事のできる組織を作
ったのは、――シュタイナーによれば――アレッサンドロ・カリオストロ(1743~95年)でした。

カリオストロの名は、シラー、ゲーテ、トルストイの作品にも取り上げられているので、比較的よく知られ
ていますが、一般の評価はかなり否定的です。ヨーロッパを股に駆けて、さまざまな善事、悪
事を働き、したい放題を重ねた、啓蒙思潮期最大のペテン師とされています。種村季弘氏
の『山師カリオストロの大冒険』は、時代の雰囲気とカリオストロの生き方に現れているいかがわしき、
一方で非常に真面目な霊的修行を行いつつ他方では山師的な行為を繰り返したと言う、カリオ
ストロの二面性を興味深く描いています。実際、ゲーテやシラー以来、オカルト的感性を持った作家た
ちはこの不思議な人物に並々ならぬ関心を寄せ続けてきました。彼の形姿には市民道徳と
はまったく重ねられない、もっとも内密で、もっと質の高い存在感が感じ取れるからです。
彼は偉大な魂の持ち主だったと思われます。それにもかかわらず、その後買いや抽象の全
てを含めて山師としての悪評が高かったことについてン、ルドルフシュタイナーは、それが当時、オカル
ト的な生き方がどれほど困難な状況にあったかを示しているに過ぎない、と述べていた。シュ
タイナーによれば、カリオストロはアトランティス人の生まれ変わりであり、今日の科学もはるかに及ばない
アトランティス時代のエーテル体認識、つまり生命力を支配する方法を「記憶」の中に保持していた、
と言うのです。この認識を現代の新しい秘儀として甦らせるために、彼は近代市民社会の
生き方に逆らって、様々な試みを重ねました。この点でシュタイナーは次のように語っています。

カリオストロの名は、シラー、ゲーテ、トルストイの作品にも取り上げられているので、比較的よく知られ
ていますが、一般の評価はかなり否定的です。ヨーロッパを股に駆けて、さまざまな善事、悪
事を働き、したい放題を重ねた、啓蒙思潮期最大のペテン師とされています。種村季弘氏
の『山師カリオストロの大冒険』は、時代の雰囲気とカリオストロの生き方に現れているいかがわしき、
一方で非常に真面目な霊的修行を行いつつ他方では山師的な行為を繰り返したと言う、カリオ
ストロの二面性を興味深く描いています。実際、ゲーテやシラー以来、オカルト的感性を持った作家た
ちはこの不思議な人物に並々ならぬ関心を寄せ続けてきました。彼の形姿には市民道徳と
はまったく重ねられない、もっとも内密で、もっと質の高い存在感が感じ取れるからです。
彼は偉大な魂の持ち主だったと思われます。それにもかかわらず、その後買いや抽象の全
てを含めて山師としての悪評が高かったことについてン、ルドルフシュタイナーは、それが当時、オカル
ト的な生き方がどれほど困難な状況にあったかを示しているに過ぎない、と述べていた。シュ
タイナーによれば、カリオストロはアトランティス人の生まれ変わりであり、今日の科学もはるかに及ばない
アトランティス時代のエーテル体認識、つまり生命力を支配する方法を「記憶」の中に保持していた、
と言うのです。この認識を現代の新しい秘儀として甦らせるために、彼は近代市民社会の
生き方に逆らって、様々な試みを重ねました。この点でシュタイナーは次のように語っています。

人々がカリオストロについて語るのは、一般に、アフリカのホッテントット族が高架鉄道の建設について語る
ようなものだと言えます。一見不道徳に見える彼の外的行動が世界の出来事にどのような
かかわりを持っていたか、人々はまったく洞察されることなく語ったのですから。

                      ――1904年12月16日の講演

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