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104:、 11/03 22:19 ID:i2
ホッホグラーデの宣言書
このカリオストロ以来の「ホッホグラーデ」の伝統は、シュタイナーの時代にはフリーメーソンの「メンフィス=ミスライム派」
として存続していました。木の葉では人間の進化の段階を96の位階にわけ、結社員は全
てこのヒエラルキアの一段一段を上っていくように求められました。ソシテそれを通して
4つの協定を身につけなければなりませんでした。「メンフィス=ミスライム派」の4つの協定という
のは、第一に象徴研究を通して、マクロコスモス(大自然)とミクロコスモス(人間)とのす。関係を体
得することで第2にエジプト=ヘルメス哲学を通して、太古の叡智を新しく解釈することです。
第三はいわゆる神秘主義です。内的アストラル的な体験を深めることによって、賢者の石、つま
り死の克服を可能にしようというのです。第4はカバラ学で、特に数による宇宙秩序の諸原
理を認識しようとします。
このような教程が確立していたにもかかわらず、1904、5年の時点では、フリーメーソンの内
部でこの教程に関しては本当に指導することのできる人物は一人も居ない、とシュタイナーはそ
の当時考えていました。フリーメーソンの真にオカルト的な行を通して、この96の位階の全てをたど
った人物はいない、と言うのです。ですから「メンフィス=ミスライム派」では、「ホッホグラーデ」の教程
以外のどこかで修行を積んだ人を指導者として迎え入れざるを得ませんでした。ルドルフシュタイ
ナーも1906年にはそのような指導者として、ドイツにおける「ホッホグラーデ」の最高位(グラン
ド・マスター)の位階についたのです。けれども当時一般のフリーメーソンは「ホッホグラーデ」を正式の
フリーメーソンとはみなして折らず、シュタイナー自身も相互の扶助を目的とする教養団体となった通常
のフリーメーソン結社に入社する必要を感じていなかったので、彼は自分をフリーメーソン員であるとは
認めていません。彼にとって、時代の要請にこたえるべきフリーメーソンの組織は「ホッホグラーデ」
以外にはありませんでした。例えそれが形骸化してしまっているとしても、「ホッホグラーデ」
はオカルト的内実を盛り込むことができる枠組みとなる形式だけでは少なくとも保っているわ
けです。もし熱せられて溶けた金属があったとしても、それを注ぎ込むための鋳型ができ
ていなかったら、むなしく流れてしまうでしょう。霊的な金属が流し込める形式の存在が
大切なのです。そしてこのことがあの「青銅の海」の中で象徴されていると言えます。で
すからシュタイナーは「ホッホグラーデ」の96の位階制を非常に大切に思っていました。
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