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よく見ると・・・
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3: 04/23 21:22
つまり、異性的なものについては、参画的な欲望であり、
一方的に欲望するのではなく、双方向の欲望、これは、道具関連や意味
として現われるのではなく、欲望を欲望するのである。
このことによって、「それ」は固有名をすり抜け、語りえぬものの欲望
欲動となる。一方、外的物質が少なくとも、自分の子孫繁栄とならないで、
一方的に利用され、食い尽くされると言う事考える時、そこにリンゴが
食べられたいと言いうシグサがあるとは絶対に言えないのだ。
たしかに1の言う論点は寧ろライプニッツのモナドロジーに近いもの
かもしれないが、そうであるならば説明が不十分な為に誤解を招いている
とも考えられる。つまり、全ての存在者は他の全ての存在者を映し出している
と言う、相関的な存在論の視点である。 このカリスマの世では堀江はどう見られるか。
汚い、電柱に吐かれたゲロのようだ。しかし、何故か揚げられるようなとんでもない事態が出てきた。
不思議なことである。
それぞれの生物の有する肉体=器官=形状は、その生活環境の中で、
生活する=生存する為に合理的な基準によって齎されていると考える時、
はじめて、その生物が外界の全ての環境にマッチして、その器官をもちえたと考える事は
否定できないであろう。つまり、肉体の器官はその環境を映し出していると言う事である。
このことから、夫々の生物の器官は、自己完結的に進化したのではなく、
外界の環境に即して、自己組織化したと言う事である。
結論
    や  は  り  堀  江  は  
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sage
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