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あ゛べぽ
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99:、 11/03 22:13 ID:i2
例えばフランス革命当時、思いがけない人たちが、フリーメーソンの結社員として一緒に共通の儀
式を行っていました。モンテスキューやフィヒテのような哲学者、フリードリッヒ大王のような国王、ヘッセン候
カールのような政治家、あるいは一説では9世紀のようなローマ法王でさえもフリーメーソンのメンバー
といわれています。かつてはカトリックの高位聖職者の中にフリーメーソンのメンバーが非常に多く居たの
です。19世紀から20世紀になってくると、アンチ・クルレカリズム(反教権主義)とフリーメーソンとが一
つであるかのようになり、カトリック教会とフリーメーソンとが人水のような関係であると受け止めら
れます。そしてフリーメーソンそのものも一種の退化現象を起こし、特定の利害関係を代表する政
治的な結社になったり、単なる社交団体になったり、営利が目的の偽オカルト教団になったり
します。

しかし、モーツァルトやゲーテやレッシングのような人たちが結社の理念を考えていたころのフリーメーソンは、
全人類的な生活理想を共有しようとしていたのです。そうしたなかで、時代に抗して、フリー
メーソンの中に更に行為の位階の結社を作る必要が感じられてきます。そしてその結社実際に
作ろうとしたのがカリオストロと、クリスティアン・ローゼンクロイツの生まれ変わりと言われるサン・ジェルマン伯
爵なのです。

そしてシュタイナー自身の20世紀20年代にいたるまでの後半の活動を考えるときにも、ヨーロッパ
におけるこうした。オカルト的な伝統の背景をどうしても考える必要が出てくるのです結論的
なことを言うと、シュタイナーは1923年のクリスマス以後、演劇的アストラル的な性格を持ったオカルト
結社のイニシエーションを通して人類に働きかけることをやめようと決心したのです。シュタイナーの晩
年のそうした決心にいたるまでの過程には、非常に深いオカルト結社への時代私的な考察が潜
んでいたと思われます。

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sage
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