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あ゛べぽ
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117:、 11/03 23:07 ID:i2
このように、何のために生まれてきたのか悩み、人生に絶望しても、決して死なせてはく
れないのである。そして、そんな経験をつむうちに、突如神がかりになったり、他人には
見えないものが見えたり聞こえたりするようになる。「自分はとうとう来るってしまったの
だろうか」と思っていると、自分を導いてくれる人や、援助してくれる人が現れる。これ
までの職業、家族関係、友人関係も総入れ替えとなって、見えない糸に操られるかのよう
に偶然の出来事が重なり、最終的には霊的な仕事を選択するように「持ってこられる」の
である。

そして、霊的な仕事の世界に入ったはいったで、今度は熾烈な戦いが始まる。いつになっ
たらこの「生き地獄」から開放される日が来るのか、と思ったりもするのだが、私の印象
では、これらの出来事はすべて「何かの意志」によって完璧なまでに計画され、アレンジされ
ている。つまり、必然として、人生における全ての経験がつながっているのである。

それは、人々が経験するさまざまな困苦に共感し、これを癒し、導く心を準備するための「大いなる計らい」なのだろう。

考えてみれば、イエス・キリストやブッダが経験した困苦も、こうしたパターンに近似している。私が
知っている拝み屋たちの場合でも、さまざまな悩みを抱えて相談に来る人に対して、霊的
次元での対処、解決法を示すために、修羅場を潜り抜けて生きるという経験が「必須科目」
なのだと思うようになった。

最近は気軽に霊的な修行の世界に入る人もいるようだが、修行ごっこならいざ知らず、本
気で修行するつもりなら、大きなリスクを背負っていることも覚悟してほしい。しかも、
霊的な世界で起こる出来事は、基本的に自己責任に帰属する。命を投げ出して責任を取ら
なければならない事態も起こりうるのだ。そのようなときには、誰も助けてはくれないし、
誰かにすがろうと思っても「大いなる計らい」によって一切の支援をたちきられてしまう
こともある。適切な指導者に指示する必要性は学校教育に通じるところもあるが、師匠の
霊的レベルを超えた圧倒的な医師が介入しはじめると、師匠でさえも手助けできなくなっ
てしまうこともある。

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sage
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