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Jリーグ
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1918: 12/08 09:36
■どんなにゴールを決めても…「僕はヒーローではない」

だがしかし、たとえどれだけ有名になろうとも、グアヘがその謙虚さを忘れることはない。

私はバケーションがてら家族とともにニューヨークを訪れて、彼にインタビューを敢行したが、その振る舞いはバレンシア時代と何ら変わらなかった(おそらくは、スポルティング・デ・ヒホンの下部組織で研鑽を積んでいた頃からずっと変わらないのだろう)。
ダビドとビクトールは試合をボックス席で観戦させてくれ、終了後にダビドは自分たちのもとを訪れて、私のいとこの子供たちと冷たい飲み物を口にしながら談笑していた。
子供たちは、もちろん彼に首ったけだった。

1919: 12/08 09:36
ダビドはニューヨーク・シティで、キャリアの晩年を過ごしているわけではなかった。
「もっと良い選手になるために、チームを助けるために努力をしている。何よりも、僕の専売特許であるゴールを決めることでね」。

これが、あのときのインタビューでの発言だ。ほぼすべての人生に寄り添ってきた妻パトリシア、そしてその子供たちとマンハッタンの5番街に腰を落ち着けた彼は、空色のチームのためにこれまでと同じようにゴールを決め続けた。またあの時期には、ゴール同様に世界を駆け巡った場面も存在した。それは、彼がホームレスの親子に食べ物を与えている姿である。

「どんな人でも同じことをしていただろう。ただ、僕がそうしている場面が撮影され、拡散したというだけだ。夕食の時間に、ああして父親と一緒にいる子供を見て衝撃を受けた。その10分前に『フェイスタイム』で、夕食をとっている自分の息子と話したばかりだったから。だから夕食を買って彼らにあげた、それだけだよ。僕はヒーローではない。あんなことしかできないんだ」
1920: 12/08 09:37
■Jリーグ最高の点取り屋へ

ニューヨーク・シティで120試合80得点という足跡を残したダビドは、これから日本で新たな挑戦に臨む。加入先は、南アフリカW杯から親交を深めるアンドレス・イニエスタが在籍するヴィッセル神戸。だが彼は、友人と思い出話に花を咲かせる気など、毛頭ない。その目標はスペイン、アメリカでプレーしていた頃と同じ。すなわち、Jリーグ最高の点取り屋となることだ。
36歳となりトウが立ったとの指摘もあるだろうが、彼が現役でやれると思っている限りは、ネットを揺らし続けるだろう。走力こそ衰えたものの、相手の視界から消えて最終ラインを抜け出す技術は抜群。絶好のタイミングで足を振り抜き、力強いシュートを突き刺していくはずだ。そう、彼のシュートはゴールへのパスなんてものではなく、まさにシュートである。ボールスピードが早く、なおかつ精度の高いボールを蹴り込むからこそ、DFだってGKだって反応することができない(加えてループシュートで意表も突く)。それこそ彼というストライカーの“決定力”の源である。
1921: 12/08 09:37
「イジャ・イジャ・イジャ! ビジャ・マラビージャ(素晴らしきビジャ)!」

スペイン代表最多得点者(97試合59得点)、スペイン・フットボール歴代最高のストライカーのキャリア最終章が、まもなく始まる。バレンシアの本拠地メスタージャで何度も、何度も歌われたあのチャントは、日本でもこだまするに違いない。そうに決まっている。とどのつまり、彼はピッチ内外で愛される、それはもう“見事なグアヘ”なのだから。私も父親メルと同じトーンで、同じ言葉を繰り返していきたい。

文=ディエゴ・ピコ(Diego Pico)/スペイン紙『MARCA』バレンシア番
翻訳・構成=江間慎一郎
1922: 12/08 09:59
ジュビロとヴェルディが昇格降格をかけて今日激突
1923:巨樹 ◆Carp 12/08 18:32
ヴェルディダメだったね
1924: 12/08 23:03
うむ、散ったね
1925: 12/09 06:55
柱谷が泣いている
1926: 12/09 06:56
ラモスも怒ってる
1927: 12/09 06:56
しかし北澤は髪を切らない
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